カタブツ年下公爵は引きこもり淑女を溺愛する【第五話】

第五話

著作 ひなた翠
Illustration 龍 胡伯

第5話

 

何かもっと大変なことかと――胸をなで下ろすソフィアは、彼の顔がさらに険しくなる前に説明した。

「あれは……そうですね。なんていうか……妹が同じだったので、もしかしたら泣き止むかなって思って試しただけです」

ハンナも泣きだしたら、何時間でも泣き続ける子だった。母はつわりが激しくて、ハンナの面倒まで気が回らず、乳母も困り果てていた。

ハンナが泣きだすと、ソフィアが母の着ているガウンを借りてハンナを抱っこし、泣き止ませていたのだ。懐かしい思い出だ。

「母親が身につけているもので包めばいいのか?」

「んー、コツがあるんですけど」

「コツとはなんだ?」

グッと一歩前に出て食い気味に質問してくるルーカスに、ソフィアは驚いて身体を後ろに引いた。

彼は幼い子どもとの接し方に困っているのだろうか?

(もしかして、すでに結婚どころか子どももいて、癇癪もちで悩んでいるとか?)

「え……っと、なんていうか」

「悪い。怖がらせるつもりはなかった」

「あ、私こそ、ごめんなさい」

(家族以外の人と近距離で話すのは、久しぶりだったから)

二人同時に後ろに一歩下がり、二人の間に距離が広がる。

あからさまに警戒する態度をとってしまい、傷つけてしまったとソフィアは心がツキンと痛んだ。

「怖がってはないです。ただ……驚いてしまって」

「もしかして、話すのが苦手か?」

ルーカスに的を射られて、心臓を掴まれたような気がした。他人に「苦手」だと指摘されたのは初めてだ。

「あ……いや……、はい、苦手です。ごめんなさい」

「どうして謝る?」

「質問に対して、すぐに的確な答えを言えませんでした。それがご迷惑かと思いまして。昔から下手なんです。頭に思い描いたものを言葉にするのに人より時間がかかってしまって。気が付けば違う話になっていたり、相手の気分を害してしまっていたり……」

それ以上言わなくていいと言わんばかりに、ルーカスがソフィアの唇に人差し指で触れた。ゆっくりと首を左右に振って、優しい笑みを送ってくれる。

(今度は語り過ぎた?)

対話に慣れていないせいか。話の加減が難しい。

ソフィアは自分の口を手で覆いつつ、続けようと思っていた言葉と一緒に唾を飲み込んだ。

「己の弱い部分を他人に話すのは辛いだろう。苦手なのはわかった。それ以上は無理に言わなくていい。赤ん坊が泣き止むコツを教えてくれないか?」

「……はい」

話し過ぎだという意味ではなかったと知り、ソフィアは安堵する。

(この人はとてもいい人なのかもしれない)

最初に自分に向けられた鋭い視線に恐怖を覚え、委縮してしまった。ソフィアが勝手につけたイメージなだけで、きっと根は優しい人なのだ。

(私が勝手に、思い込んでしまっただけだ)

「赤ちゃんって抱っこする人の気持ちを敏感に感じ取るんです。抱っこするときは、気持ちを落ち着けて、泣いてる赤ちゃんに寄り添ってあげると次第に泣き止みます。焦りや怒りはすぐに伝わってしまうので、余計に泣いちゃうんですよね」

「……そうか。ありがとう。姉に伝えてみる」

「お姉さん?」

「そうだ。姉の子がわけもなく泣きだし、困り果てていた。何をしても泣き止まず、本人が泣きつかれて眠るまで放っておくしかないと悩んでいたから、さきほどのコツを伝えたくてな」

「そう、なんですね。てっきりルーカス様のお子様のことかと……」

「俺に子どもはいない。ましてや結婚もしていない」

「しっ、失礼しました!」

失言をしてしまったと、ソフィアは慌てて頭を下げた。

「何を謝る?」

「……怒って、ないのですか?」

「怒る? なんで?」

ルーカスが不思議そうな表情をして首を傾げた。

「私は今、失言をしました。ルーカス様がご結婚なさっているかと思って……」

ソフィアの言葉にルーカスの表情が緩み、くくくっと喉の奥で笑った。

「そんなことで他人は怒るのか? ただの勘違いだろ? 俺は気にしない」

「でも」

「何度も言うが、俺は気にしてない。だから、あんただって気にしなくていい」

「ありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしていない」

くすっと笑い、ルーカスが「さて」と呟いて、一度後方を確認した。

(いけない! ルーカス様は準備が整ったことを王太子殿下に伝えにいく役目があるのに!)

