イケメン作家先生との偶然で必然なHな関係【第四話①配信】

【第四話①】

著作:葉月ぱん イラスト:南香かをり

 

月が替わり、冬が顔を出した。

必需品となった冬コートを押し入れから引っ張り出し、秋物を仕舞い込む。そうして衣替えをして終える夜に、智花はそういえばと玄関に歩く。

「確か同窓会の……あった」

ポストに届いたものは大体、玄関口にまとめてある。

その中からチラシを掻きわけ、一通の封筒を取り出す。

「同窓会参加の有無……あ、明日までだ」

差出人の名前はよく知った友達だった。『同窓会開催のお知らせ』――口を開けると、出席の有無を確認する返信用はがきが同封されている。

日付は二週間後の日曜。

「ああ……えっと確かその日は……」

珍しく休みを貰えた日だった気がする。

不定期になりやすい接客業で、かつ土日は混みやすい。人員はできるだけ確保しておきたいはずだが、お金を稼ぎたいアルバイトの子達が多く入りたいそうで、智花があぶれたのである。

リビングに戻り、テーブルに置いてあった手帳を確認する。仕事のスケジュールと、最近増えた一心とのデートの日取りも合わせ、同窓会開催日を見てみると。

「……何も、予定は入れてないね」

土日の休みは基本的に珍しい。

とはいえ、土日どこかに出かけようとは思わなかった。デートしようにも、観光地は混んでいるし、レストランも、その他諸々、いたるところに人が溢れている。

家デートならいけるかもとは思っても、彼の都合もある。最近は休みが合わせられないことが多い。多忙化しているのか、せっつかれているのか――まめだった連絡も、今は少し遅延気味。

仕事なら仕方ない。原稿にどのくらい時間がかかるのかなんてわからないのだから。

「一応、聞いておいた方がいいよね」

高校の同窓会だ。懐かしい面子が一堂に会する記念の日だ。

「……」

ラインに打ち込もうとした手が止まる。

脳裏をよぎる男子の顔。クラスの人気者で、よく話しかけてきた男子がいた。

事あるごとに話題を振っては、気を引こうとしていたように思う。気のせいだろうか。いや、どうだろう。同クラスだった彼とも会わなくてはいけないとなると、悩ましい。

彼の性格や立ち居振る舞いには憧れはあったけれど――恋ではなかった。

――二週間後の日曜、同窓会があるんだけど、行っていいですか?

簡単な文章を打ち込み、送信。

既読は意外とすぐについた。

――いいよ。でも、気をつけてね。

スタンプに親指を立てるクマが送られてくる。

「……いいんだ」

なぜだか少し、納得がいかない。

いや、彼は知らないのだ。智花に距離が近い男子がいたことを。クラスの人気者で、その姿に憧れていた――決して恋ではないのだけれど。

「モヤモヤする……」

自分で聞いておいて、矛盾している。

行ってもいいならそれでいいじゃないか。でも、なんというか、引き留めてほしかったというか、束縛はあんまり好きじゃないけど、少しぐらいは縛ってほしいというか。

わがままとはいえ、面倒な自分にため息が漏れる。

 

 

高校三年生の時。

橘智花は大人しい部類の人間だった。今もさほど変わらないが、この時は読書に暇を費やし、人付き合いをしないで孤立するタイプの、個人世界至上主義者だった。

しかし、そこに話しかけてくれる男子もいたのだ。

「何読んでるの?」

「え……」

中休み、昼休みと話しかけてくるのは短い黒髪の男子だった。「それ」と指さす本の表紙に、智花は気づいて答える。

「これは、『ダイスロール』です」

「内容はどういうの?」

「内容は……」

なんと表現すればいいのか。

「人生に疲れて自棄になった人が、限界まで飲んで食べてを繰り返して、肥満が原因で余命宣告されて、最後には後悔して泣いちゃう日記」

「なにそれ」

自分で説明していても意味がわからない。

笑いながら本を覗く彼に、文面を傾ける。しかし、彼は首を振る。

「僕はあんまり読書が得意じゃないんだ」

じゃあ、なんで聞いた。

彼にとって、本を読むのは勉強なのだという。その概念さえ取っ払えば、きっと面白おかしく本を読める。しかしその解決手段が見つからず困っている最中なのだ、と彼は相談をもちかける。

