忘却の迷宮~黒騎士は姫君の愛を取り戻す~【第七話配信】

【第七話】公爵が告げたのは、あまりにも残酷な現実

著作:赤城まや イラスト:かんべあきら

 

「え……?」

芝居、と言われて、一瞬、ユリアナは何を言われたかわからなかった。思わずその青い瞳を見張って、ミヒャエルを見上げる。

と、ミヒャエルは無言で、じっともう一度、ユリアナを見返し、それからふいに苛立たしげな顔になると、いきなり上着の懐に手を差し入れ、厚手の布包みを取り出した。そしてそれを開き、捧げ持つようにして彼女に突きつけた。

「こ、これは……!?」

ユリアナは愕然とした。布の中から現われたのは、美しい一振りの短剣だった。短剣、といっても、ユリアナの指先から、肘までほどの長さがある。

だが彼女が驚いたのは、その装飾だった。その柄には美しいサファイアがはめ込まれていたのだ。それは、彼女の持っていたペンダントと、大きさも輝きもそっくりなものだった。

「この石は、貴女が今付けているペンダントと同じ石の筈だ」

視線をそのままに低い声で言われ、ユリアナは思わず、襟元に手をかけた。何故、付けているのがわかったのかと思う。だが触れてみて気付いた。ハイネックの襟元から鎖が僅かに覗いているのだ。慌ててその鎖に手をかけようとした時、それより早く、ミヒャエルの手が伸びて、ペンダントを引き出した。乱暴ではないが、ひどく急いた仕草だった。

「……!」

けれどユリアナは、彼のそんな行為よりも、目の前に並んだ剣とペンダントに呆然としていた。見比べてみるとよくわかる。サファイアはどちらも明らかに同じ品質の、見事なものだった。その上、さらに、ペンダントの石の周辺と、同じく剣の柄にはめ込まれた石の周辺に施された飾りの金細工は、全く同じ、葡萄の実と蔓をあしらったデザインだったのだ。ユリアナは目を見開き、懸命に尋ねた。知らぬ間に一歩、ミヒャエルに近づいてしまう。

「ど、どういうことですか。どうして私のペンダントと、貴方がお持ちのこの剣が揃いなのですか。一体何故……」

「まだ記憶がないと言い抜けるつもりか!」

その時、いきなりミヒャエルに右腕を掴まれ、ユリアナは悲鳴を上げた。彼は明らかに怒っていた。それでやっとユリアナは、ミヒャエルは、自分が記憶のないふりをしている、嘘をついていると思い込んでいるのだと気付いた。おそらく最初に会った時から、彼はずっと、ユリアナをそう見ていたのだろう。だからあんなに冷ややかな態度だったのだ。

──じゃあ、こんなに怒っているということは……。私は記憶の無い間に、何か、凄く酷いことをこの人にしてしまったの……?──

「お、お願い、信じて下さい! 私、本当に何も覚えていないのです。十六歳の誕生日の頃から、一年間の記憶が、全くないのです……!」

ユリアナは、こみ上げてくる恐怖と戦いながら、それでも必死で言った。冬の闇夜のように冷たい、漆黒の瞳が自分を見おろしてくる。その瞳もとても恐ろしかった。だがこの状況で、何も思い出せないということが、一番の恐怖だった。彼に引き寄せられた為、その瞳が間近に見える。それを懸命に見つめ返し、ユリアナはさらに言った。

「お願いです、教えて下さい。私は一体、貴方に何をしてしまったのですか!? このペンダントと剣は、一体……!」

「連れてくる時は家臣の手前、真実を言えずに観念して着いて来たのだと思ったが……。あくまでも芝居を続けるつもりなのか。それなら言ってやろう」

ミヒャエルはユリアナを凝視したまま、言った。

「ユリアナ。貴女は私の兄で、フォイエルバッハ家の跡継ぎだったカールの婚約者だった。あの、階段の壁に掛けられた肖像画の青年がそうだ。貴女は覚えていないという演技をしていたが。

