美色エリート上司と愛の秘め事【第三話配信】

【第三話】

著作:御上ユノ イラスト:小路龍流

 

第二章

次の月曜日。

珍しく優有羽に会わない土日だったが、金曜の夜の出来事で、土曜は頭痛がし、日曜はのろのろと部屋の片付けをして終わった。

金曜日のバイトで起こったことは、まだ自分の中で整理ができていない。理奈には月曜のバタつきでまだ会っていないが、報告するのも躊躇われた。理奈は鷹島とあの場所で会ったのだろうか。彼女はああ見えて、大人なので、たとえ会っていたとしても、黙っているような気がする。

ただ、あの日の、気怠く、油断した鷹島を思い返すと、美久は、キュンとした心地よさを身に覚えた。

 

美久はPCを開き、社内チャットに目を通し、メールをチェックしてから、ルーティンである朝のデータ集計の仕事を始めた。

一時間ほど、各部署や外部に送るデータを送付し、改めて社内チャットをチェックすると、チャット内に付随する共有カレンダーに、鷹島からミーティングの依頼が入っていた。

十一時半から十五分間。美久は、PCの時計に目をやった。

(十一時二十五分!)

美久はモニターに繋げてあるPCを取り上げ、鷹島が指定したフロア窓際にある、スタンド席へ向かった。スタンド席は、その名の通り、立って会議をする席で、健康促進や会議時間短縮に役立つ……と、鳴り物入りで導入されたが、真偽は明らかではない。

鷹島は、まだ来ていなかったが、美久は全身に緊張を走らせ、PCをテーブルへ置いた。とはいえ、ただ棒立ちしているのも変なので、美久は鷹島を探すついでに、フロア全体を見渡した。皆、支給された押しの深いキーボードを、カシャカシャと鳴らしながら仕事をしている。

自分の席の辺りに視線を移すと、何度かこちらを見ていたらしい優有羽と目が合った。優有羽は『?』といった表情をして美久を見返した。

(普段、私みたいな地味なポジションが、ミーティングなんてしないものね……優有羽が不思議がるのも当然……)

スタンド席では、よく本部長を始め、鷹島やグループリーダー達と、錚々(そうそう)たるメンバーが施策を論じ合っている。彼らの前では、自分などこのフロアに存在しないも同然、と少なくとも美久はそう思っていた。

美久が、無の表情になりかけた時、目の前に甘い香りが漂った。

顔を上げると、珍しく眼鏡姿の鷹島が、ジャケットのないベスト姿で立っていた。ダークネイビーに上品なストライプ柄、青みがかった白シャツを着ている。金曜の、全体的にキャメルブラウンでまとめたコーディネートと違って、親しみさは消えたが、清廉でクールな印象だ。

「待たせたな」

鷹島は、PCを天板へ置いた。最近、鷹島は使っている業務用PCを新しくしたが、すでに美久のPCよりも年季が入っている。

「先週の週次進捗について聞きたい」

美久は、ポカンとした。

そんなものは、美久の担当から、グループリーダー、ひいては幹部ミーティングで報告が上がっているはずだ。

フロアから美久を遮るように立っている鷹島の目が、チラリと横に揺れる。黒曜石の鋭い光を放つ瞳は、明らかに、優有羽を指した。

「あ……」

意図を察して、美久はスタンド席に備え付けられたモニターのコードを、自分のPCに挿した。少しの間があって、打ち合わせ用の四十インチモニターに、美久の計算ソフトが表示された。

美久は、鷹島の長身越しに、優有羽の視線を感じた。

優有羽の気持ちは手に取るように分かる。『なんで美久が鷹島部長と打ち合わせを?』と。

正社員の優有羽と違って、契約社員の美久は、毎日、ルーティン業務をこなして、社員の手が回らない部分をフォローする。営業的な意味で、会社のビジネスそのものに関わっていくことはない。それが、本部長より最先鋒にいると噂される鷹島に、何かを説明しようとしているのだ。分不相応も甚だしい。