「そうだ。手伝ってくれないかな、橘さん。僕が本を読めるように」

「本は無理に読むものじゃないよ?」

「それでも」

お願い、と彼は両手を合わせる。

「橘さんとなら、本を読めるようになる気がするんだ」

――なにそれ。

新手のナンパのような気がして、うんざりした顔をする智花。めげない彼に目を背けつつ、暴飲暴食の指南書にしおりを挟んで閉じた。

きっと適度に相手をしないと、この手のタイプは離れてくれない。

「じゃあ、何が好き? えっと」

名前、なんだっけ。

四月のクラス替え初期、全員分の自己紹介を耳にしたけれど――憶えているのは数人。話すことがなければ、直接関わることもない。覚える必要もなくなる。

困った顔をしていたのだろう、彼は気づいたように笑みを深める。

人好きのする笑顔だった。

「僕は追川(おいかわ)壮馬(そうま)。よろしく、橘さん」

履いてるスラックスで手のひらを拭って、握手と差し出された手。

それをじっと見て、彼の笑顔とを交互に見る。

「……よろしく、お願いします」

不思議な人だと思いつつ、頭を下げる。

握手はしなかった。

 

――一週間経たず、彼は本を読み切った。

「面白かった、これ! やっぱり橘さんのオススメの本はすごいよ。ゲームとかよりも集中して読んじゃったよ」

昼休み、前の席の椅子を借りて笑顔で話す壮馬に、智花はぽかんとした顔をする。

彼の手には先日、好みの傾向を見つつ、読みやすい本を、ということでファンタジー主体の本を渡した。『日が昇る頃に眠れ』――冒険家の男の叶わない恋と、明け暮れる戦いへの渇望を描いた一作だ。『ダイスロール』のような変人日記と違うのは、バトルあり恋愛ありの男子向け、という部分だが実際、読み切るのには一カ月以上かかると思っていた。

嬉しそうにハードカバーの本を片手で振って、彼は感想を口にしてくれる。

なぜだか、それだけで心躍ったのを憶えている。

いつも一人で本を読んでいた。学校は孤独になるのにちょうどいい場所だった。自分の世界に浸りつつ、勉強もできてしまう都合のいい施設だった。

けれども、読書仲間ができるのはそれはそれでいいものだと感じてしまった。昼休み、放課後と彼と話す時間が多くなる。彼の声が大きくなるにつれ、仲間は増えていった。

クラスメイトの顔を覚えるたび、壮馬と二人で過ごした時間は彼ら、彼女らで占められた時、ふと湧いたのは不満のような感情だった。

贅沢な悩みだ。

それこそ、壮馬と二人で楽しんでいた時間に戻りたいなんて。

 

時間が経つにつれ、性別の垣根は大きくなる。

女子で読書仲間が見つかれば、世界は傾く。飽きて離れるまでは、と適当に決めていた壮馬の相手も、思い返せば楽しく、あの日々が続くだけでよかったとさえ思う日はある。

元に戻るのは無理な話じゃない。でも、口にするのは憚(はばか)れた。高校生なんて多感な時期に、男女の友情など恰好の色恋ネタだ。

最近よく話しかけてくれるようになった男子も、その被害者だ。自分となんて、と卑下するつもりはないけれど、しかし、分不相応である。恋愛のイロハを学ぶ前に、人間関係の構築から初心者の智花には高いハードルでもある。

好みは似ているけれど、好意的に見てはいても、恋愛には発展しない。

なぜなら――なぜなら、なんなのだろう?

