忘却の迷宮~黒騎士は姫君の愛を取り戻す~【第六話配信】

【第六話】 招かれざる客

著作:赤城まや イラスト:かんべあきら

 

「──ユリアナ殿。到着いたしましたが」

ふいに、耳元で名を呼ばれ、ユリアナははっと目が覚めた。そして間近にミヒャエルの黒い瞳があることに気付いて息を呑む。

「え、わ、私……」

「よく、お休みになられていたようだ」

言われて頬を染める。まさか彼と二人きりの空間で、眠ってしまうなんて思ってもいなかった。

ミヒャエルに出会ってから数日が過ぎていた。彼の支援を受けて無事に義父の葬儀と埋葬を済ませた彼女は、領地の管理について必要な書類に目を通し、サインをすると、後を執事や使用人たちに任せ、夜も明けないうちにフォイエルバッハ家の領地へと旅立ったのだ。義父の喪に服すため喪服のままである。その上から防寒用に、フードのついた紺のウールのマントをまとっていた。

使用人たちは最後まで心配し、『何かあったら直ぐ参ります』と口々に言い、館の門の前で揃って見送ってくれた。ユリアナは皆の心遣いに感謝しながら手を振って別れた。グスタフに引き裂かれた喪服は、幸い、裁縫の得意なハンナが大急ぎで上手く繕い、熱した籠手をあてて仕上げてくれたので、ほぼ元通りに、きれいになっていた。その内側にはあの、サファイアのペンダントが隠れて下がっている。

ミヒャエルはユリアナのために、立派な四頭立ての馬車を用意してくれた。彼女はそれに、彼との約束通り、自分の供は一人も連れずに乗り込んだのだった。その周囲はやはり、甲冑を着け、騎乗したフォイエルバッハ家の騎士達が取り囲んでいる。領地までずっとそうして彼らに囲まれてきたのだった。自分を護衛してくれている筈なのだが、ユリアナは何故か、監視されているかのようで落ち着かなかった。

そして意外なことに、ミヒャエルはユリアナと同じ馬車に乗り込んできた。行きは馬で来た様子だったのにそうしたのだ。

──どうしよう、少し気まずい……──

ユリアナは不安になった。メルツェル家からフォイエルバッハ家の領地までは、急いでも馬車で半日程かかる。彼に惹かれてはいるものの、その間、小さな空間で二人きりは少し気が重かった。

ミヒャエルは会って以来、葬儀や埋葬の間もずっと、淡々と、そしてどこか冷ややかな態度を崩さなかったからだ。もっとも、その采配は見事なもので、ユリアナや司祭だけで無く使用人たちにも行き届いた気遣いをしてくれた。当初、ミヒャエルに対して不審そうだった使用人たちは明らかに助かった様子だったし、彼女は安心してその手腕に任せることが出来た。その為か、義父への祈りもその別れもゆっくりと出来て、ユリアナは改めて義父の死を心から悼み、涙を流したのだった。

──けれど、いざ馬車が走り出してみると、心配は杞憂だったとユリアナは思った。ミヒャエルは多忙らしく、こちらには殆ど話しかけず、書類のかなり厚い束を馬車の中に持ち込んでいて、それに目を通すのに忙しかったからだ。馬車の中でも、器用に携帯用のインク壺を取り出し、汚すこともなくペンを走らせ、何枚か文書さえ作成していた。時折休憩する際に、必ず侍従がやって来て、処理済み、または作成した書類を受け取り、新しいのを持ってくる。

「……」

ユリアナはそっと、彼のそんな様子をうかがっていた。書類に取り組み、侍従と受け応えしている時のミヒャエルは冷ややかな印象がなく、むしろ熱心な様子だった。政務を行う彼を見ていると、義父の仕事を手伝ったり、執事たちと様々な問題を相談し、自身で取り組んだ時のことが思い出され、馴染んだ光景を見るようで、心が落ち着くのだった。

それに、ずっと義父の介護で館に閉じこもっていたこともあり、良く晴れた秋の日、馬車の窓外の景色を見ているだけでユリアナは楽しかった。もともと彼女は美しい風景や、その季節の移り変わりの様子、領民たちの暮らしぶりを見ることが好きだったのだ。

馬車の御者は熟練した手綱さばきで乗り心地はよく、今までの義父の介護や葬儀に追われていた疲れが出て、久しぶりの静かな時間に、気がつくとユリアナは眠ってしまっていたらしい。

──私って、随分呑気なのかしら。もしかして、呆れられているかも……──

現に、ミヒャエルはユリアナをまたじっと見つめている。

「た、大変失礼いたしました。私……」

「さあ、こちらへ」

ユリアナが謝りかけると、ミヒャエルはさっと目をそらし、慇懃な仕草で馬車の外へと導いた。素直にそれに従い、彼の手に引かれて降りる。さすがに身体が強ばっていた。外の空気が、故郷より少しひんやりとしていることに気付く。フォイエルバッハ家の領地が、自身の領地よりやや北側に位置しているからだ。

