凪(なぎ)を「買った」男は、ラルフ・耀(よう)一郎(いちろう)・グランデール。
爵位を持つ、イギリス貴族。
二十一世紀の今なお広大な領地と城を有し、数多(あまた)の家臣に傅(かしず)かれ、芸術を愛で、その一方で世界規模の事業を手がける実業家でもある男。
非現実を絵に描いたような、プラチナに輝く髪と湖水の瞳が、凪から現実感を奪っていく。
何もかもが、それまでの凪の日常生活からは、かけ離れすぎていた。
まるで御伽(おとぎ)噺(ばなし)の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えて、思考が麻痺していた。
一瞬、凪を現実世界に引き戻したのは、男の口から告げられた、諏訪(すわ)耀一郎という日本(にほん)名。
その理由は、わからない。
秘書で執事でもある紫の瞳を持つ男は、彼を「耀一郎さま」と呼んだ。凪にも、日本名で呼ぶことを強要した。
凪の日常とはかけ離れた場所に生きる男に、凪は買われた。
「買われる」意味を、理解していなかったわけではない。けれど、その怖さまでは、知らなかった。気づかなかった。考えもしなかった。
豹変した男に、乱暴に刺し貫かれるまでは。
はじめからそのつもりだったのか、凪の何かが男の機嫌を損ねてしまったのか、それはわからない。
自分は「買われた」のだと、そのときはじめて気づいた。本当の意味で。
助けられたわけではない。
男に「買われた」のだと。
この肉体のみならず、凪の過ごす時間、凪の目にするもの、凪の思うこと。凪自身の、何もかも、すべて。
すべてが男の所有物なのだと、教えられた。この身体に。
「い…や、あ……あぁっ、いや…ぁっ」
泣きじゃくる凪に、男は冷たく言った。
「凪のすべて、私のものだ。この身体も心も、描き出す世界も、すべて」
容赦なく突き上げられて、細い身体が軋んだ。
「あぁ――……っ!」
涙に滲んだ視界には、豪奢(ごうしゃ)な白金色の輝き。
暝(くら)い色をたたえたアイスブルーの瞳が、凪に恐怖を植えつける。縛られる、支配という名の恐怖を。
「忘れるな。おまえが、誰のものなのかということを」
肉体に刻みつけられた鎖が、甘い痛みとなって凪を縛りつける。
「耀…一郎、さま……っ」
迸(ほとばし)る声には、胸の奥に秘めたはずの甘い感情が、滲んでいた。
名前と、簡単な素性しかわからない男に、凪は買われた。
はじめの出会いの印象から、ずっと夢のなかにいるような気持ちを味わっていた凪は、ここへきてやっと、ジワジワと自身の置かれた状況の恐ろしさを感じはじめていた。
「い…や、いや…です……、おねが、い……っ」
ヒクッと白い喉を喘(あえ)がせて、懇願の言葉を口にする。
ポロリと、大きな瞳から涙が零れた。
「なんでもすると、おまえは言ったはずだ」
「でも……っ、こんな……こんなこと……っ」
「金谷にも、こうさせるつもりだったのだろう?そのおまえを、私が買った。相手が金谷から私に変わっただけのことだ」 わかっていた。
自分が何をしようとしているのか。
でも、本当は、全然わかっていなかった。
「いや…だ……なん、でもする…から……」
パニックに陥った凪が救いを求めたのは、もしかしたら助け出してくれるかもしれない第三者ではなく、ましてや想い出のなかの母でもなく……、
「い…や……、おと…さ……、お…義父さ、ん――……っ!!」
白い喉から迸ったのは、亡き義父を呼ぶ悲痛な声。
もういないのだと……もう抱き締めても、笑いかけても、二度と凪を描いてもくれないのだとわかっていて、それでも呼ばずにはいられなかった。
「たす…け……っ、……っ!?」
ガッと、前髪を掴まれ、ベッドに押さえつけられた。
視線の先、それまで冷気さえ感じられた瞳に今は激情を映して、男が凪を見据えている。
「――――っ!!
