【第三話】
著者:百門一新 イラスト:森原八鹿
一章 見初めた獅子王との逢瀬
獅子王に抱かれてしまった。
夢だと思いたかったけれど、初めて男を受け入れたオフィーリアの秘められた場所は、しばらくじんじんと熱と痛みを持っていた。
まさか、陛下に抱かれてしまうだなんて思ってもいなかった。
突然の情事だ。ひどくなるだろうかと心配したが、一晩したら痛みは消えていた。
『初めてのことを思えば、ここまでか』
抱かれている時は、とても荒々しいとも感じた。
でも、優しくもあったように思う。最後は情事後の処理も知らないオフィーリアを、手伝ってもくれた。
もしかして、初めてであることを考えて抱いてくれていた?
私の体を案じて……?
「ううん。あのお方は、正気ではなかったのよ」
仕事にあたっていたオフィーリアは、箒を止めて頭を振った。
不運にも、発情期に遭遇してしまったに違いない。
自分のことを、熱く見据えてきた獅子王ヴィクトル。でもオフィーリアは目立った綺麗所もなく、あんな風に求められる魅力だって備わってない。
彼に見初められたなんて可能性は、ありえないだろう。
「陛下は、誰もが望んでいた発情期に入った……そこに居合わせてしまったんだわ」
王城の裏側、そして誰も訪れないこの場所。
走ってきたかのような様子でもあったし、持て余した熱に苦しんだ彼が、咄嗟に逃げ込んできた可能性も浮かぶ。
昨日、ヴィクトルは身を綺麗にするのを手伝ったのち、速やかに離れていった。名前だって聞かれなかった。
それは情事をしたとは思えない、あっさりとした別れにも感じた。冷酷な王であるというし、オフィーリアの衣服を整えてくれたのも申し訳なさがあったから?
もう次はないだろう。
幸いにして獅子王の血筋は子ができにくい。
「……さっ、今日のお仕事も頑張りましょう」
騒ぎ立てるつもりはない。このことは胸の内に留めておこうと決めて、オフィーリアは仕事へ気持ちを切り替えた。
細い道の落ち葉を集め、木々に絡む蔦の処理にとりかかる。
春の温かさでかなり育っていた蔦も、数日前よりだいぶ減って景観がすっきりしていた。
「野花を残せば、花壇代わりになるのではないかしら」
一部に集中していた黄色い野花を見て、ふと思う。
とにかく何か考えていたかった。痛みはなくとも、もう純潔ではなくなってしまったことを違和感として覚えた。
それを思うたび、獣の耳と尾を持った、美しい獅子王のことが思い出される。
振り払うようにオフィーリアは口にする。
「雑草を取ってみましょうか。ええ、それがいいわ」
時間はたっぷりあるのだ。ひとまずやってみようと考えて、手袋などの要り用なものを倉庫へ取りにいった。
黄色い野花の群は、細かい雑草が足元にびっしりとはえていた。
一つずつ抜いていく作業は、思っていた以上に大変だった。しゃがみ込んだ範囲内にあたっている間に、もう一刻が過ぎていて驚く。
「これは、一日でさくっとできる量ではないわね……」
肌が汗ばんでいるのを感じて、いったん小休憩を挟んで額の汗を拭った。
けれど心地良い達成感があった。
雑草を処理したところは、黄色い花が全体的に目立っていい感じになっていた。これを掃き掃除と同じく日課付けたい。
「午後にもう一回やりましょう」
午前中にやろうと思っていた掃除所が、もう一つ残っている。オフィーリアは道具を倉庫へと戻すと、埃払い用のブラシを取った。
建物へと上がる階段を、丁寧に掃き掃除した。
脇の段差も土埃がたまっているので、丁寧に払っていく。
その時だった。王城の建物へと続く扉が突然開いて、オフィーリアはびっくりした。振り返った途端、アクアマリンの目をこぼれんばかりに見開いた。
「ど、どうして」
動揺に揺れた彼女の瞳に、大きな男の赤味が強い茶金色の髪が映る。
そこにあった獣の耳が、声に反応してぴくっと揺れた。
「ああ、そこにいたのか」
男の太陽のようなシトリンの目が、真っすぐオフィーリアを見た。
――それは獅子王ヴィクトルだった。
美麗と思わせる容姿であるのに、通った鼻筋と男らしい精悍な目元をしている。目は知的で思慮深さがあり、改めて見ても冷酷な印象はない。
思わず見つめてしまっていると、その目が笑うように僅かに細められた。
「扉が君にあたらなくて良かった」
どこか温かい表情に驚いて、かけられた言葉にも戸惑う。
「い、いえ。当たるだなんて、全然……」
穏やかな声に驚いた。
だって獅子王は、冷酷だと言われている人のはずだから。
扉を閉めた彼の後ろで、二回ほど大きく振られた尻尾が見えた。合わせている目からも正常に思えて、よりオフィーリアの動揺は強まっていく。
「あの、なぜ陛下がここに?」
思わず口にしてしまったら、歩み寄るヴィクトルが首を傾げる。
「私の庭の一つだ。私が現われたらいけないのか?」