美久は、週次のレポートを探した。別の作業中に鷹島から話しかけられた動揺もあり、格納場所がすぐ思い出せなかった。

「えっと……」

「いや……これでいい……」

鷹島は、画面を一瞥した。まだシステムからのデータを転記中で、仕事の役に立つような代物ではない。

「はい」

美久は手をキーボードに置いたままに、鷹島の話をメモしている風を装った。

「昨日は……」

美久の鼓動が高鳴った。鷹島の低くて優しいトーンの声は、美久を詰問してはいなかった。鷹島の視線が美久の手元に降りた。伏せ気味になった瞼を縁取る長いまつ毛が、鷹島の目元に影を作る。

「あの……その……」

美久は、返答に窮した。『理奈の代打で体入した』、というのが事実だが、そう伝えるのは、保身のようで抵抗があった。

スタンド席の机の高さは、美久には少し高く、鷹島には低かった。鷹島は身体を折るようにして、両肘を突き、長い指を交差させた。

「……以前、あの店で、成田(なりた)君を見たが、そうか、君は成田君と、仲が良かったな……」

鷹島が言う『成田君』とは、理奈のことである。鷹島は、男女関係なく、苗字に『君』付けして呼ぶ癖がある。

「はい……」

美久は、フロアの優有羽に自分の表情が見えないよう、鷹島の影に入りながら同意した。

「杜(もり)君は、クラブで働いたこと、知ってるのか?」

「え……」

優有羽の苗字が急に耳に飛び込んできて、美久は目を丸くした。

「君たちが親しい間柄ということぐらい分かる。まぁ、とても上手く隠しているから、僕以外の人間は気づいていないと思うが」

美久は、鷹島の観察眼に驚いたが、それ以上に恥ずかしかった。鷹島の双眸は、自分と優有羽が、端から見れば、実質、付き合っている、という事実だけではなく、その関係に対する美久の複雑な想いまで見抜いている気がした。そもそも、優有羽に一途であれば、友人の頼みとはいえ、特別な事情がない限り、夜の店で働こうとはしないだろう。

美久は、鷹島に言い訳は通じないと、首を垂れた。

「杜さん……優有羽は知らないです」

「そうか」

鷹島は、あっさりと返した。美久と優有羽が、曲がりなりにも恋人同士であろうと、大した問題とは思っていないようだった。

「杜君は、少し嫉妬深い面があるからな。どちらも続けたいなら、彼のことをもっと気にかけた方がいい」

「……続けたい……かは、わからないです。本当に急で、理奈……成田さんの代わりだったもので……」

「そうか」

美久のグダグダな返答に、鷹島は深く突っ込むことはせず、あっさりと肯定した。

鷹島は、その底知れない包容感で、社内の評価を高めている。他の社員にはないスキルであった。

「最初は、白城君だと、全く気づかなかった。途中で、似ているなと、疑いを持っても確信が持てなかった」

「……はい」

美久は、今になって、先ほどの鷹島の『続けたいなら』という発言が、優有羽との関係にも掛かっている言葉だと気づいた。だが、話を急に戻すのは不自然だと思い、鷹島の解釈に任せることにした。

「白城君がしている小指の指輪。男が選ばなそうなデザインだから、自分で買ったのかな。以前から、書類の受け渡しの時に、気になってた」

「あ……」

美久は、鷹島を見上げながら、右手の小指に着けっぱなしのピンキーリングを、無意識に触った。

イルカが、指を一周するようなデザインで、胴体の部分に、ターコイズがはめこまれている。

大学時代、友人達と海外旅行した際、ホテルに入っていた中華系宝飾店で、買ったアクセサリーだ。美人で英語がペラペラの友人が、値下げ交渉を重ねて、二人で一つずつ買うから安くしろ、と、最後の一押しで店主を泣かせた品だ。今となっては、友人の覇気と破天荒さに付き合ったエキサイティングな冒険を思い返す。

