カタブツ年下公爵は引きこもり淑女を溺愛する【第三話】

第三話

著作 ひなた翠  Illustration 龍 胡伯

第3話

 

第一章

 

『お茶の時間にしましょうか』

母の声掛けで読んでいた本に栞を挟んだ。深いグリーンの質素なドレスで立ち上がると、ソフィアは後ろにいる母親の視線の先を追う。

今日はテラスで焼き立てのスコーンと紅茶を楽しむようだ。テラスにある白いテーブルの周りで、いそいそと二人のメイドがお茶の準備をしているのが見える。

「今日はね。ソフィアにお手紙が届いているのよ」

「私宛に?」

ここ二年ほど、自分に宛てて手紙を書いてくれる人などいなかった。厳密にいえば、二年と二カ月。婚約破棄を知らせる形式的な文書が最後の手紙だ。思い出すと、胸の奥がツキンと微かに痛んだ。

それ以来、両親含め、屋敷にいるほぼ全員が私に対し、腫れものに触るかのような対応だ。

王太子との婚約が幼いころに決まり、お互いの年齢を考えて結婚もそろそろかというタイミングだっただけに、ショックは隠せない。

衝撃はそれだけではない。

王太子の次の婚約相手が、ソフィアの妹だったのだ。

『王太子妃として不適格だと判断した』とソフィアに宛てられた書簡と共に、妹には結婚を申し込む手紙が届いたのである。

屋敷中に微妙な空気が漂いながらも、ソフィアは自分の気持ちを隠して妹のハンナを祝い、送りだした。

あれから二年の月日がたち、妹は王太子妃として城で生活している。

ソフィアは変わらず、いまだに嫁ぎ先も決まらないまま、二十四歳となった今でも両親のもとで暮らしていた。

テラスのテーブルに着くと、淹れたての紅茶と一口サイズのスコーンを三つほど、目の前に置かれた。甘い香りにつられて手が伸びかけるが、向かいに座る母から差し出された白い封書にぐっと食べたい気持ちを抑え込む。

母から受け取ったのは、二年前と同じ見た目の封書だった。いい思い出なんて何もない。振り返るほど、胸の奥からどっと薄暗い何かが溢れ出てきて、封書の純白を恨めしく感じてしまう自分がいる。

「どうして」「なんで」という疑問はもとより、「なぜ私ではなく妹が?」などと二年前、封じたはずの黒い感情が顔を出すのだ。いけないとソフィアは頭を振って、心の中が大惨事になる前に奥へと押し戻して乱れかけた呼吸を整える。

手紙を自分の元へと引き寄せると、父親が一度中身の確認をしたのだろう。すでに封が開いていた。

「ハンナからだわ」

王太子との結婚のために家を出て以来、会ってもいなければ、手紙のやり取りもない妹だ。

今では産後の体調が芳しくないと風の噂で入ってくるぐらいの情報しかなく、それも話し好きな母が仕入れてくる情報で、確証はどこにもない。

噂は広まるほどに真実味が欠けていき、いずれはまったく別ものになっていることもある。

だからこそ、ありもしない話を本人の知らないところで真実として語る噂話の類いを、ソフィアは好まなかった。ゆえに母からハンナの話を聞いても話半分に受け取っていた。ソフィアのそんな態度が気に食わないのか、いつも不満げな表情を浮かべる母は、噂話よりも印象深かった。

「これって……招待状?」

その情景を思い出しながら封書の中を確認すると、招待状だけが入っていた。妹からの言葉が一言二言はありそうな気がして再度封筒を覗くものの、やはり招待状以外何もなかった。

「今度、城で行われるパーティね。ハンナの子どもが披露されるのよ。ハンナの娘だもの。きっと可愛い子だわ」

「お母様、ハンナの産後の回復があまりよくないってこの前、言ってなかった?」

仲良しの夫人たちでよく開催するお茶会で、母が仕入れてきた情報の一つだ。

結婚してから二回ほど流産し、慎重に慎重を重ねて二カ月前に女の子を産んだばかりだった。元気な子に対し、妹は体調を崩したまま、なかなか回復できずに床に伏せているという話だ。

ほんの数日前に母が知り、心配で食事も喉を通らないと話していたと記憶している。それなのに、前に座る母はスコーンを二つに割り、「美味しい」と幸せそうに頬張っている。食欲が戻るほどには、母も落ち着いたのだろうか。

いつも通り、話半分に聞くソフィアに対し、「大事な妹が可哀想じゃないの?」と詰め寄られたが、事実なら可哀想という感情よりも心配する気持ちのほうが強い。

できることなら、妹が好きな料理を持っていって少しでも体力が回復するようにと差し入れたいとは思うが……所詮は『噂』だ。こちらがほしいのは、確実な情報。嘘に振り回されたくない。

