【ウェブ小説】その背徳さえも媚薬と化して<第4話>

その背徳さえも媚薬と化して

著作 如月一花     Illustration 南香かをり

 

第4話

昼休みをきちんととらず、自慰行為をしているなんて知れたら、仲間からは総スカンだ。

周りに迷惑をかけてはいけないと、懸命に仕事をするうちに九重が帰社した。

「戻りました」

「お疲れ様」

海が言うと、九重が会釈してくる。

少し話せたと思えば、よそよそしい時もあるのが彼らしい。

まだ仕事がいち段落していないので、パソコンに向き直ると、九重は一人でカタログの修正を始めてしまう。

(あっ、私のミスかも知れないのに)

海は慌ててデスクに駆け寄った。

「九重くん!」

「町田さん」

「カタログのミス、私もやるって言ったじゃない。すぐにやるから、会議室借りて一気に終わらせましょう?」

「はい……。あの、他の仕事は」

「いくらやっても、私の仕事は今日中には終わらないから、先にこっちを終わらせよう?」

海はそんな言い訳をしつつ、九重が持っていた紙袋を持って会議室に向かった。

普段はあまり使わないそこに入ると、二人でカタログを広げる。

九重と二人きりだと思うと、海はまた胸が高鳴ってきてしまう。

意識しないようにするほど、余計に九重を気にしまうので距離を取って仕事をすることにした。

「町田さん、結婚して何年ですか?」

「いきなり何? そうだな〜。今、二十八でしょ。二年、経ったかな」

「俺と同じ歳で結婚したんですね。決め手とかあったんですか?」

「ん〜」

海は思い出そうとしたが、なぜか霞がかかったように思い出せない。

あの頃は、ただ奏多が好きだった。

そして同時に、奏多も海のことを好きだと言ってくれていて、自然とそんな流れになったんだと思う。

海は積極的な方ではなくて、奏多が結婚に踏み切ってくれたことが嬉しくて、ふたつ返事でオーケーした。それは確かだ。

ただ、奏多がなんで自分を選んだのかはよく分かっていない。

「結婚ってしてみてどうですか? 毎日幸せですか? 惚気話聞いてみたいです」

「私の惚気話? 九重くん、変わってる」

海は手を動かしながら苦笑した。

九重は黙々と作業しながら、海の方をちらりとも見ない。

自分の結婚が少しでも九重との話題におもしろおかしく使われたらと思うのだが、生憎、惚気話が何一つない。

(どうしよう。奏多とはハネムーン以来、何もないし。普段はほとんど喋らないし)

「旦那さんって、町田さんのこと普段はなんて呼んでるんですか?」

「海って呼んでる」

「へえ。二人の思い出のデートとかは?」

「うーん。私たち、友達の紹介でね。そんなにデートしてないの」

海が思わず言ってしまうと、九重が顔をあげた。

「あんまり付き合わないで結婚したんですか?」

「そう。勢いで結婚したっていうか。いい人いるよって言われて、プロポーズされたの」

海は思い出すうちに胸が軋んできた。

あの頃、確かに奏多は海のことを思ってプロポーズしてくれたはずだ。

それなのに、今は口もほとんど利かずに仕事ばかり。

海も一人で家にいるのが嫌で、働いているのを良いことに残業も気軽に引き受けている。

もしかしたら、そんな歪みが九重にはバレてしまっているのかもしれない。

「でも、凄く幸せだから」

「そう、ですか」

九重は一瞬探るような目をしたものの、すぐに仕事に戻ったので、海も手を止めることなく進めた。

今の状況を幸せだと言うのは明らかにおかしい。

じゃあ、九重に好きだと告白したら、気になっていると告げてみたら、どうなるんだろう。

(私はこの会社にはいられなくなるし、不倫妻のレッテルを貼られる)

狭い会社で、手近なところで済ませたと笑われるだろう。

九重は真面目だから、欲求不満な女から狙われたと、周囲が一方的に海を悪者にするのは目に見えている。

今出来る最善の方法は、自分は幸せだとアピールすることだけだ。

だが九重の長い指を見つめながら、丁寧に書き直していくところを見ているとついぼんやりしてしまう。

奏多と比べて、体つきも細く営業の割に奥手なところが押し付けがましくないと、評判に繋がっている。

海にとって、そんな九重の奥手なところが、丁度いい関係を保ちつつ、一方的にほんのりと好意を寄せるには、程よいのだ。

でも、本音を言えば九重ともう少し関係を深められたらと思っている。

今だって会議室で二人きりなのに、お互いの距離が縮まるようなことはない。

それどころか、惚気てくれと言われて、息苦しい思いまでしている。

九重は海が幸せそうにしているのを望んでいるんだろうか。それとも何か不満を口にするのを望んでいるのだろうか。

海はそっとカタログを取って、ペンで修正をしていく。

いつの間にか無言になっていて、思わず口を開いた。

「九重くん。彼女は?」

「いません」

「へ、へえ。いると思ってた。人気なのに。社外で告白されたりしない?」

「そういうの、断ってるんで」

「そう……。好きな人でもいるの?」

海が言うと、九重が頬を染めた。

「……いますね」

「誰? うちの会社小さいけど、私でよければ力になるから」

「遠慮しときます。そういうの、結局バレるじゃないですか」

九重は顔を逸らして、さっさと作業に戻ってしまう。

「信用ないなあ。九重くんの不利になるようなこと言うわけないでしょ?」

「もう結婚して幸せなら、独身の俺のことからかわないでください」

九重が少しムッとしたように言うので、海は意外だった。

こんなことで怒るなんて、と思いつつ頭を下げる。

「ごめんなさい。からかうつもりはなくて。本気で何か手伝えればと思って」

「だったら……たまには俺とご飯くらい付き合ってくださいよ」

「ご飯……?」

海が首を傾げると、九重は恥ずかしそうにしながらもはっきりした声音で言った。

「もう残業になってますし、この後ご飯でもどうですか?」

突然の誘いに、海は硬直した。

(九重くん、最近よく私のこと誘うけど……まさかね)

海はにっこり微笑み、手を止めた。

「ご飯作らないと。夫がご飯ないって怒るから」

「怒るんですか?」

「怒るっていうか、家にご飯があって当然って思ってるから」

「贅沢ですよ。たまには奥さん自由にしてもいいじゃないですか」

「九重くんの気持ちは有難いけど、うち、家事分担きちんとしてないから。私がちゃんとしないと夫も不貞腐れるの。だから、ごめんね」

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