【第三話】
彼はニュースキャスター!~TL小説編集者の私~ 後編
著作:如月一花 illustrator:龍 胡伯
第3話
カタカタ、カタカタ。
静かにパソコンを叩く音を聞きながら、加奈は原稿に赤字を入れていた。
穏やか過ぎる職場は、今日も特に何もない。
以前の旅行雑誌の部署では、発売と同時に次の取材に行く手配をして、日本中を駆け巡っていた。
各地の名産品を探し、写真映えするスポットを撮影日ギリギリまで見つけ、そして現地の人しか知らないような名店も発掘する。
体がふたつあれば良いと思うくらい、目まぐるしい日々だったのだ。
それに比べて、こちらの部署は基本的に椅子から離れない。
原稿と睨めっこして、新作が出る時は慌ただしくなるものの、落ち着いていることが多い。
その新作も、まだ同じ月に二冊程度しか出していないので、焦りを感じることもなかった。
以前締め切りが過ぎたことがあったそうだが、来月に発売して無事に帳尻を合わせたとか。
その点でも、雑誌とは違う。
毎月毎月、五日発売だった旅行雑誌は、その日に発売できなければ大ごとになる。
しかも、会社の看板雑誌な為、遅れたら会社全体の沽券にかかわる。
そこからも、会社内でのTL小説の立場がうかがい知れる。
ようは急ぐほどの期待を受けていないのだ。
とはいえ、加奈は限界にきていた。
どうしてこんなに動かないのだろうと。
(飽きてきた……。みんな黙ってゲラの原稿読んだりしてるけど、外に出たりしないのかな。ここの人はもう慣れてるんだ)
加奈は周りを見回して肩を落とす。
それまで動き回ることが好きだったせいか、原稿と睨めっこして、作品に赤字を入れて指摘するのは難しいことでもあった。
へんに間違いを指摘して、作家が拗ねたら大変だからだ。
その点、自分たちで記事を書いたりライターに記事を任せたりしてしまう雑誌は、誤字脱字のチェックをするだけで良いので、原稿に長時間束縛されることもない。
そしてさらに問題なのは、今加奈が担当している作家が、自分で全く見直しをしないで初稿を送ってくることだった。
そこら中に誤字脱字があるし、内容で齟齬が発生している。
もう少し見直しを丁寧にして欲しいと思うが、編集長の片桐(かたぎり)いわく、その人は忙しいので無理にお願いできないとのこと。
加奈はたっぷりの赤字を見て、ため息を吐いた。
(こういうの得意じゃない私でも赤字だらけなのに、他の人が担当してたらどうなってるんだろ)
肩を落として、片桐に思わず声をかける。
「この作家さんに、一度で良いから見直して欲しいとメールを送っても良いでしょうか?」
「できれば避けてほしいけど。機嫌損ねて、他社に行くなんて言われたら大変だもの」
「そうですけど、私が見ても真っ赤ですよ?」
「そうねえ。じゃあ私から伝えるわ。少しでも波風立たないようにしたいから」
言われて、腑に落ちないものを感じる。
担当は加奈なのに、肝心の要求やお願いは片桐がするなんて、お飾りの担当者みたいだ。
それでなくても、成果を残したいと躍起になっているのに、片桐はどこか加奈を一人前と見ていないようなところがある。
「私がメールを打つと怒るでしょうか?」
「念の為よ。私から言われたとなれば、向こうも一回くらいは見直しするでしょう?」
「はあ……そうですね」
加奈はしょぼんと肩を落とす。
(担当は私なのに。この作家さんの悪い癖を見つけたのも私。それなのに、どうして)
加奈はもどかしい思いでいっぱいになる。
この作家はその癖を直せば、もっともっと売れる作家になると思ったのだ。
編集者の手を煩わせることがないようにすれば、もっと声がかかるだろう。
せっかく担当になったのだから、責任を持ってそこは教えて、才能を伸ばしてあげたい。
けれど、まるで煙たいものに触れるみたいだった。
「水瀬さん、むくれちゃって。初めての担当だものね?」
いきなり片桐に言われて、加奈は顔をあげた。
するといつの間にか横に立っていて、加奈は驚いて身を竦める。
「あの、すみません」
「良いのよ。やる気があるのって嬉しいから。それならあなたがメールしてみたら。語弊がありそうなら、電話でもいいし」
「でも、怒らせてしまったら」
「まあ、大体は大丈夫だと思うけど。言葉は慎重に選んでね」
「分かりました」
加奈は先方の作家との打ち合わせを思い出す。
気さくに話して、話も弾んだ。
指摘されたくらいで怒るとは思えないが、書き方には気をつけようと決める。
打ち合わせの段階でかなりノリの良い作家さんだとは思っていた。
それが文章にも表れていて、勢いで書いているのが分かる。
もう少しきちんと見直して文章のアラがなくなれば、もっと楽しい話になると思うのだ。
加奈はメールを開くと、作家にメールを送った。
『お世話になっております。
お忙しいところ申し訳ありません。
頂いた初稿ですが、もう少し見直しをして頂けると助かります。
その方が先生の文章も格段に良くなると思いますので、ぜひ、一度でも目をしっかり通して頂ければ幸いです』
(こんな感じで大丈夫だよね。顔も合わせてることだし)
加奈はメールを送信する。
すると思ったよりすぐに返事が返ってきた。
あまりの早さに驚きつつメールを開いて、加奈は目を丸くした。
『お世話になっております。
編集長から聞いてないでしょうか。
事情がありまして、見直しがうまく出来ない状況にあります。
それに、そもそも私は見直しが下手なのです。
これでも三回くらいは見直しをしているのですが、それでも手間を取らせているようでしたら、作品を引き下げます』
加奈は青ざめた。
この文面によれば、片桐は見直しがうまく出来ないことを知っていた。
だがそのことには触れてくれなかったし、メールを送ることも許可してくれた。
加奈に気を使ってくれたのかもしれないが、結果として作家の機嫌を損ねてしまっている。
こんなことなら、メールを送らない方が良かったのではないか。
加奈が作品を引き下げるという文言にドキドキしていると、片桐がいつの間にか後ろにいた。
「このメール、鵜呑みにしてる?」
「え? どういうことですか?」
「私がそのこと知っていたら、ちゃんと話すでしょう? 噂通り、ゴネるのが得意な作家さんね」
「ゴネる……」
加奈は何がなんだか分からなくなってきた。
(第四話へ続く)
第四話の配信は2/17予定