あっと思う間もなく、そのまま一哉は自分よりも大きな男の体を抱えた状態で、縁側に仰向きに倒れていき、後頭部を床にぶつけた。
「お前、酔ってるだろう」
「酔ってる。俺は酔ってるよっ」
痛みを堪えて訴えた一哉の唇に、乱暴に覆い被さる男の唇があった。
ビールや日本酒の匂いの混ざった彼の舌は強引に唇を割り、一哉の口腔へと潜り込む。
生暖かくぬめりを持った茂人の舌は、歯の裏を探り、顎を突つき、奥へと隠れている一哉の舌を探り当てると、絡め合わせてきた。
「…んっ」
上から覆い被さる体重に押さえつけられ、一哉は手すら満足に動かせない状態で、それでも抵抗を試みる。
お互いの胸の間に挟まれた掌で茂人の胸を押し返そうと上向きに力を込め、足の間に挟まった男の腰から逃れようとした。
けれど抗えば抗うほど、捕らえた獲物を逃がさないように絡め取る獣がごとく、茂人は全身に力を込め、一哉の体を締め付けた。
強く押しつけられる腰が太腿に当たり、彼の欲望がじわじわと熱く、強くその存在を誇示していくのが感じられて、一哉の背筋に冷たいものが走る。
なんとなくではあるが、感じていた欲望。茂人から自分に対する。そして自分から茂人に対する。愛情という霞のようなものでなく、もっと即物的な、「欲しい」という欲求。乗り越えなくてはならないハードルの手前にある、生々しい本能だ。
「一哉…っ」
ようやく唇を解放した茂人は、涙声で一哉の名前を呼ぶ。眉を顰め唇を歪め、潤んだ目には涙が溜まっている。自分より大きな図体をしながら、四歳年下であることに違いはないのだと、一哉は改めて認識する。
「どうして今頃、俺の前にやってくるんだよ」
茂人は、この間の夜と同じ台詞を吐き出した。胸のつかえを吐き出すように、大粒の涙が頬を流れ落ちる。
「もう忘れようと思っとったのに、どうして今になって…」
茂人は彼の言う通り酔っている。酔っているけれど、自分が何をしているか、全部わかっているに違いない。
僅かに緩められた腕の力。
一哉は自由になった手で茂人の頬を撫で、涙の滴を指先で掬う。
「ごめんな」
その涙で濡れた指先で茂人の唇を撫でると、彼はうっすらと唇を開き、塩の味のする一哉の指を嘗める。
爪と指の間を先端で抉り、ゆっくりと付け根まで下りていくその様は艶を含み、一哉の体の奥で眠る感覚を呼び覚ました。
「ごめん。茂人、ごめん」
謝るべきことなのか、一哉自身わかっていなかった。けれど、自分がやってきたことで、ようやく固めた茂人の決意を揺るがし、彼をこうして泣かせていることは、紛れもない事実だ。
一哉は体の緊張を解き、両腕を伸ばして茂人の後頭部を撫でながら自分の胸へと引き寄せる。直接伝わってくる心臓の鼓動が、互いの心の内を解き明かしていく。
二人の間にわだかまっていた物は、なんだったのか。大人になろうとしている茂人。大人になったつもりでいる一哉。
どこかで繋がって絡み合った過去。
唇を重ね、お互いの肌の温もりを感じ、共に上りつめれば、何かを越えられるかもしれない。
漠然とした意識。泣き笑いの表情を見せる茂人は、恐る恐るではあるが一哉の服の下へ手を忍ばせ、Gパンのファスナーを下ろした。落ち着かない様子で靴を履き捨て、縁側に押しあがって、一哉の体を撫で回す。
「茂人…逃げないから」
せわしない彼の手の動きが、一哉を煽っていく。神戸へ一緒に行くと言っている祥子がいる以上、まさか童貞ではあるまい。
でも、哀しくなるぐらいに余裕のない彼の動きが、茂人の真剣な心を表しているように思えてくる。
一哉は茂人の背中を抱きながら、自分の中へ侵入しようとしている男の着ている物を脱がせ、彼の汗をかいた背中を直接抱きしめる。
風呂の中で一哉に背中から抱きしめられ、ただされるがままにしていた子供は、すでにいない。確実に成長した男は、今、一哉を抱きしめようとしている。
己の中の何かを打ち破り、前へ進むために。
茂人は露になった一哉の下半身にためらいもなく舌を伸ばし、音を立てながら執拗なまでにそこを愛撫する。快感をやり過ごして縮まる一哉の足の指先さえも捕らえ、膝からゆっくりと掌で撫で上げていく。
膝の間に挟まるようにした、ラグビーで鍛え上げられた体は、見事なまでの筋肉に覆われていた。何度も高みにまで追い上げられた一哉は、濁った意識の中で茂人のものへと手を伸ばした。
手の中で熱く息づく存在を実感し、一哉は笑った。
「…そうだよな」
口の中で一人で納得したように呟く。そしてやがて、茂人は一哉と繋がるために、体を移動させる。
「会いたかった」
奥の奥まで一哉の中へと進み、苦しい声で茂人は訴える。
「会いたかった、ずっと会いたかった。いっちゃんに会いたくて…毎夏、待ってたんや」
一哉の細い肩を上から押さえつけ、茂人は胸の一番奥に隠していた言葉を伝える。
「うん」
目の前が赤くなりそうな痛みを覚えながらも、飛びそうになる意識をぎりぎりで堪え、一哉は茂人の言葉に応じる。
「ごめん…な、茂人、ごめん」
茂人は首を左右に振ってから、謝りの言葉を口にする一哉の唇を覆う。
「でも、会えて嬉しかった」
揺らぐ心を恨めしく思いながら、でも会えて嬉しかったと思っているのも事実。
いつも待っていた。
最初の冬を越し、次の夏が訪れ、さらにその次の夏がやってきても。
茂人は待っていた。約束を守って一哉はやってくると。ずっと待って。
そしてやっと、やってきた。矢田のばあちゃんからその話を聞いたとき、茂人は驚きながらも、嬉しくて仕方がなかったのだ。やっと会える。
けれどやってきた一哉は、何も覚えていないようだった。邪気のない言葉に傷つけられながら、茂人はそれでも一哉を忘れられていない自分を思い知らされた。一哉が忘れていても、自分は忘れられない。それでも仕方ないと諦めて、そのまま終らせるつもりだったのに。
一哉は、凧を飛ばす約束を覚えていた。おまけに一人で凧を作りながら、ごめんと自分に謝るのだ。
茂人の心の中で、何かが溶けていった。一哉を愛していると思った瞬間に。
「俺はいっちゃんが、好きやった。大好きやった」
激しくなる動きに、一哉の意識はゆっくりと薄れていく。
でも、絶え絶えの息で紡がれた茂人の過去形の告白だけは、聞き逃すことがなかった。受け止めなければならない。目を逸らさずに。そうしなければ、自分も前へ進めない。
一哉は答える代わりに、背中を抱きしめる腕にさらに力を込めた