──ともかく、十六歳になったばかりの貴女は、義父に連れられてこの館に滞在し、兄や私、当時存命だった私たちの父とともに暮らした。ここは、その際に貴女に与えられた部屋だ。そのタペストリーの図案を見ればわかるだろう」

「えっ……!?」

ユリアナは呆気にとられた。勿論、そんな記憶は全く無かったからだ。肖像画のあの金髪の青年にも、覚えはなかった。だが、確かに建国王アルフレートと、その最愛の王妃、マリアの物語は、仲が良く繁栄する夫婦の象徴として、結婚や婚約の祝いの際によく作られ、贈られるものだった。タペストリーを見た時、ユリアナはそのことに気付き、この部屋はそうした立場の女性のものだったのだろうか、と思ったのだ。まさか自分が当人だったとは思わなかったが。

「だがその後、兄は病に倒れ、苦しんだ兄は貴女にすがり、貴女は兄に同情し、二人で死のうとした。しかし、その結果、兄だけが死に、貴女は生き残った。そしてすぐに、貴女は全てを放り出して、義父とともに自分の領地に帰ってしまった。……貴女は私の兄、カールを死に追いやり、自分だけが生き延びたのだ。それも思い出せないというのか」

「……!?」

突きつけられた言葉に、ユリアナはさらに愕然とした。自分が犯したというあまりに酷い内容に、考えがついていかず、しばらく絶句した後で必死に叫んだ。

「そ、そのような恐ろしいことを本当に私が……!?」

聞いた途端、ミヒャエルは強く顔をしかめると、ユリアナの目前で短剣の、刃にかかっていた布を払い除けた。思わずのぞき込んだユリアナは、身を強ばらせた。その刃と、刃を包んでいた布には、大きく赤茶色の染みが残っていたのだ。

「これを見ても、まだそんなことが言えるのか。兄はこの剣を、腹部に突き立てて死んだのだ。これは、兄の血だ。そのままにしている」

ミヒャエルの低い声が響いた。

その染みのついた刃を目にしたとたん、ユリアナは、閃光のように一瞬、頭の中で何かが閃いたように感じた。誰か男が自分の傍らに倒れている。自分は立ちすくみそれを見つめている……。

「いっ、いや……!」

だがその途端、どっと強い恐怖がこみ上げてきて、ユリアナは思わず身をひるがえしていた。何も考えられず、扉に手をかけ、開いた。そして誰もいない控えの間を過ぎて、さらに廊下に続く扉に手をかけた。

──だがその時、背後から手が伸びてきて、ユリアナを後ろから羽交い締めにした。その手の強さに、ユリアナは心臓が跳ね上がるのを感じた。耳元で切なげな声が響く。

「また、逃げるのか。あの時のように……!」

──えっ……?──

その声の切ない響きに、ユリアナは驚いて振り返った。とたん、睫毛が触れあうほど間近で、ミヒャエルと視線が合った。それはひどく辛そうな眼差しだった。怒りよりも、哀しみがそこに溢れていた。

その瞳に、ユリアナは再び吸い寄せられそうになり、それから慌ててかぶりを振った。その動きで首から下がったままのペンダントが揺れ、そのサファイアの光がユリアナの目に入った。

「お願いです、このペンダントについて教えて下さい。義父は亡くなる間際に、このペンダントを金庫から出して私に与えました。それまで私は、これのことを全く覚えていませんでした。義父は何も告げないまま亡くなり、義姉やその夫はペンダントを見た途端に、とても動揺した様子でした。そして、貴方も……」

ユリアナの言葉に、ミヒャエルははっとした様子だった。その反応に、彼女は懸命に続けた。

「貴方が見せたその剣とこのペンダントに、そっくりの宝石が付けられているということは、揃いなのですか? だとしたら、それは婚約者だったカール様から、私に贈られたものなのですか? だから、私が持っていたのですか……!?」

ユリアナの言葉を、ミヒャエルは視線を逸らさず聞いていた。だが彼は答えなかった。何故かそれを見て哀しくなり、同時に、彼から聞いたばかりの自分の罪の大きさに気づき、恐ろしさに身震いした。ユリアナは必死に彼を見つめ、続けた。

