「なつ、き……?」
薄いシャツが、まろやかな肩をすべり落ちていく。
透き通る白さを持つ肌が、背後や左右の鏡の中に滲む。
その眩しさに、オレは無意識に目を細めた。
ズボンも下着もためらいもなく脱ぎ捨てて、奈月は生まれたままの姿を明るい人工の光の中に晒した。
予想もしなかった告白に青ざめていたオレの頬に、サーッと血潮が上ってくる。
いままで感じたことのないほどの激しさで、その肌に餓(かつ)えていることに気づいて、少しうろたえた。
奈月の過去を知ってしまったせいだろうか。
そこにとんでもない事実が転がっているだろうとは、最初から感じていた。
オレは、奈月が何者でもいい。
いま、目の前にいる奈月の何もかもがいとおしいから。その気持ちには、過去なんて関係ない。
「逃げるな、よ……おまえは、俺を好きだと言ったんだ。俺から……逃げるな──」
同じ言葉を繰り返して、広いベッドの上を白い肢体が近づいてくる。
差し伸べられた細い指を、逆に勢いよく手繰り寄せて、なまめかしい緋色のシーツへと荒々しく組み敷いた。
青白くさえ見えるおもてを、まっすぐに覗き込む。
「どうして、俺が逃げるなんて──?」
静かな声音で訊ねた。
「おぞましいと、思わないのか?」
掠れかけた声が、意外そうにオレを見上げる。
「思うわけない!」
大きく首を横に振って、なめらかな頬を掌に包んだ。
「奈月の父親が誰だろうと、母親がなんだろうと……それは、奈月のせいじゃない。きれいだよ、奈月は……オレが知っている誰よりもきれいだ。おぞましいなんて──」
囁きながら、やわらかな唇へ触れるだけの口づけを落とす。
「そんなふうに、思うわけないっ!」
強く言いきった。
戸惑うように、漆黒の瞳が揺らぐ。
「母を抱いた男たちは、まだほんの子供の俺にまで悪戯しようとした……」
「奈月……」
心臓をわしづかまれたような想いに、オレは息を止めた。
奈月の告白の間中、ただそれだけを恐れていた。
不思議に澄んだ闇の色が、ひっそりと笑う。
「セックスしたのは、おまえとが《初めて》だ──そう言ったよな」
改めて訊かれて、オレは小さくうなずいた。
「うん……」
「信じてくれるか?」
「うん」
今度は、はっきりとうなずいてみせる。
クスリと、明るい笑い声が返ってくる。
「本当に……?」
奈月らしい、甘く、からかうみたいな声で訊く。
その口調にいくらかホッとして、
「うん。本当に──」
オレは奈月の目を見つめ返して、真剣に答えた。
ちょっとうれしそうな笑みが、薄い唇に浮かぶ。
「人並みな感覚が、麻痺してるって言っただろう。体中、撫でまわされるのも、キスされるのも平気だった。触れられれば、ほんの子供だって気持ちよくなる。罪悪感の欠片(かけら)もなかった……いまも──」
あからさまに顔色の変わっていくオレに、奈月はちょっと苦笑を浮べた。
「怒るなよ。俺にとって、それは何も特別なことじゃなかったんだ……おまえと、初めてキスするまで──」
(えっ──?)
初めて奈月とキスしたのは、つい数カ月前のことだった。
同じ『白鳳学園』の三年生の神宮寺とキスしていた奈月に嫉妬して、オレはそれまで秘め続けていた想いを告白した。
そして、受け入れてくれた奈月を、初めて抱いた。
少し困ったように、漆黒の瞳が揺らぐ。
「ほんとのところ、まったく初めてってわけでもないんだ。指や舌や、妖しげな玩具(おもちゃ)の類(たぐい)で犯(や)られたことなら何度かある……」
「何度かっ!?」
気色ばんで訊ねた俺に、奈月は軽く首をかしげてしばらく考え込んだ。
「……何度も──」
よけい悪い方へ訂正する。
「この部屋で?」
勢い込んで訊ねると、奈月はいつもの曖昧(あいまい)な微笑み方でごまかした。
いきなり、しなやかな両手を伸ばしてオレの首を引き寄せる。
耳元に寄せた唇が、耳朶にきつく噛みついた。
「痛っ!」
思わず悲鳴を上げた。
ゾクリと下肢が熱く疼く。
「でも……俺の中に挿(い)れたのは──おまえだけだよ」
耳の中に直接囁かれて、オレは驚いて白いおもてを見下ろした。
「えっ……?」
まっすぐに見つめる瞳に、カーッと顔が熱くなる。
《初めて》って──本当だったのか?
