偽りの令嬢~親友の代行で婚活したら御曹司に気に入られちゃいました!?~【第五話配信】

【第五話】

 

著者:有允ひろみ イラスト:蘭 蒼史

 

(ありえない……。こんなの、夢に決まってる! ああ、でも――)

次の日の土曜日、珠美はまだ夜が明ける前の街を、駆け出さんばかりの早足で歩いていた。

実際、ついさっきまで走っていたし、ハイヒールでなければ、今だって歩いてなんかいない。

(急げ、珠美! もっと早く、もっと遠くへ――)

幸い、都会の繁華街は眠る事を知らない。

人はまばらだが、建ち並ぶ飲食店は営業中だし、明るい街灯もある。

昨夜、図らずも初対面の男性と夜をともにした。しかも、相手は富裕層であり、とびきりのイケメンだ。

(私ったら、なんて事をしちゃったの?)

通りすがった公園の時計が、午前五時十五分を示している。

諒一とベッドで抱き合ったのは、ほんの数時間前だ。本当なら夢であるべきなのに、三年ぶりにセックスをした余韻が、身体のあちこちにはっきりと残っている。

(なんでこんな事に? もう、我ながら信じられない!)

ただお見合いパーティに顔を出して、さっさと帰るだけ――そう思っていたのに、思ってもみないハプニングが起こり、諒一を嘘に巻き込んでしまい……。

親友の頼みだからと引き受けたまでは、よかった。

思いがけない出会いを経験して、ついついテンションが上がり、諒一と身体を交わらせた。

結果的に彼を騙し、嘘の上塗りをしたあげく、今こうして夜明け前の街を大急ぎで駆け抜けている。

緩い坂道に差し掛かり、珠美は再び走り出した。大通りに出て、たまたま通りかかったタクシーを止める。

ドライバーに自宅アパート付近の住所を告げると、珠美は後部座席にぐったりともたれかかった。製菓学校に入学してまもなく入居したそこは、住み始めてもう八年になる。

一夜を過ごしたスイートルームとは天と地ほども違うし、ホテルを出た今、珠美はもう本来の自分に戻っていた。

(これって、ワンナイトラブ、ってやつだよね? しかも嘘のお嬢さまとして、諒一さんを騙して――)

まさか自分が、あんな大それた事をするなんて思ってもみなかった。

だが、これは現実であり、昨夜自分は「榎田理沙」として諒一と出会い、彼に抱かれたのだ。

珠美は目を閉じて、今朝部屋を出る時に見た諒一の顔を頭の中に思い浮かべた。

(ごめんなさい、諒一さん。あなたを騙すつもりなんかなかったのに……)

昨夜は、いったい何度彼の腕の中で果てただろう?

諒一に抱かれるまで、珠美は本当の快楽を理解していなかったように思う。

それほど彼とのセックスは素敵だった。

だからといって、嘘で始まった諒一との関係を続けるわけにはいかない。

そんなわけで、珠美は激しく後ろ髪を引かれつつ、眠っている諒一をベッドに残し帰途についているのだ。

せめてメモ書きでもと思ったが、いつ彼が目を覚まさないとも限らないからやめておいた。

いずれにせよ、もう諒一と会う事はないだろう。

それに、もし万が一偶然どこかで鉢合わせても、きっと彼は珠美に気づかない。

なぜなら、彼といた時の自分は「榎田理沙」であり、着ているものもヘアメイクも、日頃の自分とはまったく違っているからだ。

(だって私は庶民だもの。ブランド物のワンピースなんか持ってないし、髪の毛だって普段はひとまとめにしてるし)

珠美は、深いため息を吐きながら、自分の顔に掌を当てた。

ベッドで抱き合った時は、ほぼすっぴんだったが、そうであってもたぶん大丈夫だ。

――と、そこまで考えたところで、バッグに入れているスマートフォンがブルブルと震えだした。

「ん?」

バイブレーションとともに聞こえてくるのは、聞き覚えのないメロディだ。

怪訝に思いながらバッグからスマートフォンを取り出し、画面にポップアップで表示された番号を見る。

(えっ? これって、私の番号じゃない?)

今一度確認するも、確かに自分の番号だ。

いったい、どういうことだろう?