「私も聞いたときは心配だったけど、よく考えたら産んでもう二カ月以上経つのよ。さすがに元気になっているわよ」

「……だといいんだけど」

「私なんて、八人産んだけど、どの子のときも産んだ翌日からいつも通りの生活をしていたわ。ソフィアだって知っているでしょう?」

「知ってるけど」

そうではない人だっているはずだ。妊娠出産は母子ともに危険にさらされる。

「おばあ様だって私がソフィアを産んだあとにも、子どもを何人か産んでたし、産んだあとも元気だったでしょう?」

「ええ、そうね」

だからそれは、おばあ様と母だからじゃないか、と思う。流産はよくあることだし、生まれても幼くして亡くなる場合も多い。成人できるのはわずかだ。

母は八人産んで、八人とも育っている。一番下は六歳の男児だが、風邪もひかない健康な子だ。

その強い身体と丈夫な子どもを産むという結果を買われ、ソフィアは幼いうちに王太子の婚約者に抜擢されていたのだ。

妹のハンナだって、きっと同じ結婚の条件だっただろう。噂通りなら二回の流産を経験し、やっと生まれた子は娘。体調も芳しくないとは、辛いだろう。

王族だからこそ、男児の跡取りをどこよりも強く期待しているはずだ。せめて、ハンナと王太子の間に愛情が芽生え、彼女の不安を取り除いてくれる夫婦関係であればいいと願う。

「ソフィアだって、悪くないと思うのよ。ただちょっと表に出るのが苦手というか……人付き合いが下手というか……勿体ないのよ」

「え? なに?」

妹へ想いを馳せているうちに、母の話はとうに移り変わっていた。

会話の最後しか聞き取れなかったが、次の話題はどうやらソフィア自身の結婚についてのようだ。

「今度のパーティで、ソフィアを見初めてくれる殿方がいればいいんだけれど。あれからもう二年経つし、きっと知らない貴族の方だっているはずだわ。それに知っていても、ソフィアの美しさに……」

「……お母様、二年前の出来事を知らない貴族はいません。みなさん、ご存じです。それに私は美しくありません」

「あなたはもう、二十四歳なのよ。普通だったら、結婚して子どもを二人か三人は産んでて当たり前なのに。というか、二十四歳で未婚、出産経験のない女性なんているかしら」

「ここにおります。お母様、私に結婚は無理です。諦めてください」

にっこりと笑みを母に送ってから、ソフィアは席を立つ。

(スコーン、食べたかったな)

夢見がちの母の妄想には付き合いきれないと、お茶の席を後にする。これ以上一緒にお茶をしていても、母の夢物語を延々と聞かされるだけ。耳の痛い話だ。

どこかの高貴な殿方に見初められて、熱烈な恋文が届き、父親の元にも結婚の申し込みが入る。あっという間に結婚が整って、幸せになりました……という恋愛小説さながらな物語が展開されるのだろう。

現実は甘くない。

「私だって夢を見られるものならば、見たかった」

ぽつりと本音を零して、現実に戻る。ピッと唇を強く噛みしめると、テラスから家の中に足を踏み入れた。

もう夢を見る年齢を過ぎた。現実を見なくてはいけない。

十代の若い女性ならいざ知らず。二十代半ばの女性が見初められるわけがない。結婚で必要なのは、跡取りである男児を産めるかどうかだ。体力気力ともに落ちていくしかない女性を妻にしたいとは誰も思わない。もしいるとするなら、すでに後継者が決まっている年輩の後妻を探しているような人だろう。

次々と社交界デビューする若い女性に、どうしたってソフィアは叶わない。だから、どこかに嫁げる日がいつかくるなんて夢のような話に期待するのは、もう随分と前にやめていた。

 

◇◇◇

 

ハンナから届いた招待状を握りしめ、ソフィアは王太子が住まう城を訪れる。

何度か足を踏み入れたことのある城だが、王太子の元婚約者となってからは初めてだ。

いや、家を出るのも久しぶりかもしれない。婚約破棄の手紙が届いて以来、外出すらしていなかった。好奇な目と、憐れな視線を向けられるのが耐えられなかったのである。

そうでなくとも多くの人が集う場所が苦手で、公の場にあまり参加してこなかった。幼い頃より王太子と婚約が決まっていた慢心もあったからだろう。だからといって、反省して今さら社交場に顔を出すような厚顔無恥にもなれそうにない。

結果、結婚相手を失い、羞恥をさらしたソフィアは、恥の上塗りを避けるようにますます社交場に寄りつかず、家族以外の人間と距離を置くことになっていた。

――こうして、引きこもり生活となったソフィアだが、今日は違う。

妹の元気な姿を目にしたくて、重い腰をあげたのだ。噂通り、妹の体調が芳しくないのか。祖母や母のように、産んだ後も元気で過ごしているのか。自分の目で見て、確かめたいと思った。

入城以降、案内に前を歩き続ける使用人の後につきながら、ソフィアは一人吐息を漏らす。

(ハンナ、元気だといいんだけど……)

母には何度もパーティには参加しないと口にした。ハンナの顔を見たら、すぐに帰宅すると言っているのに、都合の悪い部分は耳に入ってこないのか。いつまでも少女のようなお伽話を言い聞かせてくる。

自分が十歳若ければ、母の話を真に受けて期待に胸を膨らませて、パーティに参加していたかもしれない。悪夢のような日々から二年が過ぎてもまだ、ソフィアは好奇な目に晒される。社交の場からすっかり身を引いた女が姿を現そうものなら、吹聴された噂話に一気に火がつき、盛り上がることだろう。想像しただけで恐ろしく、身の毛がよだつ。

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