「貴方の仰ることが本当なら、私は貴方の兄上を死なせてしまったことになります。私は、そんなにも取り返しのつかない、酷いことをしてしまったのですか……!? そうだとしたら、本当に申し訳ないです。で、でも、どうか信じて下さい。私には十六歳から、一年間の記憶が本当に無いのです、芝居などでは決してありません。だから全く思い出せないのです。その兄上のことも、貴方のことも……!」

その言葉に、ずっとユリアナを見つめていたミヒャエルが、びくりと身を震わせた。そしてその瞳がまた、冷ややかな光を浮かべる。

「言いたいことは、それだけか。全く覚えていないというのだな?」

「……!」

氷のような声で問いかけられ、ユリアナは身震いした。だがその通りだったので頷くしかなかった。何とか信じてもらいたかったのだ。するとミヒャエルは、そのまま手を伸ばして廊下に繋がる扉の鍵を下ろすと、ユリアナを抱え込んだまま、再び部屋へと戻っていった。その性急な仕草に、ユリアナは怯え、ただされるがままになっていた。

「──ミヒャエル様!」

その時、扉が激しく叩かれた。ハインリヒの声だった。その声が聞こえても、ユリアナは怖くてどうすることも出来なかった。

「ベルタが、ただならぬ様子だと……。ミヒャエル様、どうかここをお開け下さい!」

「下がれ、ハインリヒ。私は何としても、彼女から真実を聞き出したい。その心が知りたいのだ。その為に、ここまで生きながらえてきたのだから……!」

「えっ……?」

最後の言葉に、ユリアナは思わず顔を上げた。だがミヒャエルは構わずユリアナを引きずるようにして控えの間を通り過ぎ、そちらの扉もまた、鍵を下ろした。二つの扉に阻まれて、ハインリヒの声は届かなくなってしまった。

「……!」

再び、寝台のある部屋に戻され、ユリアナは震えながらミヒャエルの腕の中で彼を見つめた。気丈に見返した、というのではない。竦んで動けなくなっていたのだ。

ミヒャエルもそんなユリアナを凝視したまま、聞いた。

「もう一度、聞く。何一つ思い出せないと言うのだな? 本当にあの日々の……記憶を失っていると……」

「は、はい。本当なのです……」

情けないほど掠れた声しか出なかった。だがそれしか言いようがなかった。ミヒャエルの視線は食い入るほどに真剣で、嘘などつけなかった。

──だがそれを聞いた途端、ミヒャエルはふいに顔をくしゃくしゃにすると、ユリアナの身体をたぐり寄せ、一度、強く抱きしめたのだ。

「……!」

彼の胸に顔を押し当てられ、ユリアナは呆然とした。彼の鼓動が、はっきりと伝わってきた。

こんなに強く、激しく抱擁されたのは、覚えている限り初めてだった。その厚い胸板と力強い腕の感触、そして温もりに、ユリアナは一瞬、これまでの緊迫したやり取りを忘れてしまった。その代わりに何か、ひどく心地よい感覚が、こみ上げてくるのを確かに感じていた。

──どうして? この人はどうして、こんなことをするの? それに私は、何故身動きできなくなってしまうの?……──

「あ、……!」

その時、ミヒャエルが何か、喉の奥でつかえたような声を漏らした。

そして、抱きしめていた腕を緩めると、ユリアナの顎を掴み、顔を上げさせた。それはまるで、恋人同士のような──口づけを誘うような仕草だった。ユリアナはただされるがままになっていた。

ミヒャエルはユリアナを、じっとその黒い、底知れぬ瞳で見つめ、それから僅かに顔を近づけた。だが彼は、そこでいきなりかぶりを振った。まるで何かを振り切るように。

「言葉で駄目ならば、お前の身体に聞くまでだ」

そして彼は、そのままユリアナを、寝台へと押し倒したのだった……。

 

 

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