眉間にしわを寄せる智花に、同級生が笑いかけた。

「最近、智花ちゃん笑顔が増えたよね」

「え?」

「わかるわかる。明るくなったもん。最初は暗い子かなって思ってたけど、話すと意外と楽しかったし」

「そ、そう、かな……?」

席を囲うように立つ、友達二人が頷く。

壮馬から引き継ぐようにしてできた同性の読書仲間。二人ともクラス替えで初めて同じクラスになった子だ。元々、本を読むのが好きで、ただ智花に話しかけるタイミングを掴めずにいたらしい。壮馬がきっかけを作ったことで輪は広がった。広がって、智花の主義は崩壊する。

別に気にすることでもない。今まで持たなかっただけで、本当は欲しかったかもしれないと思い始めている自分がいる。友達と過ごすのは、物語世界に浸るのと同じぐらい楽しいのだ。

彼女らは同じ世界を共有できる。時には反発するが、それぞれの意見は貴重だ。

「あれ、そういえば彼は?」

「彼?」

尋ねる彼女に、ああ、と智花は視線を振る。

「追川くんなら……」

「ああ、違う違う。佐々木(ささき)の方」

「なんで、彼……?」

むふふ、と片方が笑うと、つられるようにもう一人も意味深に頬を緩める。口元に手を当て、今さら何をとぼけているのやら、と少し悪そうな顔をする。

わからなくはなかった。

佐々木裕一(ゆういち)――彼こそが最近、よく話しかけてくれるようになった男子であり、多感な女子高生達の間で囁かれるようになった被害者だ。男女隔てなく壮馬のように気さくに話しかける人物ではあるが、智花の前では少しシャイな面を見せている――らしい、というのが友人達の談である。信用はない。

またか、という面持ちで智花は首を横に振る。

「違うよ、佐々木くんは。そんなんじゃないっていつも言ってるのに」

「否定は怪しい。黙秘も怪しいんだよ、智花」

「全部じゃん、それ……」

最初から詰んでいた。

「まあでも、追川くんもいないね」

それとなく話を変えるように、みんなで壮馬の席を振り返る。

昼休み、放課後問わず、いつも自分の席で友達と話しているか、本を読んでいるかのどちらかしかないが、今日に限ってはいない。トイレにでも行ったのだろうか。

「優等生の方が好みなのは、まあ、わかるけどねー」

いや、と否定しかけてきて、口が上手く回らなかった。

智花に傾く視線のいやらしさが増す。恋バナはだから苦手だ。智花はため息をついた。

「それも……違うってば」

智花に女友達ができてから、壮馬と話す機会は少なくなった。遠慮しているのかもしれない。もしかしたら彼の願いを叶えたのかもしれないし、極論、もう飽きたのかもしれない。

どれにしたって、構いやしない。

(でも……なんだろ?)

胸の辺りに、ぽつりと小さな穴が空いた気がして顔をしかめてしまう。

この感情の名前がわからない。寂しい? 恋しい? それらはどれも違う気がする。

「あ、でも今朝、職員室に入っていくのは見かけたよ、あたし」

「職員室? なんだろね」

授業中はいたような気がする。彼を気に留める人間は多いはずだし。いや、自分がそう思っているだけで、本当はそこまで気にしていない可能性もある。小さなコミュニティの教室内でも、何個かグループはあって、カーストも存在する。

智花は孤独だった。順位は最下位に位置づけられるだろう。彼はどうだ。中堅といったところか。他の友達と話すことも多く、それなりに上の方にいたはず。

そんな彼が自分に話しかけることで、その順位を大きく変えていたら? それはない。彼の信用に傷をつけるようなことはしていない。でなければ、友達は増えやしないし、厄介者とレッテルを張られて、また孤立するのが関の山だ。

……わかんない。

ガラガラガラ、と引き戸タイプの教室の扉が閉まる。

「ほら、授業はじめんぞー」

教師が入ってきた。それに合わせて、壮馬の姿もいつの間にか席にあった。

よかった。安心する自分がいる。

「じゃっ」と手を振って自分の席に戻る友達。笑顔を人に向けることを覚えた智花は、ここ一カ月で変わったと自覚できるようになっていた。

 

