冷酷刑事になぜか溺愛されています【第四話】

第四話 思わぬ告白

 

「おいっ! 大丈夫か」
崩れ落ちそうになる愛依の脇の下に、黒崎の腕が入った。「ちょっと、来い」と人の少ない薄暗い路地に入り、壁に寄りかからせてくれる。
「すみません。知らなかったので……ショックで」
「具合が悪いわけじゃ、ないんだな?」
「はい。私——幹事だったのに、何も知らなくて……だから、仲間外れにされた、と思ったら」
目の前が真っ暗になって足の力が抜けていた。まさか自分の知らないところで、話が進んでいるなんて知らなかった。誰かが教えてくれても良かったのに。ライングループに招待してくれても良かったのに。どうして誰一人として、愛依を誘ってくれなかったのか、考えるだけで胸が痛んだ。
「予定空けとけってくるんだから、仲間外れじゃないだろ」
「でも……グループラインに誘われなかったから」
「たぶん、俺のせいだな」
壁に手をついた黒崎が、睫毛の長い端正な顔を近づけて、フッと柔らかい笑みを見せた。漫画であるような壁ドンを、今まさに愛依はされている。顎をひくと、心臓の鼓動は跳ね上がり、瞼を何度も開閉させた。
(黒崎部長のせい……って?)
細い顎を親指と人差し指で掴まれると、甘い口づけが降ってきた。薄く開いた唇から、彼の舌先が入ってきて、歯列を舐めてから、口腔に舌を滑らせてきた。敏感になっている舌先を吸い上げられ、肩がびくっと跳ねる。
「岡本にバレてるんだ。俺が、大川が好きだってこと」
熱帯びた声で囁かれて、愛依の身体の奥が疼きだす。仕事だから、としまい込んだ熱がじわりと下肢を刺激してきた。
「うそ……?」
「本当。グループラインのメンバーに入らなかったのは、そのせいだと思う。俺がラインやってないの知ってるし」
「岡本部長……が?」
知っている? 黒崎の恋心を知っているから、合コンに彼を呼んだのだとしたら……最初から愛依は岡本から恋愛対象として見てもらえていなかった、ということになる。合コンで仲良くなっていたとしても、小川のように付き合えてなかったんだ。
「大川は岡本が好き……なのに、な」
「え? 知って……?」
「わかるだろ。だからって諦めるつもりはない。岡本は、大川の友達と付き合い始めたんだろ? 俺にもまだ、入り込む余地はある」
寂しげな表情で微笑む顔は、胸の奥がツキンと痛んだ。間近でそんな顔をしないでほしい。気持ちを持っていかれそうになる。
『私、黒崎部長のほうが好きです』と思わず口から、零れ落ちそうになる。
正直なところ、岡本のことがそこまで好きなのかどうか、あやしくなってきている。合コンをやる前までなら、好きだったと自信を持って言えるのだが——。
ホテルで黒崎と一夜を共にしてから、考えるのは岡本よりも黒崎のことばかりだ。もしかしたら今はもう……岡本への気持ちには区切りがついているのかもしれない。ただ、あっちが駄目ならこっちと言わんばかりに気持ちを乗り換えてしまう自分が軽薄な感じがして嫌だから……頑なに認めようとしないだけかも。