「いえ……」
そういうことではないのだ。
近付いてくるヴィクトルに対して、オフィーリアの足が後ろへとずれる。
初めて交わった相手と、すぐ顔を合わせて平気でいられなかった。そもそも彼は獅子王。彼女にとっては、目も合わせてはいけない雲の上のお方だ。
それなのに、ヴィクトルはこちらを見据えていた。
昨日、濃い時間を過ごしたせいだろうか。落ち着いている今の彼の目の奥に、まるで特別な熱があるかのように感じてしまう。
オフィーリアは、ハッとして慌てて顔を伏せた。
「も、申し訳ございません。使用人の身で、陛下のお顔を」
焦り謝罪を述べていると、不意に遮られた。
「よい。顔を上げよ」
普通に話しかけられて、びくっとする。
昨日は突然襲われたが、声にも落ち着きがあった。発情はどうなったのか。もう大丈夫なのだろうか……ドキドキしながら目を合わせる。
するとヴィクトルが、またしても目を僅かに細めた。
「ああ、やはり美しいな」
「えっ」
予想もしていなかった言葉に戸惑っていると、手を取られた。
持っていた掃除道具をどかされ、二人の間を遮るものなど何もないと言わんばかりに、ヴィクトルがオフィーリアを引き寄せる。
「君はここで働いているのか? なぜ? 他の女達は城の中のはずだ」
手の甲を撫でながら、頭に鼻先を寄せられた。
まるで匂いを嗅がれているみたいだ。オフィーリアは、彼の吐息が髪をくすぐってきて鼓動がうるさいくらい高鳴った。
「わ、私はお城に上がるほどの身分でもなく……ひゃっ」
ヴィクトルの唇が、オフィーリアの耳元をかすった。
「ああ、この匂い。城の中からも感じていた」
耳の近くで喋らないで欲しい。
低い声にぞくぞくした。吐息だけで背筋は甘く痺れて、もはや彼から漂う甘ったるい雰囲気は気のせいなどではない。
「名前を知りたい。君の名は?」
「あ、ぅ。私はオフィーリア……んっ……アンリルと申します」
「私の声だけで、感じてる?」
そう言ったヴィクトルが、不意にふっと吐息をふきかけてきた。
「んんっ」
オフィーリアは、取られた手をきゅっと握り返してしまった。
咄嗟にスカートの中で力を入れたものの、足の付け根がしっとりと濡れてしまったのを感じて頬を染めた。
つい昨日、覚えたばかりの快感のせいなの?
羞恥に震えて俯いた時、ヴィクトルの声が聞こえた。
「安心するといい。気持ちがいいのは、運命の人だからだ」
「運命……?」
オフィーリアは、顔を上げた。
「私も、君の声に感じている」
見つめ合ってすぐ、ヴィクトルに抱き寄せられた。ぴたりと密着したオフィーリアは、固いモノが触れたことに気付く。
「あっ」
主張し始めているソコに、ヴィクトルが男として興奮しているのだと分かった。
抱き締められている状況が猛烈に恥ずかしくなってきた。思わず身をよじったら、両腕で閉じ込められてしまった。
「君の名前を知って、いよいよ痛いくらいだ」
興奮が煽られたのか、ヴィクトルが擦りつけてくる。
まだ強い発情状態らしい。オフィーリアは体が強張ったが、小さくいやらしい動きをする彼の腰に妙な気持ちが込み上げた。
下腹部がきゅっとして、秘所の疼きを覚えた。
昨日、そうやって奥まで貫かれたのを思い出したせい?
戸惑っていると、彼の尻尾がするりと尻を包み込んできた。優しく撫でるように動かされてぞくぞくしてしまう。
「ふ、ぅ……っ、陛下、いけません」
感じてしまうからやめて欲しい。そう続けたかったのに、巻きついてきた尻尾が尻の膨らみの下をあやしく撫でてきた。
オフィーリアの体が、ぴくんっとはねる。
「んっ」
つい彼の服を掴んで悶えてしまった。尻尾に軽く撫でられただけなのに、体の奥がぞくぞくと疼いてくる。
「怖がることはない。番の反応だ」
「つ、つがい……?」
「触れ合うだけで感じる」
よく分からない。そう思って目を戻したオフィーリアは、ハッとした。
ヴィクトルが、昨日と同じあの熱のこもった目で見据えていた。けれど理性も残されており、それが魅力的な輝きとなって彼女を惹きつけた。
「今すぐ君を抱きたい」
ドキドキしていると、ヴィクトルがオフィーリアのこぼれた髪を、指ですくい上げて唇を押しつけた。
「一つになりたいんだ」
そのまま木の下へと誘われる。
オフィーリアの足は、戸惑いながらも背を抱く彼の腕に従っていた。もう一度繋がるなんてだめだと思うのに、けれど獅子王に望まれれば断ってはいけなくて……。
理性と欲情とが、初心なオフィーリアの中でせめぎ合っている。
その間にも、建物との間にできた木陰まで来たヴィクトルが、木を背に座り込んだ。
「おいで」
目元に笑みを浮かべて、穏やかな低い声が甘く呼ぶ。
その声に呼ばれれば、もう抗えなかった。発情期特有のものなのか、熱い眼差しがオフィーリアの胸を不思議な温度で高鳴らせた。
〈第四話へ続く〉