珠美は手の中でスマートフォンを、まじまじと見つめた。

(あっ! これ、私のスマホじゃない!)

機種と色は同じだ。しかし、よく見ると同色のカバーが掛けられているし、背面に貼られているはずのシールがない。

ホテルの部屋を出る時、珠美はかなりあわてていた。

裸のままベッドを出て、大急ぎで隣の部屋にあるというクリーニング済みのワンピースを探した。身支度をして洗面所に向かう時、壁際のロングデスクにぶつかり、上に載せてあったバッグから持ち物が飛び出た。デスクの上には、バッグ以外のものもあったと記憶している。

おそらく、その時にスマートフォンを取り違えたのだと思う。

そうであれば、今珠美が持っているのは、間違いなく諒一のスマートフォンだ。そして今、彼は自分の番号に珠美のスマートフォンから電話をかけている――。

(ど、どうしよう……。このままスルーする? って、そんな事できるわけないじゃない!)

諒一のスマートフォンはロックが掛かっているようだ。しかし、電話に出るだけならロック解除の必要はない。

珠美は覚悟を決めて、表示されている受電マークをスライドさせて電話に出た。

「はい……保――え、榎田です」

うっかり「保坂」と言いそうになり、なんとか踏みとどまる。

『理沙? ああ、よかった。起きたら君がいないから、驚いたよ』

「ご、ごめんなさい! じ、実は用事があった事を思い出して……」

『そうだったのか。ともかく連絡が取れてよかった』

咄嗟に出た言い訳だったが、幸いにも諒一はそれを信じてくれたみたいだ。

嘘を重ねた事を申し訳なく思いながらも、珠美はいくぶん落ち着きを取り戻した。

「すみません! 私、諒一さんのスマホを自分のものと間違えて持ってきてしまって――」

『そうみたいだね』

「本当に申し訳ないです……。今、まだホテルですか? もし都合が悪くなければ、大急ぎでそこにスマホを持っていきます」

『あいにく、急遽仕事が入って、これからすぐに東京を離れなきゃならないんだ。帰京は明日の昼前になる。悪いけど、スマホの交換はそれ以降になるかな』

「えっ……お仕事で……。それなら、余計スマホがないとお困りですよね」

『いや、理沙が今持っているのは、僕のプライベート用のスマホだ。ビジネス用のは別にあるし、僕のほうはさほど支障はないから、そんなに気にする事はないよ』

「そうですか……よかったぁ……」

珠美が大きく安堵のため息を吐くと、電話の向こうから諒一の笑い声が聞こえてきた。

『僕よりも理沙が困るだろう? できれば明日会ってスマホを交換できればいいんだが――』

聞けば、諒一は明日昼前に帰京、仕事を挟んで日付が変わる前の飛行機で海外出張にでかけなければならないようだ。

そんな忙しい人の時間を奪うとは……。

珠美はいっそう恐縮して、あたふたする。

『そんなに気に病まなくていいよ。そうだ――申し訳ないと思ってくれているなら、せっかくだから明日、夕食を一緒に食べないか? あまりゆっくりはできないが、美味しい店を知ってるから理沙をそこに招待するよ――』

指定されたのは、都内でも特におしゃれな人が集まるエリアにある日本料理店だった。

珠美はそんな場所には足を踏み入れた事すらないし、行くだけでもプレッシャーを感じる。

本当ならスマホの交換が終われば即帰りたいところだ。しかし自分のミスで時間を取らせるのだから、わがままは言えなかった。

珠美が承諾すると、諒一が嬉しそうな声を上げる。

『じゃあ、明日のデートを楽しみにしてるよ』

「は、はいっ……では、明日――」

通話を終え、珠美は再びタクシーの後部座席にもたれ、脱力する。

とにもかくにも、諒一とはもう一度顔を合わせなければならない。自分が蒔いた種とはいえ、我ながらおっちょこちょいが過ぎる。

(明日も〝榎田理沙〟として諒一さんに会うんだし、それなりの恰好で行かなきゃ)

