夜に鳴く鳥はいない、と誰かが言った。
きっと、夜の森に耳を澄ましたことがないからだろう、とリュアンは思う。
獲物を狙って夜陰に潜み、音を立てることなく近寄り啄(ついば)む梟(ふくろう)。その雛が、時折、物欲しげにその声で木々を揺らすのだ。
それは、決して怖いものではない。
狼の遠吠えに比べたら、あたかも子守歌のような優しい旋律だった。
王の森を守護するフローネの領土一帯に響く彼らの重奏は、領民にとって慣れ親しんだもの。
しかし、ここはフローネの領土ではない。
「……んっ、はぁ、ん」
領界を越え、王都を北に望むウィルソン領内、その中心部であった。
ゆえに今宵、乱れた寝所で鳴き喘ぐのは梟の雛ではない。
フローネ子爵の長姉、リュアンであった。
丘に建つ屋敷まで届く繁華街の輝きはレースに編まれたカーテンを透け、破瓜を忘れた裸体を照らす。シーツに散らしたブロンドの長髪を振り乱すさまは、まさに獣のようで。
闇夜を裂く艶やかな音色は、梟の代わりを務めることなく劣情を誘った。
「や、めて……、んぁ……ぁっ!」
股を拡げる腕は止まらず、止められず、リュアンは細い腿を左右に開かれていく。
繁みの奥から溢れるのは清らかな蜜――否、男を惑わす、若い雌の蜜だ。
彼はここまで猛々しくなかった、彼はここまで暴力的ではなかった――口々に嘆く女の言葉は、男の我欲を知らない戯言だ。素面がどれほど優しくとも、ひとたび閨(ねや)を共にすれば、男の中に眠る獣の扉を開いてしてしまう。
人間とは欲に従順だ。男も、女も変わらず、欲に従って生きているようなもの。
それは、聡明なトーマス・ウィルソン侯爵であっても同じ人間である以上、変わりなかった。
狭い部屋から助け出してくれたその口調に似合わない優しい彼でさえ、こうして女の身体に溺れているのだ――内に眠る淫獣を、飼い慣らすのは屈強な戦士でさえ容易くない。
「拒むな」
「だ、だって……ぇ、っ」
繁みを濡らす蜜を指で掬われ、リュアンはびくっと身体を震わせた。
「君はもう、フローネの娘ではなく、僕の所有物なのだから」
「あ、ぅっ……ぁんんっ!」
言い聞かせるように口にするトーマスの唇が、皮をかぶる陰核に口づけする。たったそれだけの刺激で、リュアンは全身に雷が駆け抜けたような感覚を味わっていた。
余韻に残る甘い快楽は、ひたと濡れた舌を這わされれば、突き刺すような快感に変容する。
このままでは快楽のせいで溺れ死んでしまうのではないか。押し寄せる快癒の波に息継ぎの間もなく、リュアンは頭を振った。股に埋まる彼を押しのけようと伸ばす手は力なく、ただ髪を梳くことしかできない。
「やめ……っ、て」
「やめてと言われ、よもやこの場で頷き従う者などいるはずないだろう」
啜る水音は部屋に飽和し、股から覗く翡翠(ひすい)の瞳がせせら笑う。
拒めども、喘ぎに似た掠れた懇願は彼の劣情を煽る囁きに過ぎない。
わかっている。わかっているとも。そんなもの、乙女が最初に学ぶことだ。
否定する言葉を整然と並べられるのなら、いくらでもそうしていた。
「あ、あぁ……んぅ!」
けれども、こんなのは聞いていない。
彼に求められるのが初めてではないにせよ、それでも。
(こんなに何も考えられないなんて聞いて、ない……っ!)