大きく変動したのは、追川壮馬の転校を知ってからだった。

「おはよ、橘さん。元気でやってる?」

どうだろう。見上げる顔は以前と変わらず、人好きのする笑みを飾っている。

おはようと返して、智花は少しだけ目を逸らした。

「おかげさまで友達も増えたし……感謝するところが大きいかも」

「それならよかった」

「本は読めるようになった?」

「まあ、ぼちぼちってところかな」

「また何か貸してあげようか?」

「いや、いいや」

随分とさっぱりした返答に、智花はまばたきする。

「そう」

「うん」

短い会話を繋いで、沈黙の幕を下ろす。

彼とは長い付き合いのようで、たった二週間程度の間柄だったようにも感じる。後者が正しいはずなのに、壮馬といるとまるで長い時間を共に過ごしてきた相棒の雰囲気がある。

だが、それも終わるのだ。一週間も待たずに、彼は目の前からいなくなる。

早朝の教室。二人きりで始まった読書の輪は大きく広がった。広がりすぎていた。

「これからも元気でやってよ、橘さん。僕がいなくても」

なにそれ。

「今だって、いなくてもよくやってるよ」

同意するように、笑顔で彼は頷く。

「橘さん」

表情を変えず、声色はちょっと真面目に名前を呼ぶ彼に、智花は耳を傾ける。

「クラスには、馴染めた?」

――きっと彼は、そのために話しかけてくれたのだろう。

クラスの片隅で読書に没頭する少女を見ていられなかったのだろう。折角の高校三年間を、読書だけで友達の一人も作らずに終えるのを嘆いたのだろう。

なんて迷惑で、そして優しい人だ。

顔を背けると、窓際のカーテンが揺れた。

季節は柔らかな春色から、爽やかな夏色に変わっている。

「……お節介だね、追川くんは」

「よく言われる」

でも、と口にしかけた言葉は、「おはよー」と登校してきた女友達に呑み込まれる。

「じゃあ、また」

「あ……」

達者でね、と後ろ手に振る彼に、声は出なかった。

――ありがとう。

その一言が言えないまま、空席が一つ増えた。

 

月日は流れ、智花の日々には変わらず人が増えていた。

胸に空いた穴を埋めるように、憧れる人もできた。それは結局、壮馬に心配をかけないようにと自分なりに頑張った結果だ。好きでもなければ、好意的な部分はその性格と立ち居振る舞いだけ。その他に用はないのに、変わらず囃し立てる周囲の声が少しだけうざったくて。

あの日、言えなかった言葉をいつも胸に抱えている。

抜け出せないモヤモヤに足を取られたまま、智花は大学に進学し――短い期間だけれど、恋人ができて、それなりの人生を送って大人になった。

今でも思い出す。

後悔はある。ただこの後悔を他に言い表すなら、『恋』以上に似合うものはない。

その想いを断ち切るための言葉も、続けるための言葉も、智花はいまだに胸に残している。

 

 

同窓会への出席に丸をして、はがきを出す。

一週間と経たずに同窓会のグループトークから招待が届いた。

招待を送ってきたのは読書仲間の一人だ。もとより、彼女が同窓会の主要メンバーとして、智花に封筒を出していた。

就寝前、パジャマに着替えてベッドに寝転ぶ智花は、グループに参加し、適当に挨拶する。懐かしい友達からの挨拶が飛び、ちょっとした昔語りが始まって――個人トークに、着信が鳴る。

件の彼女からだった。

――追川くんにも封筒送っておいたよ。

「……え?」

今回の同窓会はクラス単位だ。高校三年時のクラスメイトだけ集めた、簡易的なもの。だがそれと、運営が張り切って会場はしっかりといいところを押さえていた。

ドクン、と胸が鳴る。

夏を待たずして転校した彼もクラスメイトだ。彼女の目は変わらず鋭く、抜け目がない。

スポッ、と鳴って、新たなメッセージが表示される。

――仲良かったでしょ、智花ちゃん。会いたくない?

