忘却の迷宮~黒騎士は姫君の愛を取り戻す~【第四話配信】

【第四話】迷宮の扉の鍵はサファイアの輝き

著作:赤城まや イラスト:かんべあきら

 

──それから、半日が過ぎた頃。

「……ユリアナ様。どうか少し、お召し上がりになって下さいませ」

侍女に心配そうに声を掛けられ、ユリアナは振り返り、何とか笑みを浮かべた。盆の上にパンとスライスしたチーズとハム、それに野菜のスープが湯気を立てている。

「ありがとう、ハンナ。頂くわ」

自分より一つ年下の、今は一番仲の良い侍女の気遣わしげな眼差しに頷き、盆を受け取る。正直食欲は無かったが、食べないといけない、ということはわかっていた。

あの後、義父は意識を失ったまま昏睡状態に陥った。ユリアナと侍女たちは、精一杯手を尽くしたが、とうとう再び目を覚ますこと無く、昼頃になって息を引き取ったのだ。

その後、哀しんでいる間もなく、ユリアナは葬儀の支度に追われなければならなかった。侍女たちとともに義父の身体を丁寧に清め、簡素な葬儀用の白のローブに着替えさせた。それから急いで自身の湯浴みを済ませて喪服に着替えると、執事が呼び寄せてくれた領地内の司教と会って相談し、結果、葬儀は明日の朝、館の礼拝堂で執り行われることとなった。

義父の亡骸は侍従や下男達の手でそちらに運ばれ、ユリアナは棺に横たわった父の姿を見届けて、久しぶりに自分の寝室へと戻ってきたところだった。さすがに疲れ切っていた。だいぶ傾いてきた秋の日差しが、窓から斜めに差し込んできている。ここ数日で随分と日が短くなってきたように感じていた。そろそろ日が暮れる。

──この後も、しなければならないことが沢山あるわ。一週間ほど前の嵐で丘が崩れて、大変なことになっているし……──

領主が病気の為、メルツェル家の領地は今、事実上ユリアナが執事と相談して治めている状態だった。領民たちはユリアナを慕い、その指示にもよく従ってくれているが、自分だけではやはり手に余る、と思う。領民たちの為に、何とかこれから先のことを考えなければならない。

「──あら、誰かがこちらに来るようね」

寝台脇にしつらえられたテーブルにつこうとして、ふと顔を上げる。夕風に乗って、馬や人間の足音、それに馬車の音が聞こえてきた。それも大勢だ。

「この間、ユリアナ様のご指示で嵐の被害にあった領民たちを助けに行った兵士たちが、戻ってくるのではありませんか? ご領主様のお葬式のために」

同じく耳を澄ませたハンナの言葉に、ユリアナは頷いた。義父に心配をかけさせたくなかったので、彼女が被災した土地を視察した上で執事と相談して決めたことだったが、兵士たちはよく働いてくれ、領民たちは大喜びしてくれた。

──それにしても、お義父さまはどうしてあんなことを……──

暖かなスープを口に運びながら、ユリアナは亡くなる直前に、義父が漏らした言葉を思い返していた。明け方に聞いて以来、そのことがずっと耳から離れない。

──そのペンダントは、お前のものだ。私は何としても、お前に記憶を、取り戻してほしくなかった。だが、それは間違いだった──

──私の死後、お前の身は危険に晒されてしまうかもしれん。何とか、お前を守ってくれる者に……──

「……!」

ユリアナは思わず胸元に手をやった。ドレスの下には今、義父の死の直前に託されたペンダントが下がっている。今着ているのはハイネックの、黒いビロードとレースの喪服だから、外からは全く見えない。

義父が意識を失った後、ユリアナはペンダントを持ったままだったことに気付き、侍女たちが駆けつける前に急いでもとの金庫に戻し、鍵もかけた。だがその後、喪服の支度が済んだ後、一人にしてもらった時に、誰にも告げずにもう一度身につけたのだ。