珠美は、困ったような顔で考え込む。

どのみち、理沙には事情を話しておく必要がある。

珠美はタクシーを降り、自宅に着くなり理沙宛てにSNSでメッセージを送った。

『緊急事態発生! 今日会える? とりあえず、起きたら連絡して!』

思いがけず、すぐに返信があり、電話で事情をかいつまんで話した。

『なるほど、それは緊急事態だわ』

理沙は、すべてを理解して、すぐに自宅に来るようにと言ってくれた。

着替えを済ませ準備を整えると、珠美は理沙の自宅マンションに向かった。彼女はそこを自身の祖父から譲り受け、三年前から一人暮らしをしている。

珠美の1Kのアパートとは比べようもないが、3LDKのゆとりある間取りには、来るたびに目を見張ってしまう。

「いらっしゃい、待ってたわよ~!」

玄関先で珠美を迎え入れるなり、理沙が歓声を上げて抱きついてきた。

上下揃いのスウェット姿の理沙は、目鼻立ちがはっきりとした今時の美人だ。お嬢さま育ちだが、叩き上げの祖父の影響なのか、驚くほど庶民的で性格もいい。

「きゃー! 珠美ったら、まるで映画みたいな展開だったのね! 素敵! これから珠美のラブストーリーが始まるのかも~!」

日頃から珠美の恋愛運のなさを気にかけていた理沙は、どうやらパーティ会場で偶発的な出会いがあればいいと期待していた様子だ。

「ちょっ……ちょっと待ってよ、理沙。向こうはリッチで稀に見るイケメンだよ? そんなの無理に決まってるってば――」

珠美は、一人盛り上がっている理沙に向かって首を横に振った。

「なんで? ドラマチックな恋愛には障害がつきものだし、相手の男性の様子からして、かなり本気度が高いと思うな」

理沙に促され、リビングに入る。

窓辺に行き、白革のソファに彼女と並んで座った。テーブルに用意されていたコーヒーをひと口飲み、ようやく落ち着いて口を開く。

「高かろうが低かろうが、嘘から始まった関係なんて、本当のラブストーリーにはならないよ。それに、本当の事を知ったら、私なんかと付き合おうって気にはならないと思う」

何せ、諒一はとびきりスタイリッシュで紳士的な美男だ。

しかも、リッチである上にとても優しい。

こちらにとっては夢のような出会いでも、向こうにしてみればとんでもない貧乏くじを引いたようなものだ。

「でも、スマホを取り換えなきゃならないから、少なくともあと一回は会わなきゃでしょ? それに、珠美ったらそんなふうに言っている割には、もうすっかり〝恋に落ちました〟って顔してるけど、ちがう~?」

指でツン、と頬を突かれ、瞳を覗き込まれた。

さすが、親友だ。

理沙の眼だけは、ごまかせない。

珠美は観念して、こっくりと頷いた。

「……実は、そうなの。……うっかり、好きになっちゃったみたいで……」

「やっぱり! だって、そうじゃなきゃ、なんだかんだ言って奥手の珠美が出会ったその日にセックスなんてするわけないもの」

理沙が言うとおり、珠美は間違っても安易に男性と身体の関係を持ったりしない。けれど、今回に限っては諒一の魅力に負けてベッドインしてしまったのだ。

「これってきっと、運命的な出会いだよ。せっかくだから、新しい恋に踏み出してみたら?」

「そんな事言っても、私は〝榎田理沙〟として彼に会ってるんだよ? 今さら、実は嘘でした、なんて言えないし、そもそも私は場違いな存在だったわけだし」

「うーん……それについては、タイミングを見計らってカミングアウトしなきゃだよね。だけど、もし彼が本気で珠美の事を想ってくれてるなら、そんな嘘くらいなんでもないわよ」

