御曹司の契約花嫁 【第五話配信】

第五話

御曹司の契約花嫁~期間限定の結婚ですが、溺愛されています~

著作:沙布らぶ  Illustration:ひなた水色

 

第5話

 

環希の口から出た言葉に、思わず咲李は彼の方を向いた。

すると、指先を握る力がほんの少しだけ強くなる。今しばらく話を合わせてほしい――言葉はなくとも、彼の考えていることはなんとなく伝わってきた。

「こ、告白ですか? 娘は一度も言っておりませんでしたが……咲李、本当なのか?」

父からも不思議そうにそう尋ねられて、咲李は壊れた人形のように首を上下させた。

「え? あ、う、うん! そう――ただ、やっぱり急すぎるかなっていうのと、環希さんのおじいさんのことがあるから、ふ、不謹慎かなって思って」

こうなったら、徹底的に彼の言葉に合わせるしかない。

少し早口になりながら頭に思い浮かんだことを話していると、ボロが出てしまう前に環希がそのパスを受け取ってくれる。

「咲李さんは思慮深い方なので、俺の家庭事情まで汲んでくれたんです。……お二人は、俺が咲李さんに渡した名刺を見てくださいましたか?」

両親が同時に頷く。

記されていたのは彼の名前と、会社で環希がついている役職についてだ。

「志津野商事の――」

「えぇ、そうです。今は祖父の知人が社長として社をまとめていますが、今後は俺が祖父の後を継ぐことになります」

更に、今後彼の祖父が亡くなれば、それに付随する手続きなどで更に時間がかかる。

「正直に言えば、俺は結婚に対してかなり焦りを持っています。今年で二十九になるんですが、親族からも三十までには結婚しろと急かされている状態でして」

「……急かされているから、娘と慌てて結婚すると?」

環希の言葉に、父が急速にその表情を曇らせた。

父からしてみれば、まるで数字合わせのように咲李と結婚しようとしていると聞こえたのだろう。慌ててなにか言おうと口を開いた咲李だったが、それよりも早く環希が言葉を発する。

「誤解をさせてしまったのでしたら、申し訳ありません。ただ、俺が気になっているのは、たった一点――全ての手続きが終わった時に、咲李さんが他の男性に盗られてしまうのではないかというところです」

「……は、はぁ?」

「お付き合いさせていただいた期間は非常に短いものですが、咲李さんはとても素直で、素敵な女性です。初対面の人間の、顔も知らない祖父の話を真剣に聞いてくれて――それに、彼女はいずれ菊露さんを継ぐような、職人の方と結婚するかもしれない」

職人としての経験がない咲李が店を継ぐとなれば、それは婿を迎えるという選択肢を取ることになるだろう。

敢えて店の経営難については触れず、環希は更に言葉を重ねていく。

父はすっかり彼の言葉に引っ張られていて、悲しげな表情で店の現状を語り始めた。

「娘から、聞いてはいないんですか? お恥ずかしい話ですが――菊露は、年内には畳もうと思っているんです。競合に勝ち目がないのと、私の代に入ってから客足が遠のいていて……」

「それでしたら、俺の方でなんとかします。……お店には、雪江さんの思い出もたくさんあるんですよね? それに、咲李さんは菊露のことを愛してる。俺にできることだったら、どんなことでもしますから」

黙って隣で話を聞いていたが、これは完全に環希の独壇場だ。

自分の熱意を伝え、更に父から菊露の現状という弱味を引き出す。その上で、店を守りたいという意思を告げれば気持ちは大きく揺らぐだろう。

彼が身を置くビジネスシーンの最前線では、常にこういったやりとりが行われているのか。そう思うと、咲李も少し恐怖を覚える。

「志津野商事は総合商社です。俺自身もマーケティング畑――販売戦略の部署出身ですから、お力添えできることだってあると思います」

「し、しかし……その、それだと、ウチばかりいい思いをしているような……」

「そうね。いくらなんでも、志津野さんにご迷惑をかけてしまうんじゃ……」

環希の言葉には、咲李が結婚を承諾した時のように、人を動かす力がある。

けれど、両親はお互いに顔を見合わせると、やや浮かない表情で環希たちの方を見た。

「迷惑?」

「だって、ウチは潰れかけの和菓子屋ですよ? 特筆するような商品もないし、テレビCMなんかを打ってるわけでもない。そんなウチの娘と、大企業を継ぐような人が……なぁ?」

「えぇ――言い方は悪いかもしれませんけど、咲李と志津野さんじゃ、生きる世界が……」

確かに、大企業の御曹司と小さな和菓子屋の娘では、釣り合うものがなにもない。

更に言えば、モデルのような顔立ちの環希と、ごく一般的な見目の咲李――両親が心配に思うのも無理はないだろう。

だが、環希はそこで一切引かなかった。

「……俺の祖父は一代で会社を立ち上げましたが、若い頃は商いを勉強するために呉服屋で働いていたそうです。そこでお世話になったのが雪江さんだとか――俺も咲李さんも、なにも変わりませんよ」

その言葉に、両親が再び顔を見合わせた。

しばらくの静寂が流れた後で、母が心配そうに咲李の方を見つめてくる。

「咲李……あなたは大丈夫なの? いつの間に志津野さんとお付き合いしていたのか知らないけど――きっと、大変なことだってたくさんあるはずよ」

「う、うん。それは――そうだと思うけど」

これは店を立て直すため、そして環希の祖父の願いを叶えるための契約結婚だ。

それを言い出せないのは心苦しかったが、ここで下手に両親を心配させたくもない。ちらりと環希の方に視線を向けてから、咲李は口元に笑みを浮かべた。

「大変だって思うことも含めて、環希さんと一緒にいられたら嬉しいなって思ったから。もちろん、わたしはこれからもお店で働くし――彼の力にもなりたいの。お母さんたちには心配をかけちゃって申し訳ないと思ってるけど……」