そのピンキーリングを見るたび、美久は、何か人生に足りないもののヒントが隠されているような気持ちになった。それが何なのかは、未だにハッキリとしないのだが。

優有羽は、過去、何度かそのピンキーリングの歴史をしつこく聞いてきたが、美久は同じように事実を答えた。一般的に、男性は、着けっぱなしの指輪、イコール、何らかの恋愛が絡むと思うものなのだろうか。

だが、鷹島は、男なら選ばないデザイン、と、簡単に確定したので、美久はなぜかホッとした。

「ブランドではなさそうだが、デザインは悪くないし、素材も良さそうだ。白城君は他にアクセサリーをほとんどしないから、きっと思い出の品なんだろうと思っていた。それは、夜の銀座で見るデザインじゃないな。だから、そのリングで気づいた。逆に言うと、それがなかったら、確信は持てなかっただろうな」

「あの……そもそも、鷹島部長は、ママに会いに行ってらっしゃるから……私なんかに気づかなくても自然です……」

レギュラーのサリナさえ、鷹島の席に付けられない、という、ママの言葉を、美久は思い出した。

鷹島とママの会話に参加した記憶はほとんど無いが、少なくとも、途中で席を追い出されるようなことはなかった。

「ああ、ママは昔の知り合いだ。女の子は付けなくていいと言ってるが、ママなりに気を遣ってるんだろう。僕は、夜の女は好きじゃない」

ハッキリ言われて、心をチクンと突かれた。美久も、夜職に就こうという気はなかったが、好奇心が無いかといえば、嘘になる。どんなに裏が暗くても、ドレスは煌びやかだし、内装は海外ホテルの一室のように豪華だ。

「……少し話は逸れるが、若くして銀座で一流店のママになって、今は経営者となり、書籍を何冊も出版している女性を知っている。園田ママとは別の人で、年齢は……僕と同じぐらいか。だとしても、あの界隈で、経営者としても若い方だ」

美久は、鷹島の真意が分からなかった。金曜のことを、叱られたり、たしなめられたりするのは覚悟していたが、それ以外に何か伝えられるとは思ってもいなかった。

「その女性は、……最初のうちは、不器用で地味で、客とまともに会話できないような子だった。よく店長に叱られていたよ。でも、新人の頃から、何と表現するのが適切か……どこか、隠しきれない華があった」

鷹島の目が、思い出を探るように緩んだ。

「白城くんを見て、その人を思い出したんだ。……すまない、遠い過去の話だ」

その言葉に、世界が止まった。美久は、業務フロアのスタンドミーティング席という、無防備な場所なのに、鷹島と自分しか、この場所に存在していないように感じた。

鷹島の話に出てきた女傑に対し、彼が当時、どんな感情を抱いていたかは定かではない。少なくとも、鷹島が、その女性に対して憧憬の念があることを、美久は理解した。理奈のような『ファン』という心境に近い気がした。

「園田ママに聞いたろうし、恥じる過去だとは思ってないから言うが、僕は若い頃、あの業界に居た。君が、昼夜の仕事を掛け持ちするのは君の事情だから自由だ。夜の業界も人手不足だからな。だが……」

鷹島はそこで言葉を切った。少しずつ、鷹島の態度が、普段の部長モードへ戻っていく。

「『上手く利用する』のと『身を沈める』、この二つの違いだけは、分かっておいてほしい。白城君は……前者ができるほど、割り切れる性格ではないと思っている。園田ママは良い人間だと保証するが、だからといって、情に引っ張られないよう……」