一つには、義父の言葉から自分の失われた記憶にこのペンダントが関わっているとわかった為、大切に、肌身離さず持っていた方がいいと思ったからだが、それ以上にユリアナは何か、強く心惹かれるものを感じていたのだった。

──とても綺麗なサファイアと金細工のペンダントだけど……。それだけじゃない。何か付けていると安心出来る気がする……──

ただ同時に、それを今、誰かに見せるのは良くないと感じていた。だからユリアナはこのペンダントについて、誰にも見せず、話さずにいた。

「お疲れでございましょう、ユリアナ様。今日はもう、お休みになられた方がよろしいかと。私、控えの間におりますので」

あまり食も進まず、思い巡らせるユリアナの様子をどう思ったのか、気遣わしげに見守っていたハンナがまた声を掛けた。ユリアナは我に返り、微笑んだ。

「ありがとう。でも貴女も休んだ方が良いわ。ずっとお義父さまの看病や、今日の葬儀の準備まで手伝ってくれていたでしょう。私もすぐ、着替えるから……」

そこまで言った時だった。いきなり階下の玄関ホールが騒々しくなった。さらに何やら、言い争う声が聞こえてくる。初老の執事のフランツが、懸命に叫んでいた。

「お待ち下さい! そちらはユリアナ様のご寝室です。私が先にお伝えいたします故……。それに一体、外の騒ぎは……」

「何を言うか。彼女の姉とその夫が来てやったのだ。何故、案内を請わねばならぬのだ?」

「そうよ、私はユリアナと同じく、この館の主の娘なのにさ」

「しかし……」

「邪魔だ、どけ!」

騒々しい足音とともに、執事が制するのをさえぎるように居丈高な男の声と、甲高い、嘲るような女の声が近づいてきた。さらに執事が悲鳴とともに倒れる音も。

ユリアナはぎょっとし、ハンナと顔を見合わせると急いで身を起こした。その時、寝室の扉が先触れもノックも無しに大きく開けられた。

「お義姉さま!? グスタフさんも、どうしてこんなに早く……」

「久しぶりだわねえ、ユリアナ」

妹を一目見てそう言うと、バルバラは夫とともにさっさと中に入ってきた。

ユリアナは呆然としていた。確かに、義父はもう長くない、と悟った今朝、その知らせを急ぎ義姉夫婦のもとに送った。だが現在二人が住んでいる距離からして、こんなに早くやって来るとは思わなかった。

義父の連れ子である彼女は、ユリアナより三歳年上の二十一歳。緑の瞳に、高く凝った形に結いあげた赤みがかった金髪。その為、背が高いのが一層際立って見える。顔の造作が全体的に大ぶりで、派手やかな美人だが、こちらを嘲るように見る視線と、歪んだ笑みを浮かべた唇がどこか下品な印象を与える。

その後ろで夫のグスタフが、薄笑いを浮かべてこちらを見ている。茶色の髪と瞳の、バルバラよりさらに四歳ほど年上のハンサムな青年で、ラインラント内に小さな領地を持つ子爵である。

彼とバルバラとは宮廷で出会い、彼女の身分を考えれば良い話だろうと生前、義父が結婚を許したのだ。まだユリアナが記憶を無くす前で、その頃義父と義姉の仲はそこまで険悪ではなかった。

義父が亡くなった今、遠縁の者はともかく、この二人だけがユリアナの身内、ということになる。だがユリアナはどうしても彼らのことが好きになれなかった。特に姉は、幼い頃から自分を見る目がどうにも冷たく、両親が見ていないところで意地悪をされたこともあって心を許すことが出来なかった。

今、バルバラは派手な赤紫のビロードに金糸で刺繍をした豪奢なドレスをまとい、グスタフも白いシャツとズボンに鮮やかな赤の、やはり金糸で刺繍された上着、という姿である。その上から二人とも、まだ、季節としては早い、黒貂の縁取りのマントを羽織っている。どう見ても父の葬式に参列しに来たとは思えない派手な格好だった。

