「お前は我らのものだ――」
麝香(じゃこう)にも似た甘い香りが、寝室を満たしている。
ユリアの細い肢体は天蓋付きの豪奢なベッドに横たえられ、二人の男の視線に晒されていた。
「あっ、いや……っ」
背後からユリアを抱き締めていた第一王子アサードが、薄絹でできたユリアの夜着を胸元まで捲(まく)り上げる。
「お、おやめくださいっ。アサード様っ」
白くたわわな乳房とともに、薄い下生えが露わになった。腕で隠そうとするが、優しく両手首を拘束されて動けない。
「足をもっと開いて。ユリア」
正面からベッドに乗り上げてきた第二王子ファリスに足首を掴まれ、ユリアは激しく左右に頭を振った。そんな恥ずかしいこと、できるわけがない。
するとユリアの耳に舌を差し入れ、ねっとりと耳殻を舐め上げたアサードが、蜂蜜を流し込むように甘く囁いた。
「我(わ)が儘(まま)を言って我らを困らせるな……。お前の蜜壺がどれだけ濡れているのか、ファリスによーく確かめてもらえ」
喉奥で笑われて、ユリアは全身がかぁっと熱くなった。
(こんなこと、本当は嫌なのに――)
そう思うのに、毎夜彼らに甘美な快楽を教え込まれ、煌(きら)めくような愉悦を知ってしまったユリアの身体は、そろそろと足を開き出す。
「もっとだよ。もっとよく見えるように大きく開いて……」
「は、はい……」
熱っぽいファリスの言葉に、ユリアは羞恥に震えながら膝を曲げ、さらに大きく足を開いた。
「なんだ、やればできるじゃないか!」
アサードが嬉しそうにユリアを褒めた。濃い紅茶に、ミルクをたっぷりと溶かし込んだような淡褐色の肌をした彼は、西洋絵画の天使を思わせる豊かな金色の巻き毛と、深い海を彷彿(ほうふつ)とさせる青い瞳をしていた。
「さぁ、褒美(ほうび)をやるぞ」
真っ赤に染まったユリアの頬にキスをすると、アサードはユリアの顎を捕らえ、荒々しく唇を重ねてきた。
「んっ……、んんっ……」
巧みな動きを見せる彼の舌が、口腔深くまで差し入れられる。
敏感な舌先をきゅっと吸われ、身体がビクンと跳ね上がった。それと同時に両の乳房を鷲掴みにされ、円を描くように揉み込まれる。
「あっ、だめっ……」
赤く色付いた小さな乳首を、指の腹で転がすようにいじられて、ユリアの背中が大きく撓った。
「すごい……。ユリアのここ、こんなに蜜を垂らして」
感嘆したように呟きながら、ファリスがユリアの媚肉にそっと触れた。
「なんだ。胸をいじられただけでそんなに濡らしてしまったのか? しょうがない奴だな」
からかうようにアサードに笑われ、ユリアの眦(まなじり)に涙が浮かんだ。それをファリスに唇で吸い取られ、触れるようなキスを繰り返される。
「ふ、……ぅん」
強引で荒々しい兄のアサードとは違い、ファリスのキスはいつも優しい――。
啄(ついば)むように何度も唇を重ね、歯列を舐め上げると、ファリスはユリアの口腔に舌を滑り込ませてきた。
「ふぁ……、あ……っ」
同時に薄い下生えをもてあそぶように撫で擦られて、蜜口からとろり……と蜜が溢れ出す。
「感じているんだね、ユリア――」
知られてしまったことに、再び顔が焼けるように熱くなったが、褐色の肌に精悍な顔付きをしたファリスにふんわりと微笑まれ、なぜか胸がきゅんとなる。
しかし胸のときめきに浸る間もなく、彼はすっと身を屈めると、濡れそぼったユリアの秘処に顔を近付けた。
「い、いけませんわ……っ、ファリス様!」
驚いたユリアが膝を閉じようとしたが、逞しい彼の身体が足の間に割り込んでいて、閉じることができない。
わざとらしくぴちゃぴちゃと水音を立てると、ファリスは濡れそぼったユリアの花襞を舐め始めた。
「だ、だめぇ……っ」
敏感になった襞を辿るようにされて、ユリアは身を捩らせた。
けれどファリスはユリアの両腿を大きな手で掴むと、もっとユリアを追い立てようと、限界まで足を開かせ、くすぐるように花芯を舌先で突く。
「ひぃ……っ」
ファリスの節の立った指が、トロトロと蜜を溢れさせている花びらを押し広げて、ゆっくりと挿入された。
「あぁっ、……う、……うぅんっ」
膣襞を押し伸ばすように何度も隘路を行き来され、ユリアの踵がシーツを蹴る。
アサードの爪先まで整えられた美しい指が、固く凝ったユリアの乳首や薄く色付く乳輪を、摘まんだり弾いたりしてもてあそぶ。
「あっ、あぁ……、アサード様……、ファリス様……っ」