真っ白に灼けた思考は全身を支配する甘い誘惑に逆らえない。微かに残った理性でさえ、原初の欲に勝てず、ただ欲望をぶつけ合う獣に成り果てよと腰を振らせるのだ。
ちゃぷちゃぷと羞恥を掻き立てる彼の舌の動きに合わせ、リュアンは溢れる蜜に肌を濡らした。
「もう、やぁ……っ、わたし、私……っ」
薄闇に溶けるような股に沈む暮色(ぼしょく)の髪を掻き抱き、リュアンはその細い腿を閉じる。
尿意とは別の、底から湧き出す何かが背筋を這い、全身を駆け巡る感覚に耐えきれなくなる。
「もう限界か? だが、果てていいと誰が言ったか」
「んっ、ぅあ……そん、な……あ、ぁんっ!」
焦らすように蜜口を撫でる舌は、探ってほしい場所を巧妙に避けるように舐(ねぶ)る。
何も考えられなくとも、終わりがもうすぐそこにあることは理解していた。それなのに辿り着けないこの感覚は、もどかしくてたまらない。
いつもはこんな回りくどいことはしないのに。トーマスの情欲に駆り立てられ、発情した欲求に応えるように、愛撫を施してくれるのに。
頬を挟む両腿を剥がして顔を上げる彼は、恍惚に染まるリュアンに視線を向けた。
「さあ、次は何をしてほしい、リュアン」
「なん、で……トーマスさ、ま」
「訊くな。ただ答えろ」
瞳の奥に潜む悪辣に似た昏い焔が、リュアンの相貌を照らす。
「答えないのなら、花を咲かせるしかあるまいな?」
濡れた首筋には幾重もの小さな椿の花が咲いていた。
彼が帰ってきて早々、リュアンの夜着を剥がし、幾度も口づけした結果だ。それに重ねるように覆いかぶさると、トーマスは唇を這わしていく。
時に強く、時に柔く吸われ、肌にはじんわりと赤らんだ花が咲く。
「あ……ぁんっ」
これでまた、人前に出られない。使用人にでも見られたら、夜陰の出来事を悟られてしまう。つい最近、仲良くなったメイドにさえ気遣われてしまえば部屋を開けることすら億劫だ。
「だめ……っ、トーマスさま……ぁ!」
そんな気持ちはつい知れず、鎖骨を撫でる舌は乳頭へと這っていく。
言葉とは裏腹に胸奥から囁く悪魔の甘言は、耳を傾けるだけで淫蕩に染まった。
甘い汁を舐めるように夢中で肌にむしゃぶりつくトーマスを、無意識に抱きしめてしまう。
すると、鼻で笑うように彼は口端を緩めた。
「なんだ、イヤなら腕を絡めるな。口づけをせがむように胸を押しつけるべきではなかろう?」
「それ、は……っ」
答えられようもない。
身体と心の調律が合わないから、言葉が偽りへとすり替わっているように聞こえるだけだ。
本当はイヤなのだ。イヤなはずなのに、身体はその対物を求めている。
わかりきったようにトーマスが笑みを深める。
「お前が求めている証拠だろう?」
「……っ」
首を振ろうと、彼の哄笑を止める術はない。
「さあ、お望みのものをくれてやる」
嘲るような口調で、彼は張り詰めた怒張を振り上げた。
雄々しく聳(そび)える熱塊は、リュアンの眼前でぴくぴくと震える。まるで待ちきれないように――自らの身体と変わらない反応のように思えて、リュアンはカッと頬を羞恥に染める。
「初めて見るわけでもないというに……慣れてもらわなくては困る」
これから一生、君は僕のものなのだから、と倒れ込むようにして囁くトーマスに、耳朶が犯されたように熱くなる。
どうしよう。このままだと、本当に――考えれば考えるほど高鳴る心臓に、否が応でも秘部に意識が持っていかれた。拒まなければ、いや、拒んでもなお、きっと、このまま――
「ほら、腰を浮かせるんだ。おねだりの仕方は教えただろ?」
「お、教えてもらってなんっ……て、んぁっ」
「ほら、わがままな口とは違って従順だ」
蜜を塗りたくるようにして、彼の熱が繁みをなぞる。ぴりぴりと痺れるような刺激が断続的に伝わり、切なげな声が思わず漏れていた。
そう、身体は従順だ。わずかな間でも、彼に教え込まれた快楽は身体が覚えている。
不思議とイヤな気持ちはなかった。だからといって、それを受け入れられるわけでもなく。
(なんで、今日はこんなに苛めるの……?)