仲が良かったわけじゃない。悪かったわけでもない。面白おかしく読書を楽しめるようにする約束で、ナンパに引っかかってあげただけの関係だ。

しかし、胸を打つのはやましい感情だ。

知ってしまった感情の名前に動揺を隠せる技量はない。壮馬への想いはある。感謝の方が大きいが、彼といた時間は三年という長い高校生活の中で、短くとも大きな意味を持っている。

「……いやいや」

既読をつけたまま、智花はメッセージを打つ手を止める。

今は彼氏がいる。お互いに遠回しになった告白をして付き合うに発展した彼が。

(また、話せるなら嬉しいかな)

本心を打ち込んで、智花はスマホをベッドの枕元に投げ捨てる。

スポッ、とスマホが鳴る。画面は見なかった。

――いいよ。でも、気をつけてね。

「本当に、いいのか……?」

探りを入れるように、智花は呟く。

「信用してくれてるのは嬉しいんだけど……ね?」

天井を見上げて、吐息を漏らす。

大の字になって寝転び、脱力する。優しいだけだと彼女が取られちゃうぞ、と胸の内にひとりごちる。そんなことは決してないのだけれども。

「……」

唐突に、智花は手元にあった、へにゃ顔のシロクマをむしゃくしゃして投げていた。

大きく弧を描いて壁にぶつかるシロクマの人形は、その顔をさらに歪ませてカーペットの上に落ちる。

「ばーか……」

今はここにいない彼に吐き捨て、智花は布団を頭までかぶる。

同窓会まで、あと一週間。

 

 

――くしゃみが出た。

誰かが噂しているのだろう。いつものことだ。

あと何回かくしゃみが出たら風邪を引いたことになる。肌寒さが強くなる一方で、筆の進まない原稿を見つめ、一心は息をついた。

「あ、そういえば」

今日も勝手に家に上がってきた寧々空が、壁かけカレンダーの一番前を引きはがす。

暦の上ではもう十一月。しかし、カレンダーは十月のまま。はがさなければ、気持ちの上では締め切りまでの時間も止まったままだというのに。

紙を綺麗に折りたたみつつ、締め切りに厳しい担当編集は振り返る。

「同窓会、今日ですねー」

言われずとも知っている。

出席していいか許可を求めてきた智花のラインを思い出す。

口を出すことでもない。彼女には彼女の交友があるのだから、束縛するのは違う。

思えば、たまたま久々に会った友人に住所を聞かれ、それが同窓会運営に届き、出席確認の封筒がこちらにも届いたのが一カ月前。

――高校三年の夏、転校するまでいた旧友達の中に、智花がいる。

彼女はこちらが同級だということは知らない。

だからこそ、住所を口にしてしまったのは、素性を隠したまま智花と交際を続けている現状、軽率な判断だった。もとより彼女に近づくことも、デートに誘うことも、よもや一夜を共にすることでさえ、敬遠すべき問題だったというのに、だ。

「同窓会、今日ですねー」

「……だから、どうしろというの、寧々空さんは」

PCの画面に羅列する文字群を見つめながら、繰り返す寧々空に返答する。

一心の行動は決まっている。目の前の締め切りを逆算し、ひたすらに物語を編むこと。仕事だ。強制のない行事に参加するのはあくまでも休みを合わせられる同士でいい。監督官である寧々空がことあるごとに部屋を訪ねる日々に、一日サボってまで参加する意義などない。

しかし、彼女は紙を折りたたむ音を立てるだけで無反応を貫いていた。「行け」とも「仕事しろ」とも言わず、ただこちらをじっと見てにこにこ笑っている。

「怖いんだけど」

「せんせは行かないのかなって」

「行くのが強制ってわけじゃないし、僕はそもそも出席するとも言ってないよ」

出席確認の封筒さえ読まずに捨てた。

返答の締め切りはとうに過ぎている。連絡すればどうにかなるかもしれないが、とはいえ、そもそも行く気が起きない以上、重い腰を上げる必要はないだろう。

「それに、原稿の締め切りだと急かしているのはどこの誰だったかな」

「仕事なので。仕方ないんですよー、それは」

はあ、とわざとらしく肩を落として、寧々空はゴミ箱に十月のカレンダーを入れる。

「でも、私的にはせんせに行ってほしいんです」

同窓会に参加したところで、彼女にメリットなんてない。

靄がかかったように進む道がわからず、にらめっこするだけの日々を送るぐらいならいっそ気分転換でもしてこいというのはわかる。

だがそれなら、ホテルにでも缶詰めになって執筆に時間を費やす方がマシだ。過去も、今も、未来にだって憂うことなく、フィクションの世界に身を投じれるのなら、執筆でなくともいい。