焼けつくような快感が全身を支配し、知らぬ間にユリアは腰を揺らめかせてしまっていた。
「――もっと啼け、ユリア。我らを満足させるように」
首筋を強く吸われながら、アサードに両の乳首をぴんっと引っ張られた。
「ひゃ……、ぅんっ」
甘美な電流が背筋を駆け抜け、ユリアはもっといじってほしいと言わんばかりに、柔らかな膨らみを突き出してしまう。
「いっぱい感じて、ユリア。君のいやらしいところがもっと見たい……」
指を増やし、膣筒への抜き差しを激しくさせたファリスに、ユリアは悦楽の涙を溜めながら、大きく頭を振った。
「もう、だめ……です。もう、あぁ……っ」
黄金と大理石でできた宮殿に閉じ込められて、ユリアは毎夜カナリアのように啼かされた。
憎き男の娘として囚われ、蹂躙(じゅうりん)され、それでも優しく自分を甘やかす彼らに戸惑いながらも、ユリアは今夜も美しい兄弟に抱かれて、月夜の砂漠で淫靡(いんび)な歌を歌うのだった――。
***
船から降り立ち、ユリアは異国の空を見上げた。
青く澄んだ空は地平線の彼方で海と混じり合い、どこまでも果てしない。カモメの鳴く声が耳に心地よく、海風が優しく頬を撫でていく。しかしユリアの白い肌を焼く太陽の日差しは、実に強烈だった。
ここはアラビア半島に位置する砂と交易の国、ハスィール王国――。
六年ぶりにこの地に降り立ったユリアは、今回は国賓として招かれているので、扱いは最上級だった。
「ユリア・ジェファーソン様ですね」
炎天下の中、アラビア特有の民族衣装を身に纏った男が、深々と頭を下げた。その身なりは質素でありながら上質な物で、王宮からの迎えであることは一目瞭然だ。
「……は、はい」
戸惑いながらも頷いたユリアを恭しく案内すると、男は強い日差しを受けて反射する黒塗りの馬車の扉を開けた。
金細工が随所に施された馬車はとても美しく、足を踏みれることすら躊躇(ためら)われてしまうが、それでも勇気を出して乗り込む。中は涼しく、緑色のビロードが張られたソファは驚くほど座り心地が良くて、ユリアはほぅっ……とため息をついてしまった。
滑るように走り出した馬車は、活気ある港町の景色を車窓に映しながら、王宮へと向かった。
ユリアがこの地に戻って来たのは、父の葬儀に出席するためだった。
イギリス人であるユリアは、考古学者の父に連れられて、六年前までハスィール王国で暮らしていた。しかし十二歳の時に父と母が離婚し、ユリアは母に連れられて、母国イギリスに帰っていたのだ。
しかし母方の家は貴族とはいえ、祖父の代に没落し、その生活は大変貧しく、慎ましやかなものだった。なのでユリアは近所の子爵家で、家庭教師として職を得ていたのだが、扱いはベビーシッターも同然で、時には侍女のように扱われた。
それでもユリアは、決して現状を嘆いたりはしなかった。どんなに辛いことや悲しいことがあっても、大好きな本さえ読めれば幸せだったからだ。
だからユリアは、仕事のない日は足しげく図書館へ通い、童話から歴史書、冒険譚から東洋の異聞録まで、ありとあらゆる本を読み漁った。
本は、ユリアが知らないことをたくさん教えてくれた。しかも知恵の翼まで授けてくれる。
本さえ読んでいれば、ユリアは辛く厳しい現実を忘れることができたのだ。
しかし昨年の秋に母が病で亡くなり、父も亡くし、ユリアは天涯孤独の身となってしまった。
オアシスでにぎわう市場を窓越しに眺めながら、大きなエメラルドグリーンの瞳は、不安と孤独に揺れていた。
(これから私、どうなってしまうのかしら……)
じわりと浮かんだ涙をそっと拭うと、気丈にもユリアは顔を上げた。
(考えていてもしかたがないわ。一人で生きる道を探さなきゃ――)
前方に、黄金と大理石でできた国王の住まいであるマージャル宮殿が見えてきた。
桜色の唇をきゅっと引き結ぶと、ユリアは折れそうになる心を必死に奮い立たせ、灼熱の太陽を受けて輝く宮殿を、じっと見つめたのだった。
ペルシア湾を臨むハスィール王国は、メソポタミア文明とインダス文明を結ぶ交易拠点であったことから、多くの遺跡が点在し、考古学者にとって垂涎の土地だった。
「――中でもジェラール・カラ遺跡は、当時の人達の生活を色濃く残した遺跡で……。父は夢中になって研究をしていました」
宮殿から少し離れた場所にあるハレム内に用意された客室で、ユリアは侍女に丁寧に髪を梳かれていた。
金細工で縁取られた鏡台に座っているユリアに、侍女は屈託のない笑顔を向ける。