鷹島の声の後半は小さかった。

よく聞き取ろうとして、美久が少し身を乗り出した時、「鷹島部長、会議です」と、別の部署のグループリーダーが声を掛けた。

「分かった、じゃぁ、白城君、ありがとう」

鷹島は、いつもの部長らしく、余韻も残さず、風のように去っていった。

一人残された美久は、数秒、鷹島の後ろ姿を見送っていたが、思い出したように、モニターケーブルを、PCから引っこ抜いた。

鷹島と話していたのは予定通り十五分程度だったが、与えられた情報量に、美久は圧倒された。

金曜の仕事後に、ママから聞いた鷹島の過去の話と、鷹島本人から今聞いた話の、整合性は取れている。

かつて鷹島が夜の業界で働いていたこと。

だけど今は、会社の一翼を担うと期待される中堅ホープだ。社員、ましてや部長の業務は、地頭の良さは勿論、論理的思考や、理数系の学びがないと難しい。ママは、鷹島が若い頃に夜の業界に居たと言っていたが、どこで人生の転換点があったのだろうか。

(もっと……鷹島部長のことを知りたい……)

美久は、モニターの電源を切り、業務用PCを持って、ノロノロと自席に戻った。

机上の環境を元どおりに戻し、業務用チャットを立ち上げると、優有羽から、個人メッセージが来た。

『美久、鷹島部長と、何話してたの?』

美久は、突然、現実に引き戻された。

やましいことを話していたわけではないが……優有羽は【美久のことは全て知っておきたい】性格だ。下手に隠すと追求されそうだが、鷹島のプライベートを晒すわけにはいかない。

美久は、優有羽と関係を持ってから、彼に隠しごとをすることはなかった。そもそも隠したいと思う自分のプライベートもない。少々、投げやりになっているところもあった。

だから、優有羽も、美久に何かあれば、自分に伝えるのは当然、と思っている。

だが、将来、優有羽が美久と離れ、新しい恋人ができた時、相手にもよるが、そういった粘着質な態度は諸刃の剣だ。美久は、その辺り、優有羽をすっかり甘やかしていた。

『仕事の話よ』

『仕事の話? どんな?』

優有羽は納得する答えが出るまで、業務時間を削ってでもチャットしてきそうな勢いだった。

美久は、この不毛な会話を終わらせる方法を、少し考えて、タイピングを始めた。

『雇用形態の話。優有羽は正社員だけど、私は契約社員でしょ。私はいつ切られてもいい覚悟でいるけど、かといって、このままの雇用形態で、ずっとこの会社で同じ業務をするのかなって思うと、悩むの。数字をまとめるのも大事だけど……。そういうのを、ちょっと部長と話したの。私、できるだけ定時で帰るから、部長とは時間外でそういう話、できないし。優有羽に言って解決することでもないよね?』

美久がそうチャットすると、優有羽からの返信が止まった。

優有羽はまだ新人である。仕事の全てが新鮮で、第一希望に就職できた、という愛社心も強い。だが、まだ、鷹島のような肩書や発言力、影響力もない。ましてや人事に関わる発言が通るわけがない。優有羽にとって、今、そのことをチラつかせた言い方をされるのは、とても不快なことだろう。

美久は、優有羽が新人の無力感に苦しんでいるのは理解しているが、話を切り上げるには、この鉈(なた)を振り下ろすしかなかった。

美久はしばらく業務に戻り、一時間半ほどして、手洗いに立った。小指のピンキーリングを外し、流しの横に置いた時、鷹島の顔が鮮やかに蘇った。

360度に目が付いていて、そこにリマインダーと時計を仕込んでいるような、超人『鷹島部長』ではない。美久が見ているのは、気怠そうな漆黒の瞳を官能的に伏せ、甘く低い声で話す、美しい男性だ。

その表情を思い出すと、美久の身体に、キュンとした甘い快感が走った。

美久は、性的なことに、積極的なタイプではない。

だが、今は、その鷹島の滑らかな頬や、整った指先に触れたい衝動があった。他のホステスのように、拒否されるかもしれないが、嫌がられることも、悪くない気がした。

そんな妄想が走った時、手洗いに他の社員が入ってきて、美久は、いつの間にか流しっぱなしになっていた水を止めた。

美久は、何を考えていたのだろう、と、セキュリティカードを機械にかざすと、小走りに自席へ戻った。遅れて、顔が火照ってきた。

 

〈第四話へ続く〉

美色エリート上司と愛の秘め事【第四話配信】

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