カタブツ年下公爵は引きこもり淑女を溺愛する【第四話】

第四話

著作 ひなた翠
Illustration 龍 胡伯

第4話

 

自分のやりたいことと、見たくない現実を天秤にかけた結果、パーティには参加せず、妹の姿だけを見て帰るのが一番いい行動だと考察した。

廊下を進んでいくうちに、赤ん坊の泣き声が徐々に大きくなっていくのがわかった。どこか懐かしい泣き声に、ふと昔の情景が思い起こされる。

脳裏に映るのは、ハンナの泣き声が家中に響き渡り、心配でいつも母の部屋を覗きに行っていた幼い自分だった。

(そうだわ。ハンナの泣き声とまるで一緒)

すでに弟を身ごもっており、酷いつわりで横になりながら怖い顔をしている母と、何をしても泣き止まずに困り果てた乳母の気苦労に、子どもながらに同情したものだ。

懐かしいと頬を緩めていると、使用人が足を止めた。ソフィアも続けて止まると、部屋の前で無表情で立つ青年が目に入った。

ドアの向こう側からぎゃんぎゃんと赤ちゃんの泣き声が聞こえるため、必然と使用人の声が大きくなる。

ハンナの姉であるソフィアが会いに来ているという旨を使用人が告げると、青年のまるで刃物のような鋭い視線が私に向いた。

(この人……ルーカス・ターナーだわ)

王太子のいとこで、国の軍事を統括している公爵だ。国王陛下と王太子から、誰よりも強い信頼を得ている人物。

(なぜここに? もしかしてハンナの警護をしているの?)

彼もまた二年前の騒動で、ソフィアと同じように煮え湯を飲まされた人物だ。ルーカスは当時、すでにハンナとの婚約が決まっていた。しかもソフィアの婚約破棄を伝える手紙と、ハンナへの結婚申し込みの手紙を家に届けにきた人物でもある。

すっかり忘れていたが、あの日……一番、苦汁を飲まされたのは彼だ。どのような手紙を託されたのかを知っていて、王太子の命令で家を訪ねてきたのだから。

自分ばかりが一番の不幸者だと感じて視野が狭くなっていたが、彼の方が何十倍も辛い局面に立たされていたに違いない。

当時は年若い二人同士、王太子の結婚後に夫婦になるのでは……という憶測が飛び交っていた。ハンナもその気で、フィルシア王国一の強い男と称されており、さらには顔が格好いいと女性たちに人気のあるルーカスとの結婚を心待ちにしていたのを憶えている。

しかし、現実はハンナとローガン王太子が結婚した。

結果としてソフィアは独身で、結婚の予定もない。同じように扉前に立つ精悍な顔立ちの彼が、現在独身かどうかは知らない……が、彼はまだ若い。確か十八歳だと記憶している。

自分と違って、男性だ。いくらでも結婚のチャンスは巡ってくるだろう。

ルーカスとの共通点に一瞬だけ湧いた親近感は、自らあっという間に打ち砕いていた。彼と自分は違う。やはり取り残されるのは自分だけなのだと、感情は悲しみに差し替えられた。

(彼は強い人だわ。二年前のことが忘れられなくて外に出られない私と違って、元婚約者だった女性の警護をしているんだもの)

いろんな思考を巡らすうちに、ハンナがいる部屋のドアが開いた。瞬間、耳をつんざくように響き渡る赤ん坊の泣き声に、胸中で渦巻いていた悲しみの感情が消え、不意に微笑ましい気持ちが湧き起こっていた。

(そうだわ。私はハンナと赤ちゃんを見にきたのよ。二年前を思い出して、悲しみに浸っている場合じゃない)

ハンナの元気な姿を一目見たい。

例え元気でなかったとしても、噂通りの状態か否かを己の目で確認したかった。

「王太子妃殿下、ソフィア・ハリス様です」

「え? なに? ルーカス、何か言った?」

赤ん坊の泣き声によって、ルーカスとハンナのお互いの声がかき消されていく。

その中で、ソフィアはルーカスの後ろから恐る恐る顔を覗かせた。

一段高い位置で、一人掛け用の椅子に座っているハンナの姿はすっかり大人びた表情になっていた。ただソフィアの目からは、昔よりも頬がこけて疲れているように見えた。少し身体の線も細くなっていて、やつれているという表現になるかもしれない。

産後の体調が芳しくないという噂は、本当だったのだろう。

「ねえ、だからルーカス、何……――」

泣きわめく赤ん坊から顔を上げ、急くようにもう一度聞き返そうとしたハンナと、ソフィアはそこで目が合った。久方ぶりの姉の姿にルーカスの告げた言葉を理解したのだろう。言葉途中に大きく頷くと、ぐったりと座っていた態勢を変えて立ち上がった。

「ソフィア姉さま! 来てくれたの?」

二年前の面影が残る愛らしい笑顔で壇上から降りるハンナは、両手を広げて近づいてきた。

ソフィアの前に立っていたルーカスがスッと移動して部屋の端に控えると、ハンナは再会に喜ぶように抱きついてくる。

「元気だった? 久しぶりに顔が見れて嬉しいわ」

「ハンナが体調を崩している噂を耳にして、心配だったから来たのよ」

「何それ。噂に過ぎないわ。あたしは元気よ」

「……なら、良かった」

ソフィアが軽く抱き返すと、ハンナはにっこりと微笑む。弓なりになった目の下は化粧で隠してはいるものの、黒くくすんでいた。相当ひどいクマがあるのだと伺える。

きちんと眠れていない証。本当に体調は大丈夫なのだろうか。

(とても疲れているように見えるのに)