「そうだったんですか。だから国王様とも、ご親交があったんですね」
「えぇ。父は国王陛下と、とても親しくさせていただいたようです」
侍女の笑顔に鏡越しに答えながら、ユリアは大きく頷いた。
ジェラール・カラ遺跡研究の第一人者だった父は、遺跡研究に大変興味を持っていたラシャード国王と親交が深く、ジェラール・カラ遺跡の発掘、研究に一生を捧げたとして、国葬されることになったのだ。
――本日行われた父の葬儀は、滞りなく終わった。
貴族が参列し、遺跡発掘に携わった研究者の姿も多く見られ、滅多に公に姿を現さないマリー王妃も参列してくださり、ユリアの父の葬儀は厳かに、そして粛々と進められた。
父と母が離婚してもう六年も経つというのに、ユリアの胸には悲しみが去来して、式の間中ずっと涙が止まらなかった。
そんな悲しみに暮れるユリアであったが、ふと一人の男が自分を見つめていることに気付く。――玉座に座る王の隣に立つ、第一王子アサードだ。
今年二十二歳になるという彼は、民族衣装である長衣を纏い、頭からはクーフィーヤという布を被り、黒い組紐で留めていた。しかも布から覗く顔は彫が深くて端正で、金色の艶やかな巻き毛と、深い海を思わせる美しい青い目をしていた。
けれどユリアを見つめる瞳は恐ろしいほど冷ややかで、背筋がゾッとするぐらいに暗く、鋭い光を放っていた。しかも隣に立つ背の高い男性……第二王子ファリスと、何やらひそひそ話をしていて、ユリアの胸をざわつかせる。
(どうしてあんな目で私を見るのかしら……)
ハンカチで涙を拭いながらも、ユリアは考えていた。きっとイギリスからやって来た痩せっぽっちの女が珍しくて、第二王子と一緒になって私のことを蔑んでいるんだわ、と。
しかしこの国は交易の要衝だ。西欧から来る男性も多ければ、それに付き添ってやって来る女性も最近では珍しくない。しかも彼の母親は元はフランス貴族だ。だから白人女性など見慣れているはずなのに――。
(なぜ私だけ蔑まれたのかしら……?)
重たいため息をつくと、心配そうな侍女の顔が鏡に映し出された。
「どうかなさいましたか? ユリア様」
「い、いいえ……」
慌てて笑顔を繕うと、ユリアは部屋をぐるりと見渡した。
「それにしても、何度見ても本当に立派なお部屋ですわね」
イギリスにある自宅のリビングが二つは入ってしまいそうな部屋を眺めながら、ユリアは数日前にこの部屋に通された時の感動を思い出していた。
しかも部屋は、浮彫細工が施された白い扉で仕切られていて、奥には豪奢な寝室まで用意されている。
「えぇ、ここは『バラの部屋』と呼ばれておりますわ」
「『バラの部屋』……。なんて素敵な名前なんでしょう!」
侍女の言葉にユリアの心は浮き足立った。
『バラの部屋』は天井や床に使われている大理石から、長椅子や金糸の刺繍が施されたクッション、そして中央に敷かれたアラベスク模様の絨毯に至るまで、すべて淡いピンク色で統一されている。家具は軽やかな白色で揃えられ、黄金で装飾された天蓋付きのベッドは、大人が五人は眠れそうなほどに大きく、いったいどこに身を寄せて眠ればいいのかわからないほどだった。
部屋には同じくバラ色の大理石でできた浴室も備えられていて、こんなにも広い浴槽を一人で使ってもいいのだろうか? と不安になりつつも、ユリアはたっぷりと湯が張られた湯船で、毎晩湯あみを楽しんだ。イギリスの実家には狭いシャワールームしかないからだ。
その上ここにはユリアの服まで用意されていて、宮殿に来てからは侍女が用意してくれた上質な絹でできた西欧風のドレスと、同じく絹製の下着を身に着けていた。
まるで童話に出て来るお姫様のようだわ……と、落ち着かない気持ちでいたけれど、入浴を済ませ、胸の下をリボンで結わえたデザインの長丈の夜着を身に纏うと、ユリアは侍女に髪を梳かれながら、床に就く準備をしていた。
「――それではごゆっくりお休みくださいませ。ユリア様」
部屋を出て行こうとした侍女に、「あの……っ」とユリアは声を掛けた。
「はい、なんでございましょう?」
身体のラインを隠す、ゆったりとしたアバヤというワンピースに、ヒジャブというスカーフを頭の上から纏った侍女が、くるりと振り返った。
「え、えーっと……」
ユリアは、暗い瞳で自分を見つめていた第一王子アサードについて、訊ねようとした。
(あの方は、一体どんな方なのですか?)
