第5話
銀狼帝の愛囚~復讐の姫は淫蜜にまみれて~
著作:麻倉とわ Illustration:南香かをり
第5話
だが彼は従姉をズタズタに引き裂き、その事実を闇に葬った人だ。少なくともセラフィーナはそう知らされたし、決定的な証拠も持っている。
「あの――」
何をどう問いかければ、この混乱が治まるのだろう? 当てもないまま、セラフィーナが口を開いた時だった。
「失礼いたします」
礼拝堂に、穏やかだが張りのある声が響いた。
「陛下、そして妃殿下、たいへんお待たせいたしました。馬車の用意が整いましたので、どうぞお越しください」
「ああ、ダミアン。ありがとう」
衛兵を引き連れて現れたのは、金髪で銀灰色の瞳を持つ優美な青年だった。
ダミアン・フォン・リンバッハ――皇帝の最も忠実な側近で、シルベストルと同じ二十八歳。まだ若いが、優秀な文官として知られている。
彼もまた五年前にダンゼーレを訪れており、セラフィーナとはすでに顔なじみだった。
女性のように優しげな面差しで、今も柔和な笑顔を見せていた。
「妃殿下、お疲れのところ申しわけございません」
「お気遣いありがとうございます、リンバッハ卿」
ダミアンはレマンツェでも最も古い家柄の高位貴族の出で、この国では稀少な獣人のひとりだ。その父も国務大臣としてシルベストルを支えている。外見上はまったくわからないが、彼もまた狼に姿を変えることができると聞いていた。
セラフィーナが膝を折ると、ダミアンは仰天した様子で駆け寄ってきた。さらにその場に跪き、深く頭を垂れる。
「まあ、リンバッハ卿!」
「恐れ入ります、妃殿下。どうぞお顔をお上げください。それから私のことは、以後ダミアンとお呼びくださいませ」
「ですが、それでは――」
「いいえ、もはや私は臣下でございますから」
ダミアンは恐縮しきっているが、セラフィーナより年上で、見るからに貴公子然としている彼を呼び捨てにするのはどうしても気が引ける。
そのまま困惑していると、シルベストルが楽しそうに笑った。
「いいではないか、ダミアン」
「陛下?」
「私からも頼む。セラフィーナの好きに呼ばせてやってくれ」
「は、はあ」
戸惑いながらも頷くダミアンと、それを見て白い歯を見せるシルベストル――主従がなごやかにやり取りする姿は五年前と同じだった。
かつてのダミアンは若年ながら愚直なまでに皇太子を補佐しようとしていたし、シルベストルはそんな彼に全幅の信頼を置いているように見えた。
そして以前のセラフィーナだったら、こんな時には彼らと声を合わせて無邪気に笑っていただろう。しかし、
(変わってしまったのは、わたくしだわ。そして二度と……昔のわたくしには戻れない)
たとえどれほど誠実な好青年であろうと、セラフィーナにとっては皇帝に忠誠を誓うダミアンもまた敵でしかない。それに姿を消した姉について一切触れようとしないことも気になった。
とにかく今は企みを阻まれないよう、彼をも欺かなければならない。疑惑を抱かれるわけにはいかないのだ。
また嘘をつかなければ。
罪悪感にかられながらも、セラフィーナは懸命に笑顔を作り、ダミアンに「リンバッハ卿」と呼びかけた。
「わたくしにはまだまだ至らぬことも多いと思いますが、これからどうぞよろしくお願いいたします」
「……妃殿下」
セラフィーナの言葉に感極まったのか、ダミアンが瞳を潤ませる。するとシルベストルは大きく頷いて、その肩を軽く叩いた。
「そろそろ行くとしよう。あまり民を待たせては気の毒だ」
「は、はい、陛下!」
ダミアンが気を取り直したように背筋を伸ばす。
「それでは、どうぞこちらへ」
「わかった。では」
セラフィーナの前に、白革の手袋に包まれた右手が差し出された。
「われわれも参りましょうか、セラフィーナ妃殿下?」
シルベストルには珍しく、おどけたような口調だった。どうにも照れくさいらしく、その頬は少し赤くなっている。
対して、金茶色の瞳に映る自分の表情はどこかぎこちなく見えた。何も知らなければ、満面の笑みを浮かべ、胸を躍らせて彼の手を取っていただろうに。
しかしもう後戻りはできない。いや、できるはずがない。
「はい……シルベストル様」
セラフィーナはひとつ息を吸って、皇帝に華奢な手を預けた。すぐさましっかり握り返され、優しく引き寄せられる。
復讐劇の幕は今、切って落とされたのだ。
(この後は製品版でお楽しみください)