「──まあ……!」

けれど降りた途端、目前にそびえ立つ館の威容に、ユリアナは思わず足を止めて見上げていた。

──ここが、フォイエルバッハ家の館……──

城壁に囲まれた、街の中心に館があるメルツェル家と違い、フォイエルバッハ家の館は、街を見おろす小高い丘の上にあった。館の周りには防備の為か堀が張り巡らされ、跳ね橋を降ろすようになっているのは同じだが、建物の大きさや贅沢さは、メルツェル家とは比べものにならなかった。重厚な門構えの先に、翼を広げるように左右対称に住居が広がっている。灰白の、上質な大理石で作られた壁には、ステンドグラスがはめ込まれた、たくさんのアーチ型の窓が並び、建物の角には魔除けのためか、聖人や伝説の魔物などの彫刻が刻まれていた。

その館が、遅い午後の光の中、秋のやや冷たい風を受けて空を流れていく雲を背景にそびえ立っている姿は、どこか近寄りがたい光景で、ユリアナは圧倒されていた。

「何か、館をご覧になって気付いたことが?」

その時、数歩先を進んでいたミヒャエルに声を掛けられ、ユリアナははっとした。彼は再び、こちらを見つめていた。慌ててかぶりを振って、ユリアナは微笑んだ。

「え、いいえ。──ただ、とても立派なお城だな、と思っただけです。私はほとんど領地を出た事が無くて、こんなお城を見るのは、覚えている限り初めてで……」

「──参りましょう」

だがその言葉に、ミヒャエルはごくわずかに眉をひそめ、さっときびすを返した。ユリアナは驚き、急いで頷いて後を追おうとし、それからはっとなった。

正面の玄関からこちらに向かって、ミヒャエルの使用人たちが、領主の帰還を迎えようと左右にずらりと並んでいる。その人数も、ユリアナの領地とは比べものにならなかった。

「え……」

だが、その様子に、ユリアナは思わずためらってしまった。並んでいたのは男性ばかりだったが、彼女を見た途端、彼らは確かにはっとなり、強ばった表情を浮かべたのだ。一瞬、目で見交わした者たちもいた。その後一斉に、丁寧に頭を下げたのだが、ユリアナは彼らの浮かべた表情に、急に不安になってしまった。それはユリアナの使用人たちが、急にグスタフとバルバラ夫妻がやって来た時に浮かべる表情と似通っていたのだ。

ユリアナは思わずためらったが、ミヒャエルが先を歩いていくので、後についていくしかなかった。

「お帰りなさいませ、公爵閣下」

玄関ホールで出迎えたのは、初老の男性だった。白髪だが姿勢が良く、長身で、引き締まった体つきをしている。様子や服装は執事のものだったが、身のこなしは武人のようだ。

「今戻った。部屋の支度は済んでいるか、ハインリヒ」

ミヒャエルはまず、微かに笑みを浮かべて応じ、それからさらに、こう言った。

「メルツェル伯爵令嬢、ユリアナ殿をお連れした。案内するように」

「こ、こんにちは……!」

ユリアナは不安を抑え、彼──ハインリヒに笑顔を向けた。だがぎょっとした。視線が合った途端、ハインリヒが笑みを消してこちらを凝視し、それから確かに眉をひそめ、睨んだのだ。その鋭い灰色の瞳に、ユリアナはすくみ上がってしまった。

それと同時に、ハインリヒの後ろの二階の居住空間に上がる階段に添った壁に、肖像画が一枚掛けられていることに気付いた。玄関ホールに立つと必ず目に入る位置である。ユリアナはそれを見上げた。

当主のミヒャエルではなかった。金髪にやや薄い青の瞳、色白のハンサムな青年である。真紅のビロードに金糸で刺繍された贅沢な胴着を着ているが、ミヒャエルには似ていない。

──どなた、かしら……?──

ユリアナは思わず首を傾げた。それから、ミヒャエルとハインリヒが、自分をじっと見つめていることに気付いてはっとした。

「ハインリヒ、案内を」

だが、ミヒャエルの目はすぐに逸らされ、短くそう命じた。

「かしこまりました。どうぞ、こちらに」

そして主人の言葉に一礼すると、ハインリヒは仮面を付けたかのように無表情になり、丁寧だが素っ気ない仕草でユリアナに頷き、歩き始めた。見るとミヒャエルは別の方へ足を向けている。

「あ、あの、公爵閣下。私の記憶のことは……」

思わず心細くなって、ユリアナはその背にそう、呼びかけてしまった。だが彼は軽くハインリヒに頷きかけただけで、遠ざかっていく。まるで何かを振り切ろうとしているかのようだった。当惑しきって立ちすくむユリアナに、ハインリヒが声を掛けた。