そんな言葉が口元まで出掛ったけれど、明日イギリスへ帰る予定のユリアは、彼に会うことはもうないだろうと、緩く首を振った。
「いいえ、なんでもありません。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
朗らかな笑顔を向けると、侍女は静かに部屋を出て行った。
広く美しい部屋に静寂が訪れると、ユリアは再びため息をつく。
上部が楕円形の形をした、両開きの大きな窓に寄り添うと、ユリアはベランダ越しに砂漠の月を眺めた。
白く冴えた丸い月が、果てしなく広がる中庭を照らしている。
川のように長く続く噴水を中心に造られた左右対称の庭は、ユリアが本で見たヴェルサイユ宮殿にも負けないぐらい美しかった。
(夢のような宮殿暮らしも、明日でおしまいね――)
そう思うと名残惜しい気もしたけれど、ユリアは落ちぶれた貴族の娘だ。だから、ここでの生活は分不相応過ぎる。父のおかげで夢のような生活が数日だけでも送れたのだから、天国の父に感謝しなければならない。
(おやすみなさい。お父さん、お母さん……)
トランクに入れて持って来た家族写真を眺めてから、ベッドに入り込もうとした時だった。コンコンと軽やかに部屋のドアがノックされて、ユリアは驚いてそちらを振り返った。
(こんな時間に誰かしら?)
不審に思ったけれど、自分なんかに用事のある者などこの宮殿にはそういない。きっと先ほどの侍女が忘れ物でも取りに来たのだろうと、ユリアはなんの躊躇いもなく扉を開けてしまった。
「あっ……!」
しかし、そこにいたのはルネサンス期の画家が描いた天使を思わせる、端整な容貌をした青年だった。
「ア、アサード様!」
驚きのあまり声が裏返ってしまったけれど、彼は気にする風もなくユリアに微笑んだ。
「こんばんは」
葬儀の際に見せた暗くて鋭い瞳はまったくなく、誰をも魅了する嫣然(えんぜん)とした笑みを浮かべると、彼は胸元に手を当てて「お誘いに参りました」と恭しく告げた。
「お、お誘い……?」
自分を睨んでいた時の彼とはあまりにも雰囲気が違い過ぎて、ユリアは膝を折って挨拶することも忘れて、激しく戸惑った。一体何が起こっているのだろう?
するとアサードは困惑するユリアの白い手を取り、悲痛な表情を浮かべた。
「お父上のこと、ご心痛お察しいたします。少しでもユリア嬢に元気を出してもらいたくて、今宵は私自慢の温室へとお誘いに参りました」
「温室……ですか?」
唐突な誘いに、ユリアは首を傾げた。
「ユリア嬢はバラはお好きですか?」
訊ねられ、ユリアは大きく頷いた。
「はい、大好きです!」
本当にユリアはバラが大好きだった。美しく可憐な姿を思い出すだけでも、胸が高鳴るほどに。
しかし、貴族とはいえしがない家庭教師の身でしかないユリアは、バラを買いたくてもせいぜい一、二本買うのが精いっぱいだった。
だから『バラの部屋』などと、素敵な名前がつけられた部屋に泊まることができただけでも幸せだったのに、この宮殿にはバラが咲く温室まであるらしい。
「それはよかった。では、ぜひ私の温室へ――」
手を引かれ、ユリアは何百というランプの明かりが照らす長い廊下へと、夜着のまま連れ出された。
「あ、あの……この格好のままでは……」
さすがに寝間着姿は恥ずかしくて、部屋へ引き返そうとすると、
「あなたは何を着ていても美しい。今宵のドレスもよくお似合いですよ」
シルクの夜着をドレスに例え、アサードはユリアの手を引くと、そのまま宮殿内の中庭まで連れて行った。
「――気持ちいい……」
サァ……と吹き抜けた夜風の心地よさに、ユリアは飴色の髪をなびかせながら目を細めた。
昼間は四十度を超える灼熱の砂漠でも、夜になると過ごしやすい。
しかも、月の光を受けてキラキラと輝く噴水は宝石のように美しくて、二階の部屋から眺めていた景色とはまた違う感動をユリアにもたらした。
オレンジやレモン、アプリコットやアーモンドといった木が植えられた果樹園を抜け、さらに街の広場ほどもありそうな芝生を抜けると、そこには白い磨(すり)硝子(がらす)で造られた立派な温室があった。
「すごい……っ!」
アサードがガラスの扉を押し開けると、打ち寄せる波のように、瑞々しいバラの芳香がユリアを包み込んだ。
「気に入っていただけましたか?」
「はい、とっても!」
微笑んだアサードに、急いで膝を折って頭を垂れながらも、ユリアは目の前に広がる景色に目を奪われていた。
まだ普及して間もない、最新技術である電球に照らされた温室内は昼間のように明るく、赤やピンクや白といった色とりどりのバラが咲き乱れていて、ここは天国ではないかと、ユリアは本気で思った。
(こんな砂漠の大地に、美しいバラ園があっただなんて……!)