濡れた声を塞ぐように手の甲を唇に当てながら、リュアンは思う。
いつもは優しく抱いてくれるのに――望んでいるわけではないにせよ、されるなら優しくされた方が心地よかった。欲の解消のためではなく、愛し合うような、蕩ける一夜を期待しても罰せられはしないだろう。
眠らない繁華街の彩色が飾る天井を見上げ、リュアンは溜まった息を吐く。
「はぁ、あ……んっ」
「よほど、これがいいのか。挿入されるより、焦らされる方が好きらしい」
「違っ……そんな、こと……っ!」
「なら、どうだ? 言ってみろ」
慌てて首を振ると、いやらしく細める翡翠の瞳がリュアンを見つめる。
温かくて大きな手のひらが頬に添えられ、促すように撫でられた。「ほら、言えないのか?」と尋ねる語調は優しくとも、瞳の奥に灯るのは仄暗い焔だけ。
一体何があったのだろう。
しかし尋ねる思考はまとまらず、リュアンはただ喘ぐように口を開いていた。
「くだ……い」
「なんだって? もう一度」
むっとして唇をすぼめようと、身体の衝動は止まらない。
嗜虐の感情に促され、催促するようにトーマスが濡れる繁みを掻く。
甘い誘惑に吐息が漏れ出し、白い靄が底で眠る欲を萌芽させる。
悔しくとも抗えない。苦しいだけなら楽になりたかった。
視線を逸らすと、込み上げる羞恥を吐き出すようにリュアンは言った。
「トーマスさま、を……ぁ、くださ……いっ!」
「ああ、そんなおねだりでよかったと言ったか? 僕は満足できない」
「これじゃあ、満足できないの……っ! だ、から……だからぁっ……!」
縋るように、リュアンは逞しい胸に抱きつく。
「挿れて、ください……っ、私の中に、それを挿れて……――!」
「よく言った」
褒めるように頭を撫でてくれるトーマスに、リュアンは一瞬気が緩んだ。
幼子をあやすような手つきは、快楽とは別種の安心感や心地よさに包まれる。まして少しでも心が揺らいだ相手ならなおのこと――ゆえに、反応が一瞬遅れた。
「あ、ぁ……――」
隘路を突き上げる衝撃に、リュアンはたがが外れたように弓なりに背を仰け反らせた。
最後まで残っていた一片の理性までをも灼き尽くされ、獣へと堕ちていく。
掠れた声を咆哮に、白雪の肌は月光に炙って。
「あ、んっ……ぅぁ、はぁ」
貪るような口づけを重ね、涎を垂れ流したまま舌を絡める。
どこまでも、どこまでも深く繋がるように、リュアンはトーマスの広い背中へと爪を立てた。打ち立てる腰は疲弊を知らず、闇雲のようで正確に獣欲を掻き立てるツボを心得ている。
「ほしいか、もっとほしいのか……!」
「はい……っ、ん、ぁ、ほし、くて……ぇっ」
ほしくてたまらない自分を慰めるように、リュアンは自分の胸を揉みはじめていた。
人前でこんなこと――そうは言っても、すでに交渉は幾度も重ねている。トーマスと閨を共にした初夜は遠い昔のようだ。恥じらいしかなかったあの夜から、随分と大胆になってしまった。
乳頭をねじるように指で摘まみ、熱のこもった息をトーマスと交わす。
ベッドシーツに広がる染みはどちらのものともわからない。額に貼りつく前髪の煩わしさも忘れ、リュアンは頂きに向かってトーマスを求めた。
「行くぞ……っ」
苦しげに呻いて唇を離すトーマスに、リュアンは頷く。
その首に両手を回し、ただ快楽を貪るように腰を浮かした。最奥まで突き上げる灼熱に押され、吠え立てるような嬌声を上げ、リュアンは天井を仰ぐ。
(愛されてる。私、この人に愛されてるの……!)
飢えた心を満たすように、リュアンは胸奥で呟く。
幼心に恋したあの人によく似る侯爵に、焦がれる胸を押し寄せて。
「来て……来て、トーマスさ……ぁ、ま――ッ」
「ぐぅ……!」
うねる肉壁を押し拡げ、白濁が秘筒を染める。
四肢は強張り、全身を駆け抜ける迅雷に、声にならない叫びが吐息と共に溢れていった。
すべてが真っ白だ。何もかもが甘い快楽の海に沈んでいく。
「ぁ……」
(この続きは製品版でお楽しみください)