媚びるような笑みを浮かべて、寧々空はこちらに振り返る。

一歩、近づく音がした。顔を見ず、一心は首を振る。

「行きたくないんだ。わかってくれ」

彼女は知っているはずだろう。デビュー作の経緯を。その後悔を。

「……知ってます。でも、それでも」

これはあなたのためです、と言わんばかりに彼女は言葉を吐き出した。

躊躇いを含んだ一歩を踏み出す。制止は効かない。ならば、と腰を上げると、偽善の塊のようなその顔が、笑顔の作り方を忘れたようにぎこちなく歪んだ。

「隠し続けるのはもうやめにしましょうよ、追川壮馬さん」

部屋を出かけた一心の背に、寧々空は優しく諭すように語りかける。

「別に名前を隠す必要はなかったはずでしょう。素直に再会を喜べばよかった。違いますか?」

「できるなら、そうしていたよ。君の言う通り。でもね」

――田村一心への彼女の羨望は眩しすぎた。

ただの旧友に過ぎない、もしかしたら友達でもなかった顔見知りの分際が、彼を追い抜くことはできない。その存在を明かしてしまったら最後、嫌悪に満ちた目を見ることになる。

書き上げた罪悪感も、フィクションの中でしか口にできない劣等感も、そのすべてを肯定されてしまえば、追川壮馬に生きる場所など与えられない。

自らかけた足枷が邪魔して前に進めないのなら、田村一心として生きるべきだ。

いずれ夢から醒めなくてはいけない日が来るとしても。

「でも、なんですか?」

黙り込む一心に、穢れを知らない無垢な瞳が問いかける。

「怖気づいただけじゃないんですか?」

「……」

的を射る言葉にびくっと肩が跳ねる。

答えようもなかった。沈黙は彼女の言い分を丸々認めることになるだろう。だが、構いはしなかった。惨めに足掻くより、小さなプライドなど捨て去る方が断然マシだ。

「だから、どうしろって言うんですか。寧々空さんは」

その問いに対する答えは決まっている。

振り返ると、複雑な感情に頭を悩ませるように眉根を寄せる寧々空がいた。

他人に答えを任せるなんて傲慢だ。怠惰だ。性差などなく、ただこの場で一心は弱すぎる。

「人に背中を押されないと、何もできないんですか、せんせーは」

それを、彼女もわかっているようだった。わかっているからこそ、期待を裏切られた観客のように、セリフを忘れた大根役者にヤジを飛ばすように、寧々空は苦々しい顔のまま口を開く。

「なら行ってください、一心せ……いえ、追川さん。自分で選べない道ほど、今にとっても、未来にとっても益を成すものだと私は思っているので」

逃げ続けていては根本的な解決は見込めない。

新作に詰まっているのは、智花に会う前から変わらなかった。彼女を見かけ、付き合うようになってからも、状態がよくなる兆しは見えない。むしろ悪くなった節さえあった。

ならば、立ち向かうのもありだろう。

「今からライン、飛ばせます?」

一心は首を振る。

「そもそも、僕は同窓会に参加できないって――」

開催場所さえ、把握しているわけでもないし、出席の返信をしていない。

すでに燃やせるゴミの日に出してしまったゴミ袋は焼却場で灰になっている。どの道、参加の手立ては面倒な手順を踏む以外に残ってはいない。

しかし、きょとんとした顔で寧々空は首を傾げる。

「あ、代わりに出しましたよ? ゴミ箱から拾って」

 

 

同窓会を前にすると足が竦む。

なぜだろう。何を、怯えているんだろう。

「……不思議な気持ちだな」

とくとく、と心音は正常。呼吸も正常。体温は若干高い気がするが、この緊張のせいだろう。

都内某所。

陽が落ちるのが早い十一月の空は十七時でもすでに真っ暗だ。キラキラと輝く星の数は少ないけれど、半分の月はちゃんと輝いている。美しい夜のコントラストをぼかすように、大通りに並ぶ居酒屋やドラッグストアのネオンライトは毒々しいまでに眩しかった。

