銀狼帝の愛囚【第三話配信】

第3話

銀狼帝の愛囚~復讐の姫は淫蜜にまみれて~

著作:麻倉とわ  Illustration:南香かをり

 

第3

第一章 狼の花嫁

 

皇帝の婚礼が行われたのは、宮殿内の礼拝堂だった。

淡いバラ色の大理石を敷きつめた床。高い天井には精緻なフレスコ画が描かれ、祭壇の奥には巨大な金のパイプオルガンがそびえ立っている。つい先ほどまで、朗々たる音色を響かせていたものだ。

強大な権力と豊かな財力――ここレマンツェ帝国では国威を誇示するためか、神を讃する聖堂もまたまばゆいばかりに豪華で麗々しい。

(とうとう始まるのだわ)

儀式を終えたばかりの新妻セラフィーナは背筋を伸ばし、ふっくらした唇を引き結んだ。いつもは淡い桜色だが、今日は鮮やかな深紅で彩られ、小作りな顔も白粉や頬紅で大人びた化粧が施されている。

結い上げた黒髪を飾る金のティアラ、きらめくダイヤの装身具、長く裾を引きずる総レースのドレス、真珠で飾られた繻子の靴――王女という身分であっても、セラフィーナがこれほど豪華な格好をするのは初めてだった。

しかし今日からは皇后、それも軍事強国として知られるレマンツェ帝国皇帝の妻になるのだ。当然、その座にふさわしい装いをしなければならないのだろう。

「大丈夫か、セラフィーナ?」

隣に立つ皇帝に問いかけられ、セラフィーナは小さく頷いた。

「はい」

「疲れただろうが、あと少しだけ辛抱してくれ」

そっと腰を抱く仕草も、気遣いに満ちた囁きも、当代最強の軍人皇帝という称号とはほど遠く感じられる。その頬は初々しい花婿らしくわずかに紅潮し、新妻に向ける視線も春の日差しのように優しかった。

「ありがとう……ございます、陛下」

彼の笑顔がまぶしくて、セラフィーナは思わず視線を落とす。声が震え、それだけ答えるのがやっとだった。

ドレスに包まれた背筋を冷たい汗が流れていく。今日は九月にしては暑い日だが、理由は別にあった。

(だめよ、セラフィーナ。もっとしっかりしなければ)

セラフィーナはなんとか顔を上げ、皇帝の金茶色の瞳を見つめる。

勘のいい彼に、動揺を察知されてはならなかった。そう、何としてもことをなし遂げるまでは。

雄々しくも美麗なシルベストル・フォン・マーデン・レマンツェ――まばゆいプラチナブロンドの髪と、その身に流れる稀少な血筋から、巷では『銀狼帝』と称される皇帝。

年は十も上だけれど、初めて会った時からセラフィーナが心惹かれた人だ。

父王から彼の妻になるのだと告げられた時には、どれほどうれしかったことだろう? 以来、どんなにこの日を待ち焦がれただろう?

しかし今のセラフィーナは外見こそ幸福な花嫁そのものであっても、心は嵐の大海のように乱れていた。

(何も知らなければよかったのに)

誰もが待ち望んだ晴れがましい日。

レマンツェ帝国では国を挙げてうら若い皇后を歓迎し、また娘を送り出すダンゼーレ王家の面々も安堵と喜びの表情を浮かべ、手放しで祝福していた。

不敗の皇帝を戴く軍事強国と、武器を作るための鉄鉱石鉱山を有する小国――隣国同士でありながら、レマンツェとダンゼーレは長らく緊張関係にあった。けれども今日、どちらにとっても利となる政略結婚によって、両国の絆は分かちがたく結ばれたのだ。