まるで、長年彼と交際をしていたようだ。

穏やかな声で、言葉はするすると口をついて出る。先日知り合ったばかりの男性と結婚をするとは思えないほど、滞ることなく彼への気持ちを述べることができた。

隣で聞いていた環希がやや驚いたような表情を浮かべるほど――その頃には、テーブルの下で握り締められていた指先は互いにしっかりと絡められている。

「……そうか。お前たち二人にそれぞれの考えがあるなら――俺たちが反対をしても意味はないだろう」

一通り話をし終えると、腕組みをしていた父が深い息を吐いて一度頷いた。

「お父さん……」

「幸せになりなさい。それだけ約束してくれるなら、あとはなにも言わん」

心から自分の幸せを祈ってくれている両親に、咲李の中で罪悪感がむくむくと湧き上がってくる。

わかっていたことだし、仕方がないと自分に言い聞かせてはいたが――どうにも両親のことを騙しているような気持ちだ。

「ところで、志津野さんのご両親にこのことは……」

「あぁ、それでしたらご心配なく。俺は早くに両親を亡くしているんです。祖父には婚姻届けを出してから報告をしようと思っていて」

両親の許しを得て、二人はこれから婚姻届けを役所に提出しにいく。

これからのことを環希とともに話しながら、咲李はどこかぼんやりとした心地だった。あまりにとんとん拍子に話が進みすぎて、どこか現実感がない。

(本当に、この人と結婚するんだ……半年間、おじいさんが亡くなるまでの期限付きだけど――)

きっと、環希の祖父が亡くなった後は、なにか理由をつけて離婚するのだろう。

環希は今恋人がいないと言っていたけれど、半年後にどうなっているのかはわからない。

別れる時の理由はその時考えればいいのだろうが、また両親に心配をかけるのかと思うと胸が痛んだ。

(勢いだけでここまで来ちゃったけど――これから、どうすればいいんだろう……)

妙に口が乾いて、半分ほど氷が溶けた飲み物に口をつける。

婚姻届けを出して家に帰ったら、必要な荷物を持って彼の家に向かうつもりだ。そうしたら、二人だけでの新生活が始まる。

普通の恋人同士ならばこれからの生活に期待を馳せるのだろうが――環希とともに暮らす未来というのが想像できず、今のところは不安でしかない。

「じゃあ、今日はこの辺で……咲李さん、これから役所の方に行こうと思うんだけど」

「は、はいっ! ……じゃあ、お母さんたちはここで――」

母は何度も環希に頭を下げて、父も彼に一礼をしてから店を出ていく。

二人はこのまま少し買い物をしてから家に戻るらしく、店内には環希と咲李の二人だけが残された。

「……お疲れ様。これで、一応ご両親の同意を得ることはできたけど――大丈夫だった?」

「大丈夫、です。嘘をついているみたいで、少し心苦しかったですけど」

例えば、環希が咲李のことをぞんざいに扱ったり、暴力を振るったりするような人でないというのはわかる。

ただ、世間一般で言われている「幸せな結婚生活」をこの契約結婚で望むのは不可能だ。少なくとも、咲李はそう思っている。二人の関係は、あくまでビジネスパートナーのようなものだ。

「そうだね。でも、こうして結婚っていう形をとるからには、できるだけ咲李さんに負担は掛けたくない。……大丈夫、俺に任せて」

「はい……」

笑いかけてくる環希に、咲李は笑みを返すことができなかった。

彼と結婚をすると決めたのは自分だったのに、いざそれが現実になるとどう振る舞ったらいいのかがわからない。

けれど今更この話をなかったことにしてくれとは言えない状況だ。結局、咲李は環希とともに役所に向かい、無事に婚姻届けを提出した。

「不安、だよね」

「え?」

「さっきから、表情が硬いから。最初は緊張してるのかと思ったけど……違うよね」

役所からの帰りは、環希が車で家まで送ってくれた。

車の助手席に乗ってぼんやりと外を眺めていると、不意に隣から環希が話しかけてくる。

「……その、少しだけ」

「俺は結婚とか、割と自分でも驚くくらい淡白というか――男と女だと、考えも変わってくるのかもしれないけど。やっぱり、女の人にとっては大切なことだろう?」

この人ならと思った男性と少しずつ心を通わせて、やがて家族になる。

咲李もそんな結婚生活を思い描いたことがあったし、そうなるのが普通だと思っていた。けれど、蓋を開けてみればこれから始まる結婚生活は、その対極だ。

「でも、決めたのはわたしです。環希さんに強制をされたわけでもないし、弱みとかを握られてるわけでもない――わたしが、自分の願いを叶えたくてあなたと結婚するんです」

本当は、不安で足がすくんでしまいそうだ。

でも、それを言ってしまうときっと環希は気を遣うだろう。彼からしてみればほとんどデメリットだらけの結婚なのだから、これ以上の心配をかけさせたくはない。

「そう、か。うん……じゃあ、これからよろしくね。きっと、大変なことはたくさんあると思うけど――俺が咲李さんのことを守るから」

優しくそう微笑んでから、環希はそこからさきはなにも言わなかった。

家まで送り届けてもらってからも、彼は車から降りる咲李ににっこりと笑って手を振るだけだ。

(この人と、一緒に暮らすんだ……)

車を発進させる環希に頭を下げて、そんな考えが頭をよぎった。

今はまだ不安が大きいが、きっとなんとかなる――彼がかけてくれた言葉を信じたい。

「……きっと大丈夫。環希さんのことを、信じなくちゃ」

自分に言い聞かせるようにそう呟いて、咲李は自分の家へと戻っていったのだった。

 

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