奈月がそう言うなら、なんだって信じるつもりだった。黒を白だと言われても、俺はそれを信じる。でも……
「あいつは、誰にも、俺を抱くことだけは許さなかった。どれだけ玩具にして弄んでも……」
まさか──
「あいつって……初音、伯父さん?」
恐る恐る訊いた。
「ああ……」
奈月は平然とうなずく。
「奈月が悪戯されてたの、知っていたのかっ!?」
オレは、激昂して怒鳴った。
いくら奈月が生(な)さぬ仲だからって、そんな。オレは初音伯父さんには会ったことはないけど、親父の実の兄貴だ。オレにとっても、血の繋がった伯父だった。
だからこそ、許せない──
オレを見つめ返したまま、奈月は皮肉に微笑んだ。
「違うよ。俺を玩具にしていたのは、あいつだ。役に立たない自分のものの代わりに、バイブを突っ込んで、俺を……」
淡々と語る唇を、とっさに掌で塞いだ。
てられたからって、父親に等しい相手にそんなことされて、何も感じないはずがない。
痛みも苦しみも憎悪も、奈月は一人で抱え込むしかなかったんだろう。
「もういい……奈月──」
込み上げてきた涙が、頬を伝った。
冷めた色の瞳を、オレは目をそらさず覗き込んだ。
「同情してる、わけじゃない。俺は、口惜しいんだ──もしも俺がそこにいたら、初音伯父を殴ってやれたのに……」 許せない。
いまはもうこの世にはいない人だけど、オレの奈月を傷つけた男を、一生許さない。
どうすれば、奈月の深い傷を癒(いや)すことができるんだろう。
自分の力の足りなさが、これほど情けないことはなかった。
何を言っても、奈月の痛みを知らないオレの言葉は救いにはなれない。
ただ固く抱きしめた。
鮮やかに朱い奈月の唇に、オレは深く口づけした。
「奈月……なつき……」
狂おしく、熱い肢体を抱きしめた。
荒い息を吐きながら、濡れた瞳がオレを見上げる。
「もう……誰とも、しない──おまえが、嫌なら……」
「嫌だっ!誰にも、奈月を触れさせたくない──」
溺れ込むように、その体を抱きしめて繋ぎ止めた。
唇を重ねて、やわらかに吸う。
クチュリ……──
絡み合った舌先から、湿った音が響いた。
うっとりと長い睫(まつげ)が揺らぐ。
「俺と、キスするのは好き?」
潤んだ漆黒を覗いて、問いかけた。
素直な仕種で、こくりとうなずく。
その拍子に、繋がっている奥処がオレを締めつけた。
すげー、いい……
「セックスするのは?」
掠れかけた声に、奈月はもう一度、細い首を動かした。
うれしくて。揺らすようにゆっくりと、最奥を突き上げる。
「ぁ……くっ──」
薄く開いた唇から、甘い音色がこぼれ出す。
「気持ちいい?」
「いい……一己。もっと……」
ねだる奈月の汗ばんだ髪を梳き上げた。
頬に唇に、キスを繰り返す。
うんとやさしくしたい。
惨いセックスの記憶を、いまだけでも奈月が忘れられるように。そして代わりに、この感じやすい肌にオレを刻みつけてしまいたい。
奈月が受け入れたのがオレだけだというのは、確かにうれしい。
でもオレには、幼い奈月が何人もの男たちの欲望に傷つけられていたということの方が数倍ショックだった。
奈月は何も感じないと言っていたけど、オレは嫌だ。
だからって、奈月が汚れているとかおぞましいなんて思うはずもないけど。
奈月は誰かから、そう言ってなじられたことがあるんだろうか。
だとしても、オレが奈月から離れていくわけない。
「いくらでも、あげるよ。奈月が欲しいだけ……オレの全部、奈月のものだから──だから、もう誰ともするなよ。キスも、セックスも……」
しなやかな両腕でオレの背中にしがみついて、奈月は淫らな仕種で貪るように腰を揺らした。
「おまえが、いい──」
喘ぎ声が囁く。
「おまえだけが、いい。一己っ……」
甘やかに啼いて求める。
蕩けそうな花芯へ、オレも夢中で抽送を速めた。
ひとつに交じり合う快感が、爪の先まで満たす。
幸福に微笑んだ。
「好きだよ、奈月……愛してる──」
心の底から囁いた。
「ん……」
どこかあどけない表情でうなずいて、すがりつく指が肩に爪を立てる。
溶け入るみたいに、熱い襞の最奥へと情熱を放った。
奈月の欲情を下腹に受け止めた。
気だるさにシーツに沈み込む。
傍らで目を閉じている奈月の美貌を、オレはじっと見つめた。
奈月は、初音伯父の子供じゃなかった。 不能、だったって──?
だってオレは、伯父が駆け落ち同然に奈月の母といっしょになったと聞かされた。義伯母を、愛していたんじゃなかったのか。
じゃあなぜ、初音伯父は家を出たんだろう。
うちの道場だって、本来は親父じゃなくて初音伯父が継ぐべきものだったはずだ。
こんな部屋に、ひっそりと奈月を閉じ込めるみたいに育てて。その育て方だって尋常じゃない。
自分の子供じゃない奈月が、憎かったのか──?
いや、そんな単純なことが理由とは思えない。
初音伯父の行動は、常軌(じょうき)を逸(いっ)している。
だいたいなんで、奈月の母親とわざわざ結婚なんかしたんだろう。どこの誰の子供ともわからない奈月を生ませて。
奈月の、父親……か。
初音伯父が父親じゃないなら、いったい誰なんだろう。奈月は、誰が父親かわかるわけがないと言ったけど、本当にそうなんだろうか?
屋敷にほかに誰もいない安心感から、ドアを開け放ったまま奈月と抱き合っていた。
廊下から流れ込んでくる、さすがに冷たい明け方の風に、ぶるりと肩を震わせる。
シーツ一枚かけていない奈月の体を、そっと腕の中へ引き寄せた。
まだ濡れている漆黒が、部屋の明かりに煌く。
奈月──
「目が覚めた?」
微笑んで、その瞳を覗いた。
「何を、難しい顔をして考え込んでるんだ?」
いつもと変わらない口調で訊かれて、ちょっと答えをためらった。
まさか、奈月の父親が誰なのか考えていたとは言えない。
ふいに、冷えた指が内腿へとすべり込んできて、熱の去らないオレに触れた。
「なつ……っ」
節操のなさを悟られて、カーッと頬が紅潮する。
でも、奈月の方がもっと恥知らずだった。
「もっと、しよう……一己──」
妖しく潤んだまなざしで、オレを誘う。