しかも皇帝シルベストルは神々しいほどの美丈夫で、隣に寄り添うセラフィーナは咲き匂う花を思わせる可憐な少女だ。およそこれ以上はないくらいの縁組と言えた。

ただし五年前にも一度同じことが試みられ、失敗に終わったのだけれど。

とはいえ、ことの真相を知っているのはごく限られた者たちだけだ。しかも彼らは不幸な過去を闇に葬り、なかったことにしようとしている。それがあまりに痛ましく凄惨だったため、負の記録となるのを恐れたのだろう。

たとえばセラフィーナの父であるダンゼーレ王でさえ、実際に当時のレマンツェで何が起きたかは知らされていない。だからこそ国の繁栄と娘の幸福のために、この婚姻に心から満足しているのだった。

また、式典を執り行った大司教のブルクハルトも同様だろう。人望があり、皇帝の信頼も篤いという彼はこの結婚を心から喜んでいる様子で、終始笑みを絶やさなかった。

――誠におめでとうございます、妃殿下。あなたに神の祝福を。きっと世界中で一番幸福な花嫁になられることでしょう。

何の陰りもない完璧な結婚――けれどもセラフィーナだけはそんな流れに同調するわけにはいかなかった。レマンツェに嫁ぐ少し前、おぞましい秘密を知らされたのだから。

(チェチーリア姉様、どうぞわたくしに力を貸して)

悲劇の当事者は、他ならぬ従姉のチェチーリアだったのだ。

五年前、皇后になるはずだった彼女は婚礼の前夜に失踪してしまった。式典に参列するために滞在していた父王や兄に当たる王子アベラルド、そしてもちろんセラフィーナも必死で捜した。しかしその行方は杳(よう)として知れなかった。

以来、チェチーリアは所在方不明ということになっている。あくまで表向きにはだが――。

セラフィーナは過去を振り切るようにかぶりを振って、花束を持つ手に視線を落とした。絹の手袋に包まれた両手はかすかに震えている。

(神様、お願いです。どうかこの企みが……うまくいきますように)

自分の計画が無謀過ぎることははじめからわかっていたし、おそらくは失敗に終わることも覚悟していた。

それでも絶対にあきらめるわけはいかない。恐ろしい秘密を知ってなお、レマンツェ帝国に嫁いできたのはそのためなのだから。

「セラフィーナ」

ふいに花束をそっと取り上げられ、右の手を握られた。

思わず顔を上げると、心配そうに眉を寄せているシルベストルと視線が絡んだ。

「はい、陛下」

「震えているな。やはり気分が優れないのではないか?」

「い、いえ、そんなことはございません。こちらはわたくしの国とは全然違うので……なんだか緊張してしまって」

二つの国は領土も人口も確かに大きく異なる。言いわけはもっともらしく聞こえるはずだが、声が上擦ってしまった。

セラフィーナは嘘をつくことに慣れていない。そもそもこれまではそんな必要もなかったのだ。

金茶色の瞳に映る自分の顔は強ばって見えたものの、幸い皇帝に勘ぐられるようなことはなかった。シルベストルはひとつ息を吐くと、「それならいいが」と頷いてみせた。

「婚礼の支度もたいへんだったろうし、疲れがたまっているのかもしれない。ああ、そうだ。馬車に乗る前に、何か飲みものを用意させよう」

思いがけない配慮に、セラフィーナは目を見開いた。

「まあ、陛下」

「ここに座るといい。出発までは、まだ時間があるはずだ」

「……ありがとうございます」

そっと手を引かれ、祭壇脇に置かれた椅子の前に連れていかれる。

セラフィーナを座らせると、シルベストルは皇后付きの侍女たちを呼び、矢継ぎ早にあれこれ命じ始めた。

馬車で腰に当てられるクッション、軽くてあたたかいひざ掛け、冷たいりんご水――皇帝が持ってくるように命じたものはすべて、これからお披露目の馬車列に臨もうとする新妻のための品ばかりだった。

挙動をいぶかしむどころか、心から自分を案じてくれているようだ。まるで初めてダンゼーレで会った時のように。

「さあ、これを」

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