「なんでもなくはないわよ~! それに、冷静になって考えてみたら、あんなに素敵な人が本気で私と付き合おうなんて思うわけないもの」

「決めつけちゃダメだよ。向こうだって、出会ってすぐに珠美を見初めたんでしょ? きっと特別な縁があっての事だと思うよ」

「そう思いたいけど、現実的に考えたらどうしても無理があるよ。そりゃ、私がもっと可愛くて美人なら話は違うけど、このとおりの平々凡々で、なんの取柄もない女だもの」

珠美がそう自分を評すると、理沙が急に険しい顔で首を横に振った。

「そんな事ない! 珠美は人一倍優しくて、頑張り屋のいい子だよ! それは私が保証する!」

理沙にグッと肩を掴まれ、急に抱きつかれた。

「私が不登校になった時、ほかの子はみんな私を見捨てたのに、珠美だけは毎日うちに来て話し相手になってくれた。それがどんなにありがたかったか……」

理沙は昔、両親の離婚問題がきっかけで心を閉ざしてしまった時期があった。

珠美は、そんな理沙が心配で、彼女が学校に行けるようになるまで毎日家を訪ねていたのだ。

「そんな大袈裟な……」

「大袈裟じゃないよ! とにかく、私は珠美のよさを知り尽くしてるの! もしその彼が、珠美を傷つけるようなマネをしたら、ぜったいにただじゃおかないからっ!」

勝ち気で美人の理沙が怒ると、かなりの迫力がある。

その気持ちをありがたく思いながら、珠美は理沙の背中をポンポンと叩いてにっこりする。

「そう言ってくれるのは理沙くらいだよ。……でも、やっぱり出会い方に問題がありすぎて、うまくいくとは思えないなぁ」

珠美は理沙との抱擁を解いて、ため息を吐く。

「そりゃあ問題がなくはないし、珠美は人一倍正直者だから、嘘を吐いている事に罪悪感があるんだろうけど……」

「うん……彼に〝理沙〟って呼ばれて返事をするたびに、悪いなって……。自分はこの人を騙してるんだって思っちゃう」

「だけど、そもそも珠美に嘘を吐かせたのは私なんだし、悪いのは珠美じゃなくて私だよ」

理沙が、改めて珠美に詫びを入れる。

理沙が言ったとおり、珠美は元来単純で必要がない限り極力嘘などつかない正直者だ。

それに、嘘をついてもどうしても態度や表情に出てしまい、すぐにバレる傾向にある。

幸いにも、諒一に嘘がバレなかったのは、おそらく普通ではありえないシチュエーションだったせいだろう。

「あ~あ、私ったら、なんでスマホを取り違えちゃったのよ~。このまま会わずに済んでたら、嘘は嘘のまま放置できたのに……」

「だけど、好きになっちゃったんでしょ? だったら、そのミスはラッキーな出来事だったんだよ。それに、こんな展開になったのは、きっと恋愛の神様の思し召しだよ。彼のほうも十分その気なんだし、これがお互いにとって本当の恋なら、きっとなんとかなる! 私はそう信じてるよ!」

理沙が、きっぱりとそう言い切り、自信たっぷりに頷く。

「ところで、肝心の彼の名前は何ていうの?」

「葛城諒一さん、っていうの。彼、すごくスマートで優しくって――」

「かつらぎりょういち……? ちょっと待って。その名前、どこかで聞いたことが……」

理沙が眉根を寄せて考え込み、すぐにハッとした顔をして近くにあったテーブルを叩いた。

「ちょっと、珠美!」

テーブルを叩く音と理沙の大声に驚き、珠美はソファの座面から飛び上がった。

「な、なに? もしかして、彼の事を知ってるの?」

理沙がパッチリとした目を、いっそう大きく見開いて頷く。

「知ってるも何も、〝葛城諒一〟といえば、葛城財閥のご子息じゃないの! 葛城財閥といえば『帝都百貨店』――つまり、珠美が普段働いている百貨店を経営している一族の御曹子なのよ!」

「ええええええっ⁉」

まさかの事実に、珠美は目と口を大きく開けたまま絶句する。

「う、う、嘘っ……」

「嘘じゃないよ! ――ほらっ、この人でしょう?」

一気に血の気が引き、頭の中が真っ白になる。驚きすぎて動けなくなっている珠美に、理沙がスマートフォンで検索した画像を見せた。

それは「帝都百貨店」のホームページに載っている、同社の役員たちの画像だ。

「あっ、諒一さんっ!」

「やっぱり!」

諒一の画像の下には、「経営企画本部部長兼常務取締役」と記載がある。そういえば、「帝都百貨店」の社長は会社の創業者一族の出身であり「葛城」姓だった。

それは知っていたが、よもや諒一が創業者一族の人だとは想像だにしなかった。

「り、理沙……ど、どうしよう……。私、明日もう一度諒一さんに会わなきゃならないのに……。どうして? なんで、よりによって『帝都百貨店』の御曹子なのよ~!」

 

(この後は製品版でお楽しみください)

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