自分の心なのに、わからない。
「黒崎部長は……悪い、大人です」
「その大人に騙されて、潤んだ目を見せてるのは大川、お前だ。我慢がきかなくなるだろうが」
黒崎が、愛依の額におでこを付けると苦笑した。聞き返そうと顔をあげると、チュッと唇を吸い上げられる。
「悪い大人は、純真無垢な瞳には弱いんだ。泣きそうな顔をしないでくれ。欲しくなる」
「そんなっ……ことを、言われても」
わからない。愛依がどんな表情で今、彼を見つめているかなんて……。
それに純真無垢と言われるほど、純粋じゃない。好きな男性がいるのに、他の男に足を広げて善がるなど清き女がする行為じゃない。それに……心から小川と岡本の交際を喜べているわけじゃない。羨ましくて、ずるいって思っている。幸せになってほしいと思う気持ちもありつつ、あわよくば別れてくれれば……なんて不幸を願ってしまう黒い自分もいるんだ。二つの感情で揺れている己が、汚くて苦しい。
(黒崎部長が悪い大人だからじゃない……私が……一番いけないんだ)
どっちつかずでふらついている愛依が、良くない。
黒崎の胸を押し返して、距離を空ける。近くにいたら、また会議室の続きをしてしまいたくなる。今度は最後まで強請ってしまう。中途半端な気持ちで、彼に向き合っちゃいけない。愛依を好きだと言ってくれる彼を利用するような付き合い方をしちゃ駄目なんだ。
「あのっ! もう少し……待ってください。きちんと決着をつけてから……その……」
「待つってことは、俺と付き合う気でいるってこと?」
「え?」
黒崎の手が愛依の腰に入るとグッと距離が縮まった。愛依が押して空けた分以上に近づいている。彼のはちきれんばかりの熱量が伝わってきた。
「じゃなきゃ、待ってとは言わないだろ?」
「もやもやして気持ちが悪いんです。このままでは黒崎部長のせいにして、流されているって気になるし。でもこの状況になっているのは、私のせいでもあるから……黒崎部長だけが悪いわけじゃないし。そうなると、何が一番良くないって、私の気持ちがフラフラしているのがいけないって気がして……顔を見て、ちゃんと好きって言いたいんです」
「誰に?」
「え? 黒崎ぶ……ちょう、に?」
嬉しそうに顔を緩める黒崎を見つめながら、愛依は顔がみるみる熱をもっていくのを感じた。
(告白……して、いる、よね?)
今のは告白になっている。脳内で自分の言葉がリピートされる。けじめをつけたい、という旨を伝えたかったはずなのに。ただの告白になっていた。
「このまま流されろ」
「いや……それが駄目だから……」
「俺のせいにしておけ。俺が奪ってやるから」
「だ、め……んぅ、んぁ」
甘いとろけるようなキスが落ちてくる。額、耳朶、首筋を吸い上げられ、最後は唇に到着した。
岡本を好きなはずなのに黒崎に身体を許してしまう自分が嫌なだけ。岡本を好きな自分の退路を断ちたいという我が儘でしかないのはわかっているけれど……。
そうしないと黒崎に飛び込めないような気がしたから。思い切り甘えられないような気がしたから。