「まず、お部屋にてお休みになるようにと、前もってより申し渡されております。どうぞ」

無感情な声でそう言われ、ユリアナはどうすることも出来ずに頷いてその後についていった。

不安を感じながらも、ユリアナは周囲を見回し、館の広大さに圧倒された。

廊下も広々しており、高い天井のがアーチを描いている。さらにもう日も暮れる時刻だったが、あちこちにろうそくやランプが灯されほんのりと明るい。ユリアナの館ではこんなに明かりを灯すのは贅沢なことだった。掃除も行き届いて清潔だった。だが調度は少なく、どことなく殺風景な印象がある。そういえば、着いた当初に見た広い玄関も同じだったことを思い出す。

だが控えの間を通り、案内された部屋に入った途端、ユリアナは目を丸くした。

「まあ……!」

これまでの様子からして、ユリアナは殺風景な、がらんとした部屋を想像していたのだ。

だがそこは、きわめて居心地の良い部屋だった。廊下以上にろうそくやランプが配置されているため、かなり明るい。季節は秋で、夕方からかなり冷え込むようになってきたが、部屋の壁の一角を占める大きな暖炉には炎が燃え、床には洒落た文様を織り出した、絨毯や毛皮が幾重も敷かれて暖かだった。寝台や椅子、机などの調度は重厚で上質なで、特に寝台はふっくらとしていて、かけられているリネンや毛布も心地よさそうなものだった。

そして石の壁を覆うように、防寒と装飾を兼ねた大きなタペストリーが幾つも掛けられていた。ユリアナの視線はそこに引きつけられた。タペストリーには、ラインラント建国の物語が生き生きと、美しい色使いの織りや刺繍で、順を追って描かれていた。

辺境の豪族の出身である勇猛果敢な青年アルフレートが、次第に他の豪族たちをまとめていき、ラインラントを平定してゆく。その最中、馬を操るのが巧みな豪族の娘マリアと出会い、恋に落ちる。二人は力を合わせてさらに国家統一を進め、やがては戴冠してラインラントの初代国王アルフレート一世となり、さらにこの時、最愛のマリアを正妃として婚礼の式を挙げ、めでたく結ばれる、という筋立てだ。ラインラントの人間なら皆知っている物語で、ユリアナも子供の時に、わくわくしながら乳母の語る物語を聞いたり、写本を読みふけったことがある。

──でも、この絵が掛けられているということは、この部屋は……──

「どうぞこちらでお待ち下さい。さしあたってのお世話は、こちらのベルタがいたしますので」

ハインリヒの言葉に、ユリアナは我に返り、慌てて彼を振り返った。見ると、おどおどした仕草で、簡素な身なりの若い女性が不自然なほど深く頭を下げている。

「あ……ありがとうございます。ベルタ、よろしくね」

ユリアナは出来るだけ気さくに声を掛けたが、娘は一層深く頭を下げただけで、返事もしなかった。場慣れしていない様子からして、侍女では無く、急遽雇われた領民のようだった。

「あの、ハインリヒさん。公爵閣下はどちらに? 私、お話ししたいことがあるのですが……」

そのまま無言で一礼し、ハインリヒが出ていきかけたので、ユリアナは急いで彼を呼び止めた。だが返事は、相変わらず素っ気ないものだった。

「ユリアナ様とは夕食の際にお話ししたいとのことです。時刻になれば、お呼びいたしますので」

「そうですか……ありがとう」

これ以上は、今は何も聞けないようだ。ユリアナは気落ちしながらもともかく礼を言った。そして、ハインリヒが出ていくと、ベルタは慣れない手つきで彼女のマントを脱がせ、やはり呼び止める間もなく、そそくさと控えの間に下がってしまった。

思わず一つため息をついて、暖炉の前の椅子に腰を下ろす。クッションが敷かれた椅子は心地よく、炎は暖かだったが、ユリアナの心は安まらなかった。

──私、『招かれざる客』なのね……──

ハインリヒやベルタなどの使用人たち、そして何よりミヒャエルの様子がそれを物語っていた。でも何故なのか全くわからない。自分の記憶が無い期間にフォイエルバッハ家に迷惑をかけたことがあるのだろうか? もしやそれが、義父が、記憶を思い出させまいとしていた理由だろうか。

そこまで考えて、ユリアナはパン、と軽く、自分の頬を両手で挟むようにして叩いた。

「──考えていても始まらないわ。ともかく、もう一度、今日中に公爵閣下にお話ししよう」

わざと、声に出してそう言う。そうすると少し心が軽くなった。

その時、扉が開く音が聞こえ、ユリアナは振り向き、目を見張った。突然ミヒャエルが入ってきたのだ。黒のゆったりとした胴着に、上質な茶色のウールの上着を羽織っている。その背後で、指示されたのかベルタがおどおどとこちらを伺いながら、控えの間から外へ出ていくのが見えた。

「公爵閣下!? どうして……」

ノックも無しに、いきなり入ってきたミヒャエルに、さすがにユリアナは緊張し、椅子から身を起こして思わず数歩後ずさった。確か、記憶については食事の際に話すつもりだと聞いた筈だ。

だがミヒャエルは構わず、後ろ手に扉を閉ざすと、足早に彼女に近づいてきた。そして傍に立ち見おろしてくると、明瞭な声でこう聞いてきた。

「いつまで芝居を続けるつもりだ」

 

 

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