二人はその姿でずかずかと、ユリアナの寝室へと踏み込んできた。さらにその背後には人相の良くない、傷だらけの鎧を纏った男たちが数名付き従っていた。執事に乱暴を働いたのは彼らのようだ。さすがに部屋には入ってこなかったが、扉の傍で、まるで監視するように立ってこちらをうかがっている。

「……!」

ユリアナはいやな予感がした。もしかして金で雇われた傭兵か、と思ったのだ。義父が亡くなった途端にいきなりそんな状態で押しかけてきた義姉夫婦に密かに恐怖を感じる。だが、

「──いいのよ、ハンナ。下がっていなさい」 

忠義者の侍女が、主人の盾になろうとして懸命に前に出ようとしているのに気づき、急いで制した。自分より年下の侍女にそんなことはさせられないと思った。そして毅然と顔を上げ、二人に一歩近づくと、挨拶抜きで問いただす。

「今の物音は? お二人とも執事のフランツに、何をされたのですか!?」

「あらまあ、随分な態度だこと。義父が亡くなって間もないというのに、まるでもう新しいご領主様のようね」

だが彼らは、全く動じなかった。ユリアナを鼻先であしらうような態度である。グスタフは笑みを浮かべたまま、何か舐めるような嫌な視線をユリアナに向けていた。そこへ、

「ユ、ユリアナ様……」

先程、二人と言い争っていたフランツが、よろめきながら現われた。足を引きずり、額が切れて血がにじんでいる。それでもさえぎる傭兵たちを必死に振り払って部屋に入ってきた。

「フランツ! その怪我は……」

驚いて手を差し伸べかけたユリアナに、懸命にかぶりを振って窓を指さす。

「大変でございます。お館の周囲に、大勢の傭兵が集結しております。バルバラ様たちとともに参った様子で……どうかご覧下さい!」

「何ですって!? ……!」

ハンナに執事を委ね、手当てを託すと、ユリアナは窓に駆け寄り、また呆然とした。彼の言葉通りだった。

夕暮れの日差しが赤々と周囲を照らす中、館の前庭に傭兵たちが集結している。その数は五十人ほどだろうか。皆それぞれ古い鎧や皮の胸当て、すね当てなどをつけ、剣や斧などを持っている。髪や髭を無造作に延ばしていて、それが如何にも一癖ありそうで恐ろしい。

この時代、ラインラントでは、傭兵、というのはならず者の集団と同じ意味だった。それが仕事とはいえ金次第で、場合によっては戦闘中ですら味方を裏切ると見なされていたし、実際そういうことはあちこちの戦場で起こっていた。

館を警備していた兵士たちが急いで対応しているが、今、彼らは普段の半数以下しかいなかった。ユリアナの指示で、嵐に傷付いた領地の見回りに出ているからだ。その為、傭兵たちは遠目から見ても見くびった様子で、挑発的に剣や斧を振りかざしたりしている。

ユリアナはすぐ、義姉夫妻に向き直った。

「お義姉さま、グスタフさん。あの傭兵たちは貴方がたが連れてきたのですね!? それでフランツにあんな怪我までさせて……。一体どうして、そんな勝手なことをなさるのですか!」

二人は目を見張った。ユリアナが厳しい口調で尋ねたのが意外だったらしい。だがすぐにバルバラがまた、あざ笑うように答えた。

「何を言うの、お前の為を思ってしたことよ! そら、今この領地はこの間の嵐のせいで、館を守る兵士たちが駆り出されて手が足りないのでしょう? それを補ってやろうとしただけよ」

「そうだ。ユリアナ、お前は私たちにこの領地を全て、任せておけばいい」

グスタフも初めて口を開く。薄笑いと、ねっとりとした視線はそのままである。ユリアナは絶句した。予想はしていたが、二人は明らかに、今、災害のため館が手薄になっているのを知ってこんなことをしたのだ。義父が死んだ今、正当な相続人であるユリアナを脅し、メルツェル家の領地を意のままにするつもりだろう。

──そんな! どうして……──

確かに義姉もグスタフも、ユリアナが相続人であることに常々不満は漏らしていた。けれどこんなに急に、強引な、そしてあからさまな手段でこの領地にやって来るとまでは思わなかった。二人はそこまでこの領地に、強い執着を持っていただろうか?