     ◇◇◇

『ごめん。知っての通り、僕は付き合っている子がいるから』
予想通りの答えだった。むしろこの答えを待っていたんだ。すっきりしたかったから。告白して振られることで、気持ちの区切りがついた。岡本への好きな気持ちを消化できた。一年弱、抱いていた片思いに、終止符を打てた。
通勤途中の満員電車の中で、愛依はラインの画面を閉じた。
よく酸欠で倒れる人がいないな、と思うくらい電車の中は人でごった返している。もわっとした熱気が気持ち悪く、早く仕事場の最寄り駅に着かないかな? と毎日思っている。夏場の満員電車は苦痛だ。とくに身長の低い愛依は、人の波に埋もれ、汚れた空気しか吸えてないんじゃないかと思うくらい息苦しい。酸素よりも二酸化炭素ばかりを、吸っているような気分だ。
(あれ? もしかして?)
愛依は前にいる白髪まじりの男性に目をやった。三十代くらいの男だ。クールビズと世間でうたわれ、ジャケットとネクタイをせず、半そでワイシャツの男性陣が多いなかで、目の前の男は黄色いネクタイを締めていた。
なんとなく胸元あたりを触られているような気がする。混んでいるから触れてしまうなら仕方ないとは思うけれど、うっかり腕が当たってしまうのとは違う。
電車の揺れに乗じて、愛依の胸の先端が手の甲に当たるように不自然な動きを見せている。そのうちに揺れて当たるのではなく、常に甲を胸につけておいて円を描くように弄り始めた。
(痴漢だよね? 勘違いじゃない、よね?)
気持ちが悪い。鳥肌がたち、寒気が走った。
何も言わない愛依に、どんどんと大胆に触るようになってくる男は、鼻息を荒くして手の平で胸を包んで揉み始めた。ぴったりと腰を愛依のお腹にくっつけて、熱を押し当ててくるが、気持ちよく擦りつけてくるのは男のみで、嫌悪しかなかった。
(これは間違いない。痴漢だ)
確信を得た愛依は、ぎゅっと鞄の取っ手を握りしめた。
次の駅で降りよう。一本くらい遅らせても、出勤時間にはまだ間に合う。最寄り駅まであと二駅。時間にして十分弱。痴漢男に触られ続けるのは我慢ならない。学生で制服を着ていたときは、痴漢によくあったが……社会人になってからは初めてだ。
恐怖で声があげられないのをいいことに、あちこち好き放題触ってくる手が憎たらしく感じる。手首を掴んで、「この人、痴漢です」と言えたらどんなに心も身体も楽になるだろうか。できないから悔しい。ただ電車を変えて、もやもやした気持ちを抱えながら出社するしかない。
駅について、人の波がごそっと動き出す。駅に降りたい人と、この場にとどまっていたい人間の攻防戦だ。
愛依も流れ出す人波へと身を乗り出そうとすると、がしっと強く腕を掴まれて引き戻された。
(え? ちょ……)
降りられない? 軽いパニックに襲われる。降りられるものだと思っていたのに。恐怖で気持ち悪い時間から、解放されるはずだったのに。なぜ引き戻されたのか。
黄色いネクタイが視界を占拠している。見たくないネクタイだ。これから逃げるために駅に降りて、次の電車に乗ろうと決めたばかりだった。
視線を引き上げれば、頬を緩めている鬼にしか見えない男の顔があった。痴漢という鬼の腕に、愛依はすっかり囚われてしまった。逃げたいのに、腕を掴まれては逃げられない。
「あと二駅先だよね、降りるの? いつも……見てるんだから」
(見ている……ってなに?)
「首筋のコレ……昨日は無かったのに。最近、雰囲気が変わってしまって……オトコ、できたの?」
(はい? 首筋のコレって……なに?)
痴漢男が指をさしたところに手をあてた。昨日、黒崎に吸い付かれた箇所だと思い出すと、顔が熱くなる。
「へえ、できたんだ、オトコ。今どき珍しい天使のような子だと思っていたら……やっぱり淫乱なんだ」
(ちょ……待って! 淫乱って?)
ガタンと電車が動き出すと同時に、痴漢男はまた愛依の胸に右手をあててきた。左手は、逃げ出そうとする愛依の二の腕を折れんばかり強く掴んでいる。混んでいて、身体を捩じることもできないのを知っていて、さらに追撃の手は進んでいく。服の上から柔らかい胸を揉むだけではなく、親指と人差し指で先端を摘まみ上げて弾いてきた。
気持ち悪いのに、ビクッと身体が小さく跳ねるのを見た男がフッと嬉しそうに声を漏らす。
「知ってるんだ、ここの快感を」
耳朶に口をつけると、囁いてくる。ぞわっと寒気が走って、愛依は首を左右に振った。
(怖いっ……快感じゃない。気持ち悪いだけ……違う)
助けて、と念じて固く目を閉じた。瞼の裏に描かれるのは、黒崎だ。『大川』と耳の中でも彼の声が木霊する。
学生の頃に味わってきた痴漢の恐怖とは比べものにならない。足がガクガクと震え、鞄をぎゅっと握りしめてないと怖くて涙が溢れてきてしまいそうだ。こんな怖い思い、したことがない。逃げ出したいのに、逃げられない。掴まれている二の腕が熱くて痛い。揉まれて抓まれる胸がまるで異物のように感じてしまう。
地獄のような時間が早く過ぎ去ってほしい。愛依は目を閉じて、唇を噛みしめた。
浦賀駅のホームに電車が入ると、男の手の力が緩んだ。その隙を逃さずに愛依はまだ人の波が動いてないのにも構わずにドアのほうへと歩き出した。普段なら人の迷惑になるから、ドアが開いて動き出すまではじっとしているのだが、今日はそんな悠長なことを言っていられない。すぐにでも痴漢男との距離を空けて逃げ出したい。
ドアが開いて駅のホームに降りて、ホッと小さく息を吐いた。これでもう大丈夫。強く掴まれていた右腕を擦る。
「逃がさないよ」
(……え?)
背後から聞こえる声に、恐怖で肩が震えた。ゆっくりと振り返ると、黄色いネクタイが目に入った——。

 

第四話 了

 

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