「あっ。お忙しいのに呼び止めてしまって申し訳ありません」

「呼び止めたのは俺だろ。パーティには顔を出さないのか?」

「私は妹の顔を見にきただけですから。それに……殿下の元婚約者だった女が、お祝いの席に顔を出したら雰囲気を壊してしまいそうで申し訳ないので、私は帰ります」

別れの挨拶を告げ、ソフィアはルーカスに背を向けて廊下を歩きだした。

婚約破棄後に公の場に出てきたのが子どもの誕生祝いだった――なんていう話題を広間で囁いてほしくない。人生を狂わされた腹いせに子どもの命を狙うかもなどという悪い話まで出てこられては、一生引きこもりになってしまいかねない。

ハンナが大変な思いをして産んだ子どもを純粋に祝ってほしいから、悪い噂の種になりうる自分は姿を現すべきじゃない。大切な晴れ舞台を汚すような行動はしたくない。

(出ないの? と聞かれたのは嬉しかったな)

ソフィアは歩き出した足を止めて、振り返った。さっきまで立ち話をしていた場所に視線をやるが、もう誰もいない。

ルーカスはもう、王太子のもとへと向かったのだろう。

さきほどまで目の前に立っていた彼の姿を思い出すと、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。

そっと胸に手を当てて、二人の会話を思い出す。

『そんなことで他人は怒るのか?』

(そうです。人は『そんなこと』で怒るんですよ、ルーカス様)

何度も人の顔色が変わっていく様を見てきたソフィアだからわかる。気にし過ぎだと言われれば、そうなのだろう。

でもソフィアの人生の中で『気にしない』という選択肢は今までなかった。

ルーカスは『気にしない』人生の中で生きてきたのだろう。その差が今の生活の差を如実に表している。

彼は元婚約者とその子を警護していた。王太子への信頼を欠くことなく、任務を全うしている。

じゃあ、ソフィアは――?

未だ二年前の出来事から時間が進んでいない。動き出すことを恐れている。王太子のときと同じように誰かから拒絶され、破棄されるのを恐れて、自らの殻に閉じこもったままだ。

「このままじゃ……いけない」

(動き出さなきゃ)

深呼吸をして、目を見開くとソフィアは前を向く。

背筋を伸ばし、歩幅を大きくとると、速足で歩き始める。

薄暗く見えていた廊下がほのかに明るく見えだす中で、ソフィアは止まっていた自分の時間を動かそうと決意した。

第二章

パーティから一夜明けた午後。ソフィアはバルコニーに用意されたテーブルにつくと、期待に満ちた笑みで近づく母親に気が重たくなった。

「ねえ、昨日はどうだったの?」

(やっぱり、その質問なのね)

ティータイムの席につくなり、母が身を乗り出して聞いてくる。興味津々で目が輝いているが、母親が期待するような答えなどソフィアは持ち合わせてはいない。

「ハンナは思ったより元気だったなっていう印象かな。でもやっぱり疲れ気味なのか、あまり顔色がいいとは言えなかったわ」

「そうじゃなくて……! ハンナの体調も気になってたけど、パーティに出席したなら、出会いの一つや……」

「出てないわ!」

母親の言葉を最後まで聞かずに、ソフィアは大きめの声をあげて遮った。

出会いなんてそう簡単に転がってない。

「お母様、私は昨日……ハンナの様子を見にいっただけです。パーティには行ってないの。期待するような出来事なんて何もない。殿方には会ってないわ」

「……そうなの。残念ね。でもハンナの元気な姿が見られたのなら、良かったわね。ソフィア、心配してたものね」

「ええ。ハンナの娘も可愛かった。泣き声も顔も、ハンナそっくりよ」

これ以上聞かないでというソフィアの気持ちが通じたのか。寂しそうな笑みを浮かべながら、母はハンナの話へと切り替えた。

「それは大変。性格まであの子に似たら、すごいお転婆な子になっちゃうわ」

「お母様ったら、ハンナはお転婆じゃないわ。きっと素敵な子になる。どんなレディに育つのか、今からとても楽しみ」

ソフィアはクスクスと笑いながら、紅茶を一口含んだ。茶葉の香りが鼻の奥に広がって、心が安らいでいく。

(言うなら、今がチャンスかな)

昨日、決意した気持ちを母親に伝えようとソフィアは意を決した。

大きく息を吸って「お母様」と声をかけ、真っすぐに前を向く。

「社交界に戻ろうと思うの」

「……え? どうしたの? 昨日、誰かに何か言われたの?」

 

(このあとは製品版でお楽しみください)

 

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