異世界で就職したら、花嫁として溺愛されました!?
著作 みなせ遊砂 Illustration 蘭 蒼史
第5話
疑問を口にする前に、レイフはワイバーンの群れに向かって「アリスン」と個体を呼んだ。
アリスンがぶわっと羽を広げ、レイフのもとへ着地した。アリスン以外の呼ばれなかったワイバーンが、不満そうにぎゃあぎゃあと文句を言っているようだった。
アリスンがぎょろ、と赤い目でジェリィを見た。
視線を合わせたまま、ジェリィもじっと目に力を入れた。
しばらくそのままの状態でいて、間にいるレイフはそれを楽しんでいるように見えた。
アリスンは「しゃあっ!」と一度鳴いて、レイフの手にすり寄った。レイフは手綱をつけながら、「どうやらアリスンに認められたようだよ、ジェリィ」と言った。
認められる? 背中に乗ることを?
誰も彼も乗せはしない。ワイバーンなりの矜持があるのだろうか。
(と言うより、アリスンは良くてもわたしは乗りたくないんだけど!)
「ジェリィ。その鎧と兜、鬱陶しいだろうけど、外さないようにね。風の抵抗がすごいから」
そう言われても、これらをつけた瞬間から、ずぶずぶと足元が沈んでいっている。これを着て歩けるかどうかも不安だ。
「こんなもんつけてたら、アリスンが重くて飛ぶのつらいんじゃないの?」と言うと、レイフが「ははっ」と声に出して笑った。
兜の中で笑っているので、どんな顔をしているのかはわからないが、想像はつく。
ジェリィは声を荒げて、「アリスンのことを心配してんの!」と半ば叫ぶように言った。自分の声が兜に反響して耳が痛くなった。
「ジェリィみたいなちっちゃい女の子を乗せても、アリスンには何も乗ってないのと同じだよ」
腹が立つ。このくそやろう。
そう言ってやりたかったが身動きできない、声も出せない状態で、ジェリィには何もできることがなかった。
アリスンの準備ができたのか、レイフはジェリィを軽々とワイバーンの後方席に乗せ、ベルトをつけ、持つ場所を教え、姿勢を教えた。真剣な声だった。
それが終わると、レイフは前の席に乗り込み、「アリスン」と言って、アリスンの腹を軽く蹴った。
びょう、と風が舞う。アリスンの両足が宙に浮いたのだ。
そこから一気に上昇して、兜の意味を知った。こんな暴風、素顔では絶対受けられない。
ゆるやかに平行になり、レイフの指示を聞いたアリスンはじろりとジェリィを見て、飛行がゆっくりになった。レイフは初心者のジェリィに気を使ってくれたらしい。
月光の中、ゆったりと飛竜が飛ぶ。
さっきの湖が見えた。
その周りは鬱蒼とした森が広がっていて、アリスン以外の飛竜が一斉に飛んでいくのが見える。
普段は森で暮らしているのだろうか。
飛竜の生体を知っているわけではないが、そんなことを思った。
黒く汚れた城の天辺を越えて、雑草だらけの広い花壇を越えると、その向こうの街の明かりがちらちらと見えた。
(電気……は通ってなさそうだから、ランプかな)
際立って明るい店が何軒かある。
酒場だ。唇を舌で濡らす。酒は大好物の一つだ。
レイフはどうせ牧場に行くのだろうから、明日にでも一人で酒場に行ってやろうと思った。
ぐるりと回ると、暗がりに道が見えた。
ジェリィが馬車で通ってきた道だ。物凄くぼろかった。
馬車そのものが落ちるんじゃないかと思うほど、ぎりぎりの道幅を走った。
よくカートライト城までたどり着いたもんだと我ながら思う。
──山城なんて墓場よ!
『エヴァンジェリン』の『お姉さま』はそう言っていた。
確かに全然整備がなっていない。ある意味墓場かもしれない。
『お姉さま』は行ったこともないのに、噂話によって真理を語っていたのである。
もっと上へ行く道には田畑が大きく広がっていた。そこにも、街で見たほどではないが、点々とランプの明かりが灯っていた。
この領地の者は、皆遅くまで働き者だ。暗くなったら眠るものだと想像していた。
(ふーん、この領主さまは人望があるのかな。それとも税であえいでるから、働かざるを得ないのかしらねぇ……)
それにしてもレイフは格好いい。飛竜を自在に操るとは。
農夫姿の汚さを忘れるほど格好いい。
「降りるよ」
レイフがそう言ったように聞こえた。
返事をしても、風で後ろに飛ばされてしまうだろう。
ジェリィは兜の額を、レイフの背中にごつっとぶつけて「わかった」と返事をした。
アリスンは出発の時とはまるで違う、優雅でゆっくりな動きで着地した。
レイフが先に降り、その後ジェリィを下ろした。
ジェリィが兜を脱ぎ、鎧に苦戦していると、レイフは兜だけ脱いで、アリスンを撫で、何か話しているようだ。
しばらくそうしていると、アリスンがジェリィに目をやってから、森へと飛んでいった。それをレイフは愛しそうに見送ると、不機嫌な顔でジェリィを振り返った。
「なんでさっき、俺の背中に頭突き食らわした? いてぇよ!」
「いや……返事の仕方がわからなかったから。でもほら! 通じてるじゃない!」
「通じてないから、怒ってるんだ!」
ぶつぶつ文句を言いながらも、レイフはジェリィから鎧を脱がし、マントを着せた。
「ワイバーンに乗った後は体が冷える。それでも着てろ」
「……レイフは?」
見たところ、兜と鎧を着る前の、小汚い作業着に戻っている。
「俺はこれでいいの」
「それより煙草持ってない?」
レイフは新品の煙草を開けて、一本、ジェリィの指先に渡した。箱を見せてもらっても、ぴんと来ない、見たこともない銘柄だった。
(今までいた世界と違うんだものね。ここではこんな感じなのだわ)
唇に乗せてからふと思い立った。
(ライター……)
ふっとレイフを見上げると、にやっと笑いながら両手をひらひらさせた。
「ここに火はない。もう少し泥まみれの道を進むか、それとも城に帰るか、それとも」
レイフの指先がジェリィの口先に挟まった煙草の端を、つんと叩いた。
「禁煙することだね、花嫁さん。『ここ』では煙草は禁じられているし、栽培も同じだ」
「えっ……」
絶句した。
煙草がない世界だとは知らされていなかったし、喫煙者だと『彼ら』に伝えることもしなかった。あまりに当たり前すぎて、頭からすっぽり外れていた。
「……レイフ。貴方はどうして禁じられているはずの煙草を持っているの? 貴方、煙草を吸うの?」
いや、とレイフは短く言った。
「ま、俺の花嫁になるなら、色々わかってくるさ。ジェリィは煙草をやめたほうがいい。まず手に入らないし、手に入っても金ばっかりかかるし。悪くすればお縄の末、療養院行きだからな」
「……そんな御大層なことになるの……?」
「それだけこの世は厳しいってこと。それで、歩いてきたのはわかったけど、城からこの沼道まではどうやって来た?」
「フィオナに言って馬を出してもらったわ」
「へぇ? 馬に乗れるの?」
驚いたような顔をするレイフに、ジェリィはつい口からさらさらと出してしまった。
「乗馬が趣味で時々クラブにも通っ……なんでもない」
「乗馬クラブ。なるほど、お嬢さんだったわけだ?」
今度はジェリィが驚く番だった。
(えっ? 通じた? いや、まさか……通じるはずなんてないわ)
──だってここは、異世界なんだもの。
(この後は製品版でお楽しみください)