幸福の子爵令嬢【第二話配信】

【第二話】

幸福の子爵令嬢~学園アイドルにガチ恋してたら結ばれちゃいましたっ!~

 

著者:茅原ゆみ イラスト:森原八鹿

 

今時、古参の学者でもかけないような黒縁の瓶底眼鏡をかけ、白いレースの扇子で口元を覆っている。よってその表情はわかりにくく、レオンハルトのお手振りに喜んでいるのかどうかすらわからない。

制服のスカートはきっちりくるぶし丈。リボンもしっかり結ばれ、制服のスカートを短くして、リボンを緩めるのが流行りの昨今、お手振りの最前列でキャーキャー騒いでいる派手な生徒とは、雲泥の差があった。

「ダメじゃない、クリスティーナ! こんな後ろにいたら。あなたが大好きなレオンハルト様に、いつまで経っても顔を覚えてもらえないわよ!」

「……だって……」

親友のミレーネに叱咤され、クリスティーナはうちわを鞄にしまいながら、気のない返事をした。

「そうよ、そうよ。大好きな『ツェツィーリアⅤ』の殿方に顔を覚えてもらってこそ、次の展開が開けるんだわ」

もう一人の親友、エミリアにも興奮気味に言われたが、クリスティーナはどこ吹く風だ。

なぜならば、クリスティーナはもちろんレオンハルトのことが大好きだけれども、こうして週に二、三度姿を見ることができれば満足だった。

それ以上を望むなんて、身の程知らずだと、自分で思っている。

鞄を手に取ると、クリスティーナは扇子で口元を隠しながら、ミレーネとエミリアと教室に向かった。

高等部三年生の教室に着くと、自席に座り、ほっと息をついた。

本当はずっとドキドキしていたのだ。だって夢にまで出てくる王子様が、ほんの数メートル先にいたのだから。

クリスティーナは、大人しいけれど妄想が激しい少女だった。頭の中でもう何度レオンハルトと結婚したかわからない。家に帰れば、自分とレオンハルトの夢小説を書くのに必死だ。

夢小説は、クリスティーナの『レオンハルト愛』をぶつける唯一の手段なのだ。

『ツェツィーリアⅤ』の多くのファンには、自分と推しのメンバーとの恋愛小説イコール夢小説を書いている少女がたくさんいて、お互いに交換して読んだり、添削したりして楽しんでいる。

しかし、クリスティーナはそんなことはできない。

(だってそんなこと、心の中をのぞかれているみたいで、恥ずかしいじゃない!)

時々ミレーネやエミリアに夢小説を読ませてと言われるが、「そんなものは書いてないわ!」と言って、いつも逃げまわっている。

しかもクリスティーナは、瓶底眼鏡さえ外せば、稀代の美少女だった。

だからいつも二人の親友から言われるのだ。

「その眼鏡と扇子を外して、レオンハルト様にアタックしてみなさいよ」と。

けれども、ある出来事からとても内気な少女に育ってしまったクリスティーナは、夢小説すら親友に読ませることもできないのに、最推しのレオンハルトに近づくどころか、同じ空気を吸うだけで、倒れてしまうと自分で思う。

(こんなに内気な性格ではダメだと、いつもお母様や妹たちに言われるけれど、性格はそうそう直せないわ)

今日も一日授業を受け、どんなに楽しく面白いことがあっても、できるだけ笑わないように努力し、扇子で口元を必死に隠したクリスティーナは、家に着くなり、扇子を自室のベッドの上にぽんっと放り投げた。