姉の前でカラ元気を装わなくてもいい。昔から我慢強く、弱いところを見せたがらないハンナだ。家族の前であっても『王太子妃』として振る舞っているのかもしれないが、ソフィアには逆に無理しているように見えて胸が辛くなる。

せめて家族の前だけでも弱音を吐いてもいいと思うが……ハンナはそうは思っていないのだろう。ただせめて、自分の弱い部分を王太子に話し、甘えられる関係であればいい。

「ねえ! 寝かしつけにどれだけの時間がかかってるの! いい加減にしてよっ!」

ソフィアから離れたハンナが振り返りながら、聞いたことのない低い声で赤子を抱っこする侍女に怒鳴った。

侍女の肩がびくりと大きく跳ね上がり、「申し訳ありません」と震える声で謝る。

「ちゃんとしてよねえ。これじゃあ、いつまで経っても大広間に行けないじゃない! ルーカスだって、殿下に報告しに行けなくて困ってるでしょう。あなたのせいよ!」

キッときつい目でハンナに睨みつけられた侍女は、ますます身体を縮めてしまう。赤ちゃんと一緒に今にも泣きだしそうな表情だ。

赤ちゃんの泣き声がさらに大きくなり、ハンナが大きなため息を一つ零した。

(ピリピリしたハンナ、初めてだわ)

余裕を失うくらい疲れているのだと思うとソフィアは悲しくなる。明るい笑顔のハンナが消えてしまったように感じられた。

性格を変えてしまうくらいに、妊娠や出産は女性にとって大変なことなのだろう。

「使えない侍女たちで困るわ。お母様の元にいた乳母や使用人たちをここに呼びたいくらい」

「ハンナ、ちょっとストールを借りてもいい?」

「ん? いいけど……どうするの?」

「試したいことがあるの」

ソフィアは、ハンナから肩にかけているストールを借りると歩き出した。すっかり縮こまってしまった侍女の元へいくと、「ちょっといいかしら」とストールを赤ちゃんの身体に巻きつけながら抱っこする。

すると、侍女が今まで何をしても泣き止まなかった赤ん坊の声が少しずつ弱まりだした。ソフィアの腕の中で、あっという間に安心したようにスヤスヤと眠りにつく。

すぴー、と可愛く鳴る鼻息が可愛くて、思わずソフィアの顔に笑みが零れた。

「眠ったわ、ハンナ」

「……え? なんで?」

小さく驚きの声をあげて、ハンナがソフィアに近づいてきた。

「いつも泣き出したら何をしても止まらなくて……ありがとうございます」

侍女にまで頭を下げられて、ソフィアは恥ずかしそうに首を振った。

「お姉さま、どうして?」

「母の温もりと匂いがあると、子どもは安心するっていうから」

ソフィアは眠った子を、侍女に返す。侍女が、豪華なベビーベッドにストールを巻いたまま寝かせると、ハンナの顔色が変わった。

「今がチャンスよ。大広間に行くわ。すぐに準備して」

「あ、でも」

侍女の視線がソフィアに向く。

「今しかないでしょう! いつ起きて泣きだすかわからないの。癇癪もちの娘だなんて知られるわけにはいかないんだから。今すぐよ。早く!」

ハンナにはもう、ソフィアの姿が見えていないようだ。

昔から「こう!」と決めたら、周りが見えなくなる子だった。今はもう、娘を披露することで頭がいっぱいなのだろう。

ソフィアは「気にしないで」と侍女に笑みで伝えると、静かにドアに向かって歩き出した。背後では、ハンナが新しいストールを持ってくるように命令している声が聞こえる。

(疲れ気味だけど、王太子妃として頑張ってる……ってお母様に伝えなきゃね)

ドアに控えている使用人に目で合図を送り、ソフィアは部屋を後にした。

扉が閉まる瞬間、ルーカスに「報告してきて」と王太子への伝言をハンナが口にするのが耳に入った。元婚約者でも、今はもう違う関係を築いているのだと思うと、一人だけ取り残されたような気がして寂しい気持ちになる。

待機していた使用人にまた案内されながら、ソフィアは廊下を歩く。

妹を一目見れて満足だ。我がままを言えば、もう少し話したい気持ちもあったが……それは別の機会にとっておこう。

次に会えるのはいつだろうか。

泣いていた赤ん坊が庭を走り回るころだろうか……などと思いを巡らせながら歩を進めていると、後ろから追いかけてくる足音が聞こえた。

すぐ後ろまで迫る足音に立ち止まって振り返ると、意外な人物が立っていた。

「ルーカス様?」

「帰るのか?」

「はい。妹の顔が見れたので」

名残惜しさは出さず、そのままの気持ちを口にすると、なぜかルーカスは難しい顔をした。返答におかしな部分は何もないはずだけれど。

「なぜ、さっき泣き止んだのだ?」

「ああ、そんなことですか」

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