忘却の迷宮~黒騎士は姫君の愛を取り戻す~【第八話配信】

【第八話】姫君は迷宮の中、真実を求める

著作:赤城まや イラスト:かんべあきら

 

──薄明かりの中、人が倒れている。

ユリアナは足元に横たわる男を見つめて、呆然としていた。そして慌ててきびすを返す。いけない、早く知らせなければ──一刻も早く、あの人に。

その時、背後から足音が聞こえた。あっという間に自分に近づいてくる。

「待て! 逃げるな! お前さえ、いなければ……」

荒い息とともに足音の主の声が響く。憎しみに満ちた声。自分を糾弾したミヒャエルのような。

──ミヒャエル様? あれはミヒャエル様なの……?──

わからない。けれど追ってくる相手からは、強い憎しみがはっきりと感じられた。ともかくここからは逃げなくては。

追いつかれそうになって、さらに急ごうと必死に腕を振ったユリアナははっと気付いた。自分は手に、短剣を持っていた。あのサファイアの剣。そして、胸にはサファイアのペンダント。

──どうして!? 私、どうしてこの剣を持っているの……!?──

その時、頭に強い衝撃と、痛みを感じ、ユリアナはその場に倒れ、意識を失った……。

「──あ、ぁッ……!?」

自分の上げた悲鳴で、ユリアナは目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるかわからなかった。

ゆったりと広い寝室。その中で、自分は清潔なシーツと、毛布にくるまって横たわっていた。

窓のカーテンが少し開けられ、ステンドグラスの窓を通して、明るい日差しが差し込んでくる。外は晴れて、既に、日はかなり高いようだった。その為、部屋の中の様子が、横たわったままでも、全てはっきりと見えた。炎をほどよく調整した大きな暖炉。きちんと置かれた家具や調度に、厚い絨毯と、壁の、美しいタペストリー。

そして寝台の傍らの、小卓の上に置かれたサファイアのペンダントが目に入った途端、ユリアナは現実に引き戻された。同じ宝石がはめ込まれた剣はもう見当たらなかった。慌てて身じろいで、まずミヒャエルの姿が無いことに気付き、さらに全裸なことに気付いて愕然とする。

きれいに清められているものの、全身がひどく気だるく、特に腰と、太腿の辺りが重かった。そして火照って熱をおびた胸元や腹部、腕などの肌には、花びらのような口づけの痕跡が、幾つも残っている。それらを見て、昨夜の嵐のような出来事が、一気に脳裏に甦った。

──私……抱かれたのだわ。ミヒャエル様に……!──

ミヒャエルにこの館に連れてこられたこと。使用人達の冷ややかな態度と、告げられたあまりに衝撃的な自分の過去。そして……。

そう、自分はミヒャエルと身体を繋げたのだ。しかも、当初は確かに強いられた行為だったが、途中で自分も、夢中になっていた。彼に与えられる愛撫に、天にも昇るような心地よさを感じてしまい、彼にすがりついて、淫らな声を上げ、求め続けた……。

ユリアナは真っ赤になって激しくかぶりを振る。恥ずかしさと同時に自分が信じられなかった。何故自分は、会ったことも思い出せない、しかも自分に強い怒りと憎しみを抱いている相手に抱かれ、その心地よさに夢中になってしまったのか……。

──私は、そんなに淫らなの? ミヒャエル様を相手にあんなに乱れるなんて……。そういえば、彼はどこに……?──

そう思った途端、びくりとした。ノックの音が響いたのだ。

「は、はい……」

ユリアナはシーツを身体に巻き付け、声を上げた。すると控えの間に繋がる扉が開き、ベルタが入ってきた。

「あの、お着替えと、お食事をお持ちいたしました」

彼女の相変わらず素朴な、おずおずとした様子と声に、ユリアナは却ってほっとし、礼を言って頷いた。昨日、ミヒャエルとの口論に気付いて、ハインリヒを呼んでくれたのも彼女だった筈だ。

だが、扉が閉まる直前、控えの間にもう一人いることに気付いてはっとした。その、ハインリヒだった。自分の様子を見に来たのだろうか。

ともかくベルタに手伝ってもらって新しい下着とコルセット、そしてペンダントを付けてから、きちんと畳まれて置かれていた喪服をもう一度着て、髪を整える。そして、ベルタが食器は後でお下げします、と言って扉を開け、出ていこうとしたのを見て、ユリアナは声を掛けた。