「あー……今日も疲れた。やっぱり笑わないようにするのって、大変なのよね」

と言いながら、手元にあった手鏡をのぞきこんだ。

そこには、まつげの長い愛らしい顔が映っている。空色の瞳は大きくて、魅力的だ。鼻筋も通っていて、色も白く、唇は健康的なピンク色をしていた。

これだけ見れば、クリスティーナが笑うのを必死に我慢してまで、顔を隠す理由がみつからない。

しかし、クリスティーナが指先で上唇をにゅっと上に上げると、そこには大きな八重歯があった。

その八重歯を見て、クリスティーナは深いため息をついた。

「……この八重歯さえなければなぁ……」

小さく呟いたクリスティーナのこの言葉が、彼女を縛りつけている、最たるコンプレックスだった。

この国では、決して八重歯は嫌われていない。むしろ『八重歯は幸せを引っかける』と、幸福の象徴として好まれているくらいだ。

だから、クリスティーナも六歳の夏までは、笑顔の可愛い少女だった。

けれども、言われたのだ。

初恋の少年に。

「お前の八重歯は大きいな。まるで吸血鬼のようだ。きっと、嫁にもらってくれる男などいないだろう」

その言葉は、クリスティーナを激しく傷つけた。谷底に突き落とされ、這い上がってこれないほどに。

この日からクリスティーナは、口元を扇子で隠すようになった。そうして、家の外では決して笑顔を見せることがなくなった。

ときには親友たちに不意打ちで笑顔を見られることもあるが、慌てて扇子で口元を隠す徹底ぶりだ。

このことを両親も、仲の良い妹たちも心配しているが、家の中では相変わらずよく笑い、活発に過ごしているので、いつも不思議に思っている。

なぜクリスティーナが、そんなに八重歯を気にしているのか……と。

クリスティーナは八重歯を隠している本当の理由を両親にも、妹たちにも話していない。いや、話せないのだ。

話すと、あまりにもつらすぎたあの夏の少年の台詞を思い出してしまうから……。

制服を着替えて、楽なドレスを身にまとい、学園から帰ってきた双子の妹たちと庭で遊ぼうと思った時だった。

扉がノックされ、父親が「やあ、今、大丈夫かい?」と笑顔で訪ねてきた。

「大丈夫ですわよ、お父様」

微笑むと、父親はベッドに腰かけていたクリスティーナの隣に座った。

「大事な話があってね。訪ねて来たんだが」

「なんでしょう? お父様」

「いや、今度ね、王城で大きなダンスパーティーがあるんだよ」

クリスティーナの父親は、子爵だ。代々医者の家系で、父親も現役の小児科医として、街の中央にある病院で働いている。

よって、王城で規模の大きい晩餐会やダンスパーティーが開かれると、王城の使いの者が直々に案内状を家まで持ってくる。

今回のダンスパーティーの案内状も、先ほど使いの者が持ってきたとクリスティーナに見せてくれた。

そこには、王子であるレオンハルトの妃選びも兼ねているので、娘がいる者は連れてくるようにと書かれていた。

確かに、今年二十二歳になるレオンハルトは結婚適齢期だ。

クリスティーナも今年十八歳になったので、結婚適齢期ではある。

しかし、一生結婚する気のないクリスティーナは、父親に告げた。

「お父様、私はいつも言っているように、結婚する気はありません。それに、華々しい場所も苦手です。ですから、今回のダンスパーティーも、お断りしたいのですが……」

整った顔に柔和な笑みをのせた父親は、「わかっているよ」と言いながら、彼女の手をとった。

「でもね、今回のダンスパーティーだけは行ってみないかい? お父さんはクリスティーナの美しいドレス姿が見たいなぁ」

結婚の話はまた考えようと笑いながら、父親は一緒にドレスを作りに行かないかいとクリスティーナを誘った。

この言葉に、クリスティーナの胸はズキンと痛んだ。

娘として、優しい両親に花嫁姿を見せてあげられないことは、親不孝だとわかっている。

本当ならクリスティーナだって、ウェディングドレス姿を両親に見せてあげたい。

けれども、幼い頃の少年の言葉は呪縛になって、今でもクリスティーナを苦しめている。

「わかりましたわ、お父様。今回のダンスパーティーだけは参加しますわ」

ウェディングドレス姿を見せてあげられないかわりに……と、クリスティーナは父親と一緒にドレス作りに行く約束をした。

 

***

 