ユリアナはそっと、ハンナとフランツを見やった。彼らはことの成り行きに青ざめている。それを見た途端、怒りがこみ上げ、恐怖に勝った。

──そんなこと、させるものですか!──

ユリアナはきっ、と顔をあげ、きっぱりとかぶりを振った。

「お断りいたします! 傭兵たちなどに大事な領民たちを任せるわけには参りません。直ちに私の領地から、傭兵たちを引き上げさせて下さい! 彼らがいる状態で、義父の葬儀を行うことなど出来ません!」

「な、何を言うの!? お前、急に領主づらをして。それに、それではお前は娘の私を父の葬儀に出さないつもりなの!?」

とたん、バルバラがぐいと目を剥き、顎を突き出した。ユリアナがこんなにきっぱりと断るとは思わなかったらしい。それまでのあざ笑うような態度から一変し、ユリアナをにらみ据えて耳障りな声で叫ぶ。彼女を苛めたり、脅したりする時にした仕草だった。だがユリアナは再び、きっぱりと言い切った。

「残念ですがそうせざるを得ません。義父が生きていれば、傭兵たちが自分の領地で勝手なことをするのを、決して望まないと思います」

「何ですって、この生意気な小娘が……!」

バルバラが激高し、手を振り上げる。ユリアナや使用人たちが息を呑んだ。が、

「よせよ、バルバラ。俺が仕置きをしてやるよ、任せな」

グスタフが妻を押しやり、笑ったままでそう言ったかと思うと、いきなりユリアナの手首を掴み、引き寄せた。そのまま今度は肩を押さえ込むと、近くの寝台に押し倒す。そして扉の傍の傭兵たちに目で合図した。

「……! な、何……」

「ユリアナ様!」

「生意気な女の躾け方は、これに決まっているだろう!」

衝撃と、あまりのことにユリアナは一瞬、呆然とした。だが、自分の上にグスタフが覆い被さってきたのと、ハンナの悲鳴で我に返る。薄い唇を舌で舐め、目をぎらつかせてのしかかってくる彼に、ユリアナはぞっとし、懸命にもがいた。

だがさらに、傭兵たちが勝手に寝室に入り込み、彼女を助けようとしたハンナとフランツを、笑い声を上げながら乱暴に押さえ込んだ。グスタフは勝ち誇ったようにユリアナの抵抗を押さえつけ、明らかにそうすることに慣れている手つきで、両手首を掴んで仰向けに拘束する。グスタフの肩越しにバルバラの姿が見えた。夫が義妹に狼藉しようとしているのに彼女は止めもせず、もみ合う二人を見てせせら笑っていた。ユリアナは必死に抵抗し、叫んだ。

「やめて、フランツたちを傷つけないでっ……!」

「いてっ! このくそアマ、噛みつきやがった!」

グスタフが悲鳴を上げ、それから逆上した様子で彼女の喪服を掴み、力一杯引き裂いた。

「きゃあああっ!」

「……!」

だが次の瞬間、何故かグスタフも、そしてバルバラも、その場で凍り付いた。

──え……?──

ユリアナは目を見張った。喪服を引き裂かれたことでユリアナの白い肌とシュミーズ、そして首から提げていたペンダントが露わになったのだ。彼らの視線はそのペンダントに注がれていた。二人は目を見開き、呆然とそれを見つめていた。

 

 

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