「あの、ハインリヒさん……!」

扉の向こうにいた彼が、はっと足を止めたのがわかった。

「お願い、こちらに来て下さい。お伺いしたいことがあるのです……!」

ユリアナが重ねて呼ぶと、ハインリヒは逡巡する様子だったが、やがて部屋の中へ入ってきた。

「おはようございます、ユリアナ様」

困惑しているベルタを下がらせると、ハインリヒは挨拶し、遠慮がちだが、気遣わしそうな視線をユリアナに向けた。ミヒャエルと自分との間に、何が起こったかわかっている様子で、頬が染まったがそれどころではないと心を落ち着かせる。椅子を勧めたが、ハインリヒは断った。それで、ユリアナはまず尋ねた。

「ハインリヒさん。ミ……いえ、公爵閣下は何処においでですか。お戻りになるのはいつですか」

「領地の見回りに出かけられておいでです。しばらくこちらを留守にしておりましたから。お戻りは日が暮れてからになる見込みです」

淡々とした返事だった。だがユリアナは、昨日よりも彼が、自分を案じてくれている様子なのに気付いていた。それに昨日も、二人の緊迫した気配を察して部屋まで来てくれたのだ。それに、ミヒャエルは彼を信頼しているようだった。

──申し訳ないけれど、この人に聞こう……──

ユリアナは心を決めた。これ以上、わからないことが続くことに耐えられなかった。

「あの、ハインリヒさん、貴方は公爵閣下に、お仕えして長いのでしょうか」

「左様ですが」そう応じられて、ユリアナは思い切って尋ねた。

「それではどうか教えて下さい。私は、今の公爵閣下の兄上、カール様と婚約していたのですか? そして、彼とともに死のうとして、カール様だけ亡くなったというのは、本当ですか……!?」

出来るだけ落ち着いて聞こうと思ったが、やはり声が震えてしまった。そして聞かれた途端、ハインリヒは困惑したように顔をしかめたが、ユリアナはここでためらったらずっとわからないままだと思い、喪服の下からペンダントを引き出して、懸命に続けた。

「お願いです、教えて下さい! 私は、どうしても思い出せないのです。義父は亡くなる直前、私にこのペンダントを渡してくれましたけれど、これにどんな謂(い)われがあるのかは言わないまま逝ってしまいました。そして昨夜、公爵閣下は、これと揃いの宝石がはめ込まれた剣を私に見せて、カール様はこの剣を腹部に刺し、死んだのだと話されたのです。同じ宝石がはめ込まれたこのペンダントも、もしかして、元はカール様のものだったのではないですか? 公爵閣下は、それについては何もお話ししてくれなくて……」話しているうちにユリアナは、何だか悲しくなってきてしまった。どうして何も思い出せないのか。そして皆、そのことを聞くと、辛そうな顔をするのは何故なのか。今もハインリヒは、ペンダントを見、さらにミヒャエルが剣の話をしたことを聞くと驚き、困惑した様子だった。

「お願いです、どんなに残酷な事実でも、私は知りたいのです……!」

必死に、すがりつかんばかりにしてハインリヒに懇願しているうちに、ユリアナは、その青い瞳から涙がこぼれていることに気づいた。

「……」

ハインリヒは悩んだ様子でじっとユリアナを見おろし、それからかすかに頷くと、言った。

「承知いたしました。私でわかる範囲でよろしければお話しいたしましょう。ですが、その前にまず、どうかそのお食事を少し、お召し上がりになって下さい」

──そして、ユリアナがテーブルでパンとスープの食事を済ませると、彼は静かに話し始めた。

「まず、私のことでございますが、古くからフォイエルバッハ家に仕える騎士の生まれでございます。前領主、ヤーコプ様の命により、ミヒャエル様がご幼少の頃からおそばに仕え、養育係と剣の指導を勤めさせていただきました。年を取り、身体が衰え、今は執事として仕えておりますが、ミヒャエル様は私のことをずっと信頼し、様々なことを打ち明けて下さいました。ですので、私が聞いた限りのことを、あくまで私の視点でお話しさせていただきます」

淡々とだが誠実なハインリヒの言葉に、ユリアナは大きく頷いた。それを見て、彼は続けた。

「まず、剣と、ペンダントのことからお話しいたします。それはどちらも、元はミヒャエル様のものでございます。お母様の形見で、その二つともを貴女様にお渡ししたのでございます」

