夜、なかなか寝付けないのは、体にまだ時差が残っているせいだ。
日本に帰国して一週間、一応ベッドに潜り込む努力はしているが、今夜はあまりに目が冴(さ)えすぎていた。
子供の頃から、眠れないときの英(ひで)成(なり)の行動は決まっている。洋館と呼ぶにふさわしい広さを持つ自宅内を歩き回るのだ。そして今夜も、眠るための不毛な努力を諦め、ベッドを抜け出した。
三階の、父親の部屋の近くを通りかかったのは、たまたまだった。
昔から、三階は大事なものが置いてあるから近づくなと言われていた。成人した今となっては、その注意も無効とはなっているものの、特段用があるわけではないため、上がることはない。ただ、書斎は別なのだ。子供心に好奇心をそそられ、ときおりこっそりと忍び込んでいた。
少しは様子は変わったのだろうかと思った英成は、久しぶりに三階の書斎を覗(のぞ)いてみようとしたのだが、このとき、征(せい)司郎(しろう)の部屋のドアが開いたままなのに気づいた。
フットライトがぼんやりと廊下を照らしている中、一番奥まった場所にある征司郎の部屋から漏れる明かりは、やけに煌々(こうこう)として見えた。
こんな時間に何をしているのかと、関心半分、呆(あき)れ半分で思いながら、英成は書斎の扉に手をかけようとして、動きを止める。
ふと、魔が差した。
就寝の挨拶(あいさつ)でもして、父子らしいスキンシップを取ることにした。
なんといっても、七年ぶりに同じ屋根の下で暮らし始めたのだ。久しぶりの肉親との同居による居心地の悪さを、早く払拭(ふっしょく)したかった。
「親父、まだ――」
起きているのか、という言葉は、発する前に口中で消えた。
部屋を覗き込んだ英成は、数瞬、目の前の光景が理解できなかった。ただ、二十二歳の健康な男として、人並みの経験を積んできたおかげで、本能的に事態は呑み込めた。異常な事態ではあるが。
「――……くうっ、あぁっ……」
掠(かす)れた艶めかしい声が、耳に届く。途端に英成の体は、熱くなった。
ベッドの上で、征司郎は裸だった。
四十半ばを過ぎたというのに、どこにも弛(ゆる)んだ部分が見当たらない引き締まった体は、汗で濡れている。その征司郎の体が大きくゆっくりと前後に動き、再び艶めかしい声が上がった。
「はっ、あっ、あっ――」
英成は、ふらりと足を踏み出し、部屋に入っていた。自分でもどうしてこんな行動を取ったのかは説明できない。声に誘われたといえるかもしれない。
父親が、誰かとセックスしているのは明らかで、普通の感覚ではあればその場を黙って立ち去るのが正しい。しかし、気になったのだ。
艶めかしい声が、男のものであったことに。
歩み寄る英成に、征司郎がちらりと視線を向ける。熱を帯びた眼差しや、乱れて額にかかった髪、弾んだ息遣いを目の当たりにして、英成は完全に、妖しい空気に呑まれてしまった。もう逃げ出そうにも、足が動かない。もちろん、目も背けられない。
征司郎は、男を組み敷いていた。知らない男ではなかった。
「……こ、さか……」
男を呼んだ英成は、無意識のうちに口元に手をやる。ベッドに入る前に、この男が淹れたお茶を飲んだのだ。
男は、高坂(こうさか)佳樹(よしき)といった。
征司郎の私的な秘書だと紹介されたが、なぜかこの家に住んでおり、征司郎だけではなく、英成の身の回りの世話までしている。この家に出入りしている家政婦や庭師などは、征司郎ではなく、高坂に仕事の指示を仰いでいたぐらいだ。
自分が留学している間に、得体の知れない男が家に入り込んでしまったと、英成は漠然(ばくぜん)とそんな不快感を持っていたのだが、どうやら直感は外れていなかったようだ。 「何、してるんだ、あんたたち……」
問いかけるまでもなく、見たらわかることだ。それでも口にせずにはいられなかった。
征司郎の返答は素っ気なかった。
「黙って見ていられないなら、部屋を出ていけ」
「見て、って……、何言ってるんだ、親父――」
次の瞬間、ドキリとした英成は言葉に詰まった。高坂が、じっと自分を見上げていたからだ。
最初に紹介されたとき、感情がないような冷たい目をした男だと思ったが、今はその目は、何かを訴えてくるかのように鮮烈で、欲情に濡れている。少なくとも、見られていることに恥じらっている様子はなかった。
ふいに高坂の眼差しが揺れ、身じろぐ。英成がゆっくりと視線を動かした先で、高坂の反り返った欲望を、征司郎が握り締めていた。
二人の密着した腰を嫌でも意識してしまい、目を背けたい拒絶感と同時に、抗いがたい興味が英成の中でせめぎ合う。
征司郎は、英成の興味をさらに煽(あお)るように、腰を動かした。
「うっ、ううっ」
征司郎の手に扱(しご)かれて、高坂の欲望の先端から透明なしずくが垂れ落ちる。
「さっきあれだけ舐めてやったのに、もうこんなにしているのか」
子供を窘(なだ)めるような柔らかな声で征司郎が囁(ささや)き、呼吸を乱しながら高坂が応じる。
「申し訳、ございません……、旦那さま」
高坂のその言葉を聞いて、英成の胸の奥が疼(うず)く。唐突に湧き起こった、情欲の疼きだ。
征司郎が高坂の上に覆い被さる。心得ているように、高坂が征司郎の首に両腕を回してしがみつき、二人は唇を重ねた。
まるで英成に見せつけるように唇を吸い、差し出した舌を緩やかに絡め合う。同時に征司郎が腰を動かし、繋がった部分を擦りつけ合う。より律動を欲しがるかのように、高坂の両足が、征司郎の逞(たくま)しい腰に絡みつく。
一連の行動を目で追いながら、いつの間にか英成の呼吸は荒くなっていた。父親とその秘書の理解しがたい行為に、忌々しいことに魅了されつつあった。
「んうっ、んっ、あっ……、あっ……ん」
征司郎が唇を離した途端、高坂が歓喜の声を溢(あふ)れさせる。押し寄せる快感の波を耐えるかのように、緩やかに頭を左右に振っていたが、ふとした拍子にまた英成と目が合った。
非常に整った顔立ちをしてはいるが、どこから見ても男である高坂が、女のように乱れている様は、独特のいかがわしさと色気があった。それに、道徳心や理性を失わせてしまう、強力な毒のようなものも。
「――わたしの息子が気になるか」
高坂が視線を向ける先に気づいたらしく、征司郎がそう言って笑う。なぜか英成のほうがうろたえてしまったが、高坂は肯定とも否定とも取れる仕種で視線を伏せた。そんな高坂の目元に唇を押し当てた征司郎が、次に英成に言葉をかけた。
「お前も、高坂が気になるだろう?」
「あっ……」