恐怖に、細い身体がガクガクと震えた。
「なんでも、してみせるのだろう?ならば、おまえをどうしようが、私の勝手だ」
「や…ぁ……っ!おと…さ――……っ!?」
叫ぼうとした口を、大きな掌に塞がれた。
「黙れ!私以外、ほかの誰も呼ぶことは許さない」
怒鳴られて、真っ青になった凪は、ガクガクと頭(かぶり)を振った。すると口を塞いでいた手が外されて、酸素不足に薄い胸を喘がせる。涙がボロボロと零れて頬を伝い、白い肌に跡を残した。
乱暴に足首を掴まれ、両脚を開かれる。胸につくほどに。
簡単に前を寛げた男が、腰を密着させてきて、凪はハッと瞳を見開いた。
「あ……あ……」
ヒタリと、熱いものがそこに触れる。
氷のような眼差しを持つ男の欲望は、うらはら、焔(ほのお)のように熱かった。
サイドボードから小瓶のようなものを取って、その中身を密着した場所に滴らせる。それを塗り込めるように固い切っ先が凪の秘孔を数度擦(す)り上げて、慣らしてもいない場所を、いきなり貫かれた。
「い…やぁ――……!!」
悲鳴は、実際に貫かれる前に迸った。
恐怖に駆られた精神が、錯乱のあまり迸らせたものだった。
狭い場所を引き裂くように熱塊が埋め込まれて、強張った身体は体温を失い、大きな瞳は恐怖にめいっぱい見開かれて、仰け反らせた白い喉は声らしい声を紡ぐこともできず、力なく開かれた唇からは、ひゅーひゅーと断末魔の動物のような呼吸が吐き出されるばかり。
涙は、見開かれた瞳からただ流れつづけ、桜色の唇は色を失くして、小刻みに震えていた。
小鳥の羽根を毟り、弱々しい翼を手折るような、狂気の沙汰としか思えない行為。
だが耀一郎は、青くなってガクガクと震える凪の身体を、放しはしなかった。
恐怖を、その肉体に刻みつけるように。
支配を、その精神(こころ)に植えつけるように。
だが、狂った歓喜に酔い痴れているはずの男の表情は暝く、眉は顰められ、口許は苦しげに歪められている。
己の身に起きたことを現実のものとして受け入れられず、ただ呆然と目を見開いて圧しかかる男の姿を見上げていた凪は、大きな瞳に男の苦しげな表情(かお)を映しつづけた。
「あ……、あ……」
震える唇からは、掠れた吐息のような、恐怖に濡れた声しか零れない。
男の欲望を埋め込まれた場所は感覚を失い、どうなっているのかもわからなかった。
凪の両手首を押さえつけていた男の手が、胸に腰に這わされる。ゆっくりと根気よく、冷えきってしまった身体を撫で擦られて、やがてそこからわずかに体温が戻りはじめた。
少しずつ少しずつ強張りが解け、身体を襲っていた震えも徐々に徐々に治まっていく。色を失くしていた白い頬に人間らしい血色が戻ってきて、凪はゆっくりと瞬きをした。
長い睫に溜まった涙の雫が、白い頬を伝い落ちる。
それでもまだ、溢れつづける涙は止まらない。
かわりに、白い喉からやっと鳴咽らしいものが零れはじめて、凪はシーツの上に投げ出していた手に必死に力を送り、何かに縋るようにシーツに皺を寄せた。
「ふ……、う…ぅ…っ」
一度は治まりはじめていたはずの震えが、再び凪を襲う。けれど今度は、先ほどまで凪の身体から体温さえ奪っていた震えとは、少し様子が違っていた。
淡い叢のなか、恐怖に萎えてしまった欲望を、大きな手に握り込まれる。
巧みな手つきで扱かれると、すっかり力を失くしていた幼い欲望は、生理的な反応を返し、ぷるんっと震えて勃ち上がった。
強張りの解けた身体が熱を取り戻し、身体中の感覚を呼び戻していく。男の手にあやされる欲望が快感を訴えているのだと凪が認識したとき、乱暴に繋げられた後孔がズクンッと反応した。
男の欲望の熱さを、感じ取ったのだ。
「い…や……、あぁっ」
凪の欲望を弄る指先が、意地悪い快感を送り込んでくる。
恐怖と痛みに感覚をなくしていたはずの場所が、熱く緩みはじめて、けれど初心(うぶ)な凪は己の身体の反応に精神が追いついていかなかった。
「思った通り、幼い顔に似合わず、淫らな身体だ」
ヒヤリとした声は、揶揄する言葉を紡いでいるというのに、どういうわけか苦しげで、凪はわずかに瞳を揺らした。男の言葉に問いかけるように。だが、自分の言葉の意味を知らしめるように男が腰を揺すってきて、凪は嬌声(きょうせい)を迸らせてしまう。
「あぁ……っ!」