「えっ……!? カール様から、ではないのですか……?」

最初に聞かされた言葉に、ユリアナは驚き、思わず聞いていた。ハインリヒは静かに頷いた。

「左様でございます。ですが当初、ユリアナ様はカール様とご婚約なさっておいででした。──ユリアナ様が十六歳の誕生日をお迎えになった頃、このフォイエルバッハ公爵家の跡継ぎ、カール様と、メルツェル伯爵家の一人娘である貴女様との間で、縁談のお話が持ち上がりました。カール様は、ミヒャエル様より三歳年上で、当時は二十二歳、生きておいでならば二十四歳になられるお方です。お二人は異母兄弟で、兄のカール様が先の早世された奥方様、そして弟のミヒャエル様が後から再婚された奥方様の御子になります。ただ、その後添いの奥方様も、ミヒャエル様が幼少の頃にお亡くなりになりました」

「……」

「それ以前に、カール様はある国の王女様と婚約されておいでだったのですが、政治的な理由でそれが取りやめになりました。お二人の父上、お年を召しておられた前領主のヤーコプ様は、跡継ぎ問題を心配され、急いでカール様と、同じラインラントの貴族のご令嬢であるユリアナ様のご婚約をおまとめになったのです。ユリアナ様の義父上、メルツェル伯爵も、この婚礼を喜んで下さいました。そして、急遽決まった縁談ですので、婚約者同士、仲良くなっていただこう、ということで、ユリアナ様は義父上とこの館にご滞在することになりました。また、時折義姉上ご夫妻もおいでになりました。ですが、カール様は、そのご婚約の後も、あまりこの領地にはお戻りにならず、都の王宮でお過ごしになるのを好んでおいででした。以前からそうしておいでで……。義姉上ご夫妻もそのお供をして、都にご一緒することが多かったようです」

「……それはきっと、私のことがご不満だったのね」

ユリアナは苦笑した。王女と結婚する筈だったラインラント最大の貴族の跡継ぎが、自分たちより爵位が下、しかも六歳も年下の伯爵家の娘に対して、物足りなさを抱いても仕方が無いだろう、と思った。ハンサムな大貴族の若き後継者に対し、王宮ならば相手は幾らでもいたはずだ。

「いえ、単にそれは、カール様のお考えの未熟さだったと存じます」

意外なことに、ハインリヒはきっぱりとそう言い、驚くユリアナをよそにさらに続けた。

「そうしたご事情で、ユリアナ様はむしろ弟君のミヒャエル様と親しくなられておいででした。ミヒャエル様はユリアナ様と三歳違いとお年も近く、またご気性も合っておられたようで……お二人とも読書好きでおいででしたので、よく読んだ御本のことをお話しになったり、ミヒャエル様は貴女様と、私ども臣下とともに領地を回り、景色のよいところをご案内しておられました」

「え……」

それでは、やはり自分はミヒャエルと仲が良かったのか。ユリアナは何か、自分が軽率なような気がして頬を染めた。だが確かに、自分はそうしたことが好きだった。

「ですが、こうしたことが数カ月以上続き……前領主のヤーコプ様は、それをまずいと思われたのでしょう。当時即位したばかりのゴッドフリード国王陛下と相談し、ミヒャエル様は臣下として、陛下とともに戦場に赴くこととなったのです。当時、我が国は隣国、クールランドと領土を争っておりました。そんな時に陛下とともに戦うことは名誉であり、将来の側近としての未来を約束されることでもございました。父上と、何より国王陛下のご命令とあって、ミヒャエル様はそれをお受け入れになりましたが……その際に、ユリアナ様に、母上様の形見の、あの剣とペンダントをお渡しになったのです。後で私に打ち明けて下さいました」

「……! じゃあ、その、どちらも私に……!?」

ユリアナが声を上げると、ハインリヒは頷いた。

「はい。もともと二つのサファイアは、ミヒャエル様の母上様のご実家の家宝でございました。お母様はご自身が病にかかり亡くなる前に、形見としてそれを作らせた剣とペンダントに付け、ミヒャエル様に差し上げたのです。ペンダントはいつか、ミヒャエル様の伴侶に差し上げてほしいと仰り、それが遺言となりました。……ミヒャエル様はそれらを大切に持っていたのですが、まもなく戦場に赴くとなった時、ユリアナ様にその両方を預けられました。自分の分身だと思って、どうか大切に持っていてほしいと……ユリアナ様は、涙ぐんでどちらも受け取って下さったと仰っておいででした」

