書籍情報

天使が降りてくる夜に【特別版イラスト入り】

天使が降りてくる夜に【特別版イラスト入り】

著者:春原いずみ

イラスト:こおはらしおみ

発売年月日:2015年08月07日

定価:935円(税込)

先生…好きです。何よりも…誰よりも… 初雪の舞うクリスマスの夜、姿田有季は津城祥貴と出逢う。涙と雪で濡れた唇に優しいキスが降りてくる。後日、有季は赴任先の学校で再び祥貴と出逢う。自分の生徒に涙を見られ唇を奪われた。彼の視線はまっすぐに僕を見つめる。弱い心も見るように。僕は彼の視線に応えられない。強くなりたい。自分の想いを弄ぶような天使の悪戯…。

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登場人物

姿田 有季(シナダ ユキ)
二十四歳。大人しく優しそうな顔立ち。私立の名門高校の教師を務める。
津城 祥貴(ツキ ヨシタカ)
知的で秀麗な美貌を持つ。囲碁五段の腕前を持つ若手実力者。有季の担当するクラスの生徒。

立ち読み

「うわ……。」
半地下の煉瓦造りの階段を足早に昇って、一歩外へ出た有季は目の前の光景に思わず立ちすくんだ。いつもは埃だらけの街路樹が壮麗なクリスマスツリーと化していたのだ。
「す……こい……。」
いっぱいに輝くクリスマス・イルミネーション。舞いはじめた粉雪が光を弾いて、きらきらと輝いている。
「うわ……さむ……。」
一瞬の風にフワリと舞い上がった雪のかけらが襟元に忍び込む。思わずコートの衿を立てようとして、有季はそこに手応えのなさを感じた。
「え……。」
次の瞬間、その理由がわかった。あまりの馬鹿馬鹿しさに笑うしかない……。
「ここまでくると……コメディだ……。」
店の中に忘れてきてしまったマフラーを取りに戻ろうと、くるりとUターンした有季はトンッと誰かに突き当たった。
「あ……ごめん……。」
その瞬間、フワリとつつみこんでくる甘いラベンダーの香り。言いかけた言葉が途切れてしまう。
「う……そ……。」
寄せては返す波のように途切れなく光度を変えるイルミネーションの明かりの中の一つの影。光のイリュージョンが見せる幸福な幻。
「忘れ物です。」
大人びた静かな声。暖かな笑顔。それは一年前と少しも変わらないリフレイン。
有季は目を閉じ大きく息を吸い込んでから、もう一度ゆっくりと目を開けた。
「忘れ物です……先生。」
張りのあるテノールが有季の耳に届く。紺のジャケットの肩に舞い落ちる雪。手の中に大切に抱きしめられた自いマフラー。何もかもが切ないほどに一年前のままだ。しなやかな肌触りのカシミアが有季の首筋を覆う。有季は思わず微笑んでいた。
「おかえり……祥貴。」
次の瞬間……有季はきつく抱きしめられていた。めまいを感じるほどに甘いラベンダーの香りが有季を抱きすくめている。
「……会いたかった……。」
耳元で囁かれるかすかな声。
「ずっと……先生に会いたかった……。」
有季はそっと腕を回して、祥貴の広い背中を抱きしめた。
「よく……帰ってきたね……。」
祥貴は有季の柔らかい髪に頬をすりつけるようにして、幾度もうなずく。
「先生に会いたかった……どうしても……会いたかった……。」
「……ありがとう。」
有季の深い笑みに祥貴はうれしそうに優しい瞳を細める。
「先生……。」
そっと吐息が近づき、暖かな唇が有季のなめらかな額に触れる。
「……好きです……。」
まぶたに唇が触れ、そっと頬にも触れてくる。
「先生……。」
耳元に少し擦れた甘い声が熱い吐息と共に吹き込まれる。
「……キス……してもいいですか……?」
うなずく間もなく、有季の答えを祥貴の唇がそっと盗みとる。どこもかしこも切なくなるほどに熱い。優しく撫でられる髪も抱きすくめられた体も、そして……とけるように一つになった唇も。
何も考えることなんてなかった。お互いに好きだというこの気持ちだけで、こんなにも心が満たされる。こんなにも優しくなれる。ラベンダーの甘い香りと祥貴の暖かい腕に抱きしめられて、有季の心の扉がそっと開いていく。
「先生……好きです……。」
祥貴が囁く。
「何よりも……誰よりも……好きです……。」
乾いた土に水がしみ込むように囁かれる言葉が有季の心を潤してくれる。有季は顔をあげると、ふっと微笑んだ。スッと指をのばして祥貴の冷たい頬にふれる。
「……リボン……。」
「え?」
「リボン……つけてくればよかったのにな……。」
笑みを含んだ有季の言葉の意味を祥貴はすぐに理解した。クスクス笑いながら、有季の柔らかい髪に止まった雪片を指先で払う。
「それは先生の方ですよ。俺にとって……これ以上のプレゼントは世界中探したって、ないんですから……。」
そして、悪戯っぼく瞳をきらめかせながら囁く。
「それに……先生の方が似合いそうですよ。赤いリボン。」
ほんの少し前なら有季の弱い心を逆撫でたそんな言葉も今は笑いながら受け取れる。有季は顔をあげ、祥貴の腕の中で空を仰いだ。あまりに明るすぎる都会の夜の中で、健気に聖なる輝きを放つ星たちが見える。
「でも……どうしてここに……?」
ふと見つめる有季に祥貴はゆったりと微笑んで見せた。
「年明けの昇段が決まりました。そのお祝いも兼ねたクリスマス・パーティーというので……無理を言って、この店で開いてもらったんです。なんだか……先生に会えるような気がして……。」
「僕もそう思った。」
有季はふっと満足そうなため息をもらした。
「……一緒にいられて……よかった……。」
有季のつぶやきに、祥貴は抱きしめた腕にそっと力をこめる。
「来年も……その次も……ずっと……一緒にいます。」
ミッドナイトブルーの星空から次々に舞い降りてくる白い翼の冬の天使たち。一人ではあんなに寒い心が、今はこんなに温かい。
「そうだね……。」
有季は小さく囁いた。
「ずっと……一緒にいられたら……いいな……。」
一瞬の風が二人の回りに円を描き、粉雪がサァッと舞い上がった。白い翼の天使が淡くにじむイルミネーションの光の渦の中で楽しげに踊っている。有季は甘やかに微笑んだ。
一人より……たぶん二人の方がいい。
あなたへ……心からメリークリスマス。

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