何度来ても、王城の大広間の絢爛豪華さには圧倒される。

クリスティーナは父親と一緒に作りに行った淡いコスモス色のドレスに身を包み、亜麻色の髪を結い上げ、大きな花をあしらったピアスをつけていた。

大広間に入ると、年頃の娘を連れた貴顕(きけん)がたくさんいて、本気で国王が息子であるレオンハルトの妃を探しているのだと、肌で感じることができた。

銀のトレイに乗せたピンク色のシャンパンを、品のよい従者が「どうぞ」と勧めてくれた。

「ありがとう」

シャンパンを受け取り、クリスティーナはやはり口元をレースの扇子で隠しながら、できるだけ大広間の隅へ隅へと進んでいく。

「クリスティーナ、こんなに隅っこにいては、王子様の目に留まらないよ」

あとを追ってきた父親に困ったようにそう言われたが、クリスティーナはレオンハルトの目に留まることが一番怖かった。なぜならば、自分は吸血鬼だからだ。

しかもこのあと、父親を伴って、国王とレオンハルトに挨拶をしに行かねばならない。

理由は、父親と国王が同じ学園――学園といってもツェツィーリア学園のことなのだが――の同級生で、とても仲がいいからだ。

国王が若い頃は、何度か家にも遊びに来たことがあるらしい。それほどの関係だ。

クリスティーナ親子以外にも、隙あらば国王とレオンハルトに一言でも挨拶を交わしたい親子が、ここにはたくさんいる。

そんな中でも、父親同士の仲がいいが故に、一番見られたくないレオンハルトに八重歯を見せなければいけないのだ。

「お父様、やっぱり私、ご挨拶せずに帰りたいわ」

「そんなことを言わないでおくれ、クリスティーナ。こんなに素敵なドレスを着ているのだから、せめて僕の親友のアルベルトに自慢をさせておくれ」

父親はクリスティーナの手をそっと握りながら、国王のことを親しげに名前で呼び、悲しげに眉を下げた。

クリスティーナは、父親の悲しそうな顔に弱い。

(困ったわ。お父様を悲しませたくはないし、でも、大好きなレオンハルト様に、吸血鬼のような八重歯は見られたくない……)

しかしクリスティーナは、ぎゅっと父親の手を握り返すと、心を決めた。

父親を悲しませるより、自分の八重歯をレオンハルトに見せようと。

そうすると、国王が専用の入り口から入ってきて、玉座に座った。

その隣には、椅子が用意されており、サファイア色の瞳に合わせた濃紺色のジュストコールを身に纏ったレオンハルトが、つまらなそうに腰を下ろした。

「やあ、ディートリヒ! 元気そうじゃないか」

大広間の隅にいたというのに、国王はあっという間にクリスティーナの父親を見つけ、片手を挙げながら微笑んだ。

「アルベルト! 君も元気そうでよかったよ」

父親はクリスティーナと手をつないだまま、玉座の前へと臆することなく進み出た。

「お隣のお嬢さんは、クリスティーナかい? 大きくなったね!」

しかも美人だ……と、目を細め、隣に座るレオンハルトを見た。

「レオンハルト。美しいお嬢さんだと思わないかい?」

この言葉に、レオンハルトは真っ直ぐな眼差しで、クリスティーナを見た。

「国王様、レオンハルト様、ご機嫌麗しゅうございます」

緊張で膝が震えたけれども、クリスティーナはドレスの裾を持ち、上手に挨拶ができた。

その時だ。

「そなたは、大きな八重歯をしているな。まるで吸血鬼のようだ」

そう言って微笑んだレオンハルトに、クリスティーナの頭の中で、ガーンと鐘が鳴る。

(やっぱり微笑みながら挨拶なんて、しなければよかった)