「──では、私は、カール様を裏切り……その……不貞を働いていたということ……?」

呆然としながら、ユリアナは尋ねた。確かにそうした状況だったら、自分はカールよりも、ミヒャエルに心惹かれてしまったかもしれない。

だが、ハインリヒはきっぱりとかぶりを振った。そして軽く頬を染めて続ける。

「いいえ。お二人はあくまでも、清らかなご関係でした。ですがミヒャエル様は、心から貴女様を愛しておいででした。そして貴女様も同じだ、と仰っていたのです。その為、国王陛下にお目にかかった際には、自分の想いをお伝えし、なんとかカール様との婚約を破棄してもらい、ユリアナ様との仲を認めていただこうと考えておいででした。もちろん、ご自身の父上にも、ユリアナ様の義父上にも説明するおつもりだったようです。そのことは、ユリアナ様も賛同し、ご承知だと私に、打ち明けて下さいました」

「……!」

ユリアナは真っ赤になり、ただ呆然と聞いていた。不貞を働いてはいなかったとはいえ、自分は、そんなにもミヒャエルと深い仲だったのか。そして、あの剣とペンダントには、それほどに大切な由来と意味とがあったのか。

──なのに私は、それらを全く思い出せないままなんて……──

「ですがその直後……ミヒャエル様が、国王陛下のお供で戦場に参ると決まった途端、突如カール様が王宮から戻って来られました。それまで再三、ヤーコプ様がお戻りになるようにとお伝えしても聞き入れなかったのですが……。カール様は王宮でたちの悪い病にかかったご様子で、そのまま故郷のこの館で、寝込んでしまわれたのです。しかも病状は悪化していきました」

「え……」

「それで……カール様にはお労しいことですが、難しいことになりました。跡継ぎのカール様がそのような状態のため、万一を考えて、その弟君であるミヒャエル様は、戦場に参るわけにいかなくなってしまったのです。また、ユリアナ様とのご婚礼の件も、保留という形になってしまいました。カール様は、そのことで随分とお悩みになっていました」

「そうよね、それは……」

ユリアナが頷くと、ハインリヒはじっとユリアナを見つめ、言った。

「そしてこの時、ユリアナ様は、カール様を大変良くご看病されておいででした」

「え……」

驚いて顔を上げる。ハインリヒは優しい光を浮かべた目でユリアナを見返した。

「失礼ですがユリアナ様は、それ以前から母上や、病を得た義父上のご看病をされたことがあったそうで……介護が大変お上手でいらっしゃった。また薬草の調合等にも長けておられましたな」

「え、ええまあ。でもそれが……?」

義父を介護していた時のことを思い出して、ユリアナが頷くと、ハインリヒは頷いた。そしてじっと真剣な眼差しを、彼女に向けた。

「ユリアナ様は、病に苦しむカール様を見かねて、懸命に看護されました。この館で、貴女様ほどそうした知識を持っておられた方はいなかったのです。貴族の息女で、そこまでされる方は初めてでした。ですがその、献身的な看護に初めて触れて、心打たれたカール様は、改めて貴女に、強く心惹かれて、愛するようになったのです」

「……!」

告げられた言葉に、ユリアナは息を呑んだ。何か、悪い予感がこみ上げてきたのだ。ハインリヒは先を急ぐように続けた。

「カール様は、貴女様への想いと、思うようにならぬご自身のご病気、そして健康なミヒャエル様への妬みから、随分と焦っておいでだったようです。おそらく、ミヒャエル様とユリアナ様の御仲についても、薄々知っておいでだったのでしょう。どうも、ユリアナ様の義姉上が時々お越しになって、そうしたこともお話しになっていたようで……。カール様は、ユリアナ様には荒い態度や言葉は一切お向けになりませんでしたが、ミヒャエル様には随分ときつく接しておられたようです。『自分が死ねばいいと思っているのだろう』などと……。それでミヒャエル様も、ユリアナ様も、それぞれ随分悩んでおいでのようでした。ユリアナ様は、今、カール様を傷つけるようなことはとても出来ないと、ミヒャエル様に仰ったそうです。

──そして、そうした日が続いていたある明け方、館の中庭で、カール様が亡くなっているのが見つかったのです。そして、その傍らには、貴女様も……ユリアナ様も倒れておいででした」

 

 

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