中に入ると、一番手前に咲いていたピンクのバラに顔を寄せた。すると紅茶のような、甘くかぐわしい香りが鼻孔を擽る。
アサードは一本花を手折(たお)ると、丁寧に棘を取り除き、ユリアの耳元の髪にそれを差してくれた。
「あなたの笑顔が見られてよかった。お父上の葬儀の際はずっと泣いておられたから。心配していたのですよ」
「えっ……?」
この言葉は実に意外だった。
ユリアはずっと彼に蔑まれ、嫌われていると思っていたからだ。
しかし、彼はこうして自慢の温室まで連れて来てくれた。そして天国のように美しいバラ園を見せてくれ、父の死を嘆くユリアを心配してくれていた……。
「あ、ありがとうございます。私はもう大丈夫です」
あの時感じた暗く冷たい瞳は、見間違えだったのだろうか? 天使のような彼の笑顔を見ていると、そんな気さえしてくる。
表情には出さず心の中だけで困惑していると、アサードは温室の中央に設けられたテーブルセットを指差した。
「もしよろしければ、あそこで少し休んで行きませんか?」
彼が手を一つ叩くと、どこからともなく従者が現れ、白いテーブルの上に、焼き菓子やケーキが載せられた皿と、紅茶が用意された。
「真夜中にお茶会だなんて、素敵ですわね」
アサードに手を引かれて椅子に座ったユリアは、この地方でよく飲まれている、ミルクで煮出したチャイという紅茶を一口飲んだ。
「美味しい」
砂糖がたっぷりと入ったチャイはお菓子のように甘い。きっと英国式の紅茶を飲み慣れている人なら目を剝いて驚くだろう。
しかしハスィール王国で十年も暮らし、第二の母国といっても過言ではないユリアにとって、チャイは懐かしくも、幸せだった頃の思い出がたくさん詰まった飲み物だった。
「おかわりもありますよ」
アサードの言葉に、従者がユリアのカップに二杯目のチャイを注いだ時だった。
「あ……れ……?」
突然クラリと目の前が回転して、ユリアは目を擦った。
しかし目眩はどんどんひどくなるばかりで、しまいには手足まで痺れ出す。
「どうしたのかしら……、私……」
呂律も回らなくなり、ユリアは不安になって隣にいるアサードを見た。
すると、
「――効いてきたかな?」
「……えっ?」
低く呟いたアサードは、もう天使の笑みを浮かべてはいなかった。父の葬儀で見せた、あの酷く冷たく暗い瞳で、酷薄に微笑んでいる。
「一体……何を……?」
その表情に、ユリアは何かを飲まされたのだと気付いた。きっとお菓子のように甘いチャイの中に、薬が混ぜられていたのだ。
ここにいては危ない――。
本能的にそう思って、ユリアは自由の利かない身体で立ち上がり、なんとか逃げようとした。けれど途中で足が縺(もつ)れて、温室の床に倒れ込んでしまう。
「どうして……こんな、ことを……?」
ゆったりとした足取りで後を追ってきたアサードを睨みつけたが、ユリアはさらに酷い目眩に襲われて、そのまま床に突っ伏してしまう。
「知れたこと。お前は憎きあの男の娘なのだからな――」
「憎き……あの、男……」
憎悪の浮かんだ瞳で見つめられ、ユリアは途切れ途切れになる意識の中、暗幕が下りるように瞼を閉じたのだった。
【このあとは製品版でお楽しみください】