クリスティーナは、今にも泣き出したい気持ちで、ドレスの裾を眺めていた。

しかし、国王は大きな声で鷹揚に笑いながら、レオンハルトの言葉を打ち消す。

「何を言う、レオンハルト。八重歯は幸せの象徴だ。幸せを引っ掛けてくれるんだぞ」

この言葉に、クリスティーナは少し救われたけれど、心は重たく、暗いままだった。

すると、ざわざわとした侍女たちの声が国王専用の入り口から聞こえてきた。

「おとーしゃま、おにーしゃま。ビアンカのうさぎさんが、いないんですの……」

真っ赤なリボンがたくさんついた可愛らしいドレスを纏った幼女が、たくさん涙を流しながら、レオンハルトの膝元までやってきた。

「どうした、ビアンカ。大事なうさぎさんがいなくなったのか?」

レオンハルトは、今年三歳になったという年の離れた妹を抱き上げた。

「うさぎさんとは?」

気持ちは相変わらず晴れなかったが、クリスティーナは泣きじゃくるビアンカが可哀想で、思わず訊いていた。

「うさぎさんとは、ビアンカが大事にしているぬいぐるみだ。きっとおもちゃ箱の中に紛れてしまっているのだろう……」

ふぅ……とため息をつきながら、レオンハルトは美しい金髪をかきあげた。

それを聞いて、クリスティーナはドレスと同じ色のイブニングバッグから、苺味の飴を取り出すと、泣きじゃくるビアンカの口の中にコロンと放り込んだ。

すると、ビアンカは驚いたように湖色の瞳をまあるくして、クリスティーナを見た。

「おねーしゃんは、だぁれ?」

「クリスティーナ・プライセルと申します」

この時クリスティーナは、自然と微笑んでいた。泣き止んだビアンカの鼻の頭が真っ赤で可愛かったからだ。

バッグから出したハンカチで、ビアンカの涙を拭ってあげると、レオンハルトが泣き止んだ妹の頭を優しく撫でた。

「この飴、美味しい……」

ビアンカの呟きに、クリスティーナはさらに笑顔になる。

そして、ひとつの話を聞かせてあげた。

「そうですよ。この飴は魔法の飴なんです。森に住んでいる妖精さんたちが、一生懸命集めてくれた苺を使った特別な飴なんですよ。だから、どんなに悲しいことも、どんなに辛いことも、忘れさせてくれるんです」

クリスティーナが膝を折って、ビアンカと目線を合わせると、彼女は小首をかしげた。

「妖精さんたちが、一生懸命集めた果物の飴は、おにーしゃまもよく食べさせてくれるの」

「まぁ、そうなの?」

「そうなのよ。妖精さんのことはね、ビアンカのおかーしゃましか知らない秘密だったんだって、おにーしゃまが言ってたの。もしかしておねーしゃまは、ビアンカのおかーしゃまなの?」

突然、湖色の瞳が輝きだし、ビアンカは両手を差し出して、クリスティーナに抱きついた。

「おかーしゃま、大好き! ビアンカはずっとおかーしゃまに会いたかったのよ!」

小さな身体を抱き締め返しながら、クリスティーナは戸惑った。

自分はビアンカの母親ではない。しかし、ビアンカにそのことを告げるのも酷な気がして、どうしたものかと思案していると、レオンハルトが突然席を立った。

「そうだ、ビアンカ。彼女こそがお母様だぞ。見つかってよかったな!」

この台詞に、クリスティーナの父親も国王も、目を丸くしていたけれど、嬉しそうに笑うビアンカに勝てなかったのだろう。

その場では、クリスティーナが母親であるという言葉に目を細めることにしたらしい。

「おかーしゃま。今日は一緒に寝てくれる? 絵本も読んで!」

「えっ?」

驚き、戸惑いながら周囲を見渡すと、乳母や侍女たちが入り口の外側で、大きく頷きながら、クリスティーナに向かって頭を下げていた。

父親も「今夜は一緒に寝てあげなさい」とクリスティーナの肩を叩いた。

「そうだぞ、お母様は寝る前に絵本を読んでくれるものだ。これまでは兄である俺が読んできたが、今晩からは母親であるクリスティーナが、絵本を読んでくれるぞ」

ビアンカの頭を撫でながら、レオンハルトはえらく嬉しそうにそう口にした。

そして、侍女に命じてクリスティーナの部屋を用意させると、本人の意思に関係なく王城に泊まることを勝手に決めてしまったのだった。

この様子をなぜか父親も国王も、微笑ましく眺めている。周囲にいる貴顕の親子が、口惜しそうに見ていることを知りながら。

(えーっ!! いつの間に私、ビアンカ様の母親になったの? しかも王城に泊まるなんて、おそれ多いわ!!)

憧れのレオンハルトと同じ空気が吸えるだけでも幸せなのに、同じ城に泊まるなんて!

クリスティーナは思わず頬をつねった。すると、大広間の鏡に、自分の八重歯が映って、心がずんっと重くなった。

そうだ、自分は吸血鬼なのだ……と、緩んでしまった口元をきゅっと引き締めて、笑顔を再び封印したのだった。

 

***

 

第三話へ続く〉

 

幸福の子爵令嬢【第三話配信】

関連記事一覧
Related Post