薄茶色のダッフルコートに身を包み、裾から覗く素足にはストッキングをまとい、水族館デート以来に履くショートヒールで智花は歩道を踏み抜く。

下ろした髪は両耳の上から後頭部への三つ編みでハーフアップに。それなりの場に合わせた化粧もさっき直して完璧。見栄を張るわけじゃないし、ただ友達に会うだけだとしても、もう立派な大人だ。正装に力を入れるのはおかしくないと決め込み、左手の時計を見やった。

「ちょっと遅くなっちゃったかな」

会場は十八時。現在はその二〇分前というところ。

右手のスマホでマップアプリを開いて会場への順路を急いで辿る。キャッチを無視して大通りをまっすぐ、突き当りを右に。百貨店の信号を渡り、次を左に。目的地のホテルが見えてくるころには、残り一〇分もなかった。

一息ついてから鞄に手を入れ、届いた招待状を見つめる。

――追川くんにも封筒送っておいたよ。

ちゃんとした別れの言葉も交わせず、転校していった壮馬と再会する。

長いようで短い。いや、卒業してもうすぐ十年と経つ今となっては、時が経ちすぎた。それなりの経験をして、それなりの失敗と成功をした。思い出は懐かしむものであって、手を伸ばすものではない。それに、今は最愛の人だっているのだから。

「久しぶり、元気だった……?」

口ずさむように、挨拶の練習をする。

緊張して言葉が出なかったら、なおさら意識してしまいそうで、それは避けたかった。

ポロン、とスマホが鳴ってメッセージが入る。

――もう始まっちゃうよ? まだー?

時計を見れば、開始まであと数分となくなっていた。

友人からの催促に、もう目の前と返信し、智花はエントランスへと入った。

 

 

「智花ちゃん、久しぶり!」

「あ、本当に美奈子(みなこ)だ! 元気だった?」

エントランスでコートを預け、ロビー横のエレベーターで五階。

扉が開くと、会場は目の前だった。開け放たれたパーティー会場には、どこか面影のある面々がちらほら見えた。三クラスあった高校時代、全員出席でないにしても目測で八〇人ほどは確認できる会場内は一様ににぎわっている。

入口横に併設された受付で見知った顔に笑みを咲かせると、彼女は――美奈子は、なぜか少しだけむっとした顔をする。

「遅いよー? 智花ちゃん、今日が何の日かわかってないでしょ?」

「え、同窓会だけじゃなかったっけ?」

運営に携わる彼女から送られてきた招待状には、同窓会の簡易的なプログラムしか同封されていない。目を通した限りには特別なイベントは特になかったはずだが。

感慨深い再会もほどほどに、美奈子は肩をすくめる。

「わかんないか。ま、そっか。変わらないもんね、智花ちゃんは。昔も、今も」

「あー、それは、どういう……?」

「んー、なんでしょう?」

周囲との熱量の差とか、認識のズレが多少あったのは認めよう。学生時代を振り返れば、多少不思議ちゃんのような素養を持っていた気はしないでもない。一人でいる時間が好きで、読書している間こそ至福だと感じていたあのころから比べると、随分と丸くなったはずだけれど。

美奈子は笑って、首を振った。

「ま、でも……今はとりあえずみんな待ってるし。先に始めちゃおっか」

招待状を受け取り、さっさと受付を済ます彼女は智花の背を押した。

――会場に入ると、すぐさま挨拶が始まった。

あのころと変わらない担任の先生からの挨拶、全員を代表して乾杯の音頭に舞台に上がる、名前は知ってるけど顔の知らない同級生。不思議と顔が変わってしまってわからない人でも、名前が出れば思い出す。

ただ、その中に壮馬の姿はない。

運営の一人でもある美奈子は行ってしまい、今日来ているのか確認はできてない。出席の確認が取れたとは聞いていただけで、遅れてくる可能性も考慮するなら、せっかちになって探すこともないだろう。

立食パーティー形式に、一定間隔で置かれた丸テーブルに並ぶ食事はどれも美味しそうな盛り付けだし、知らない料理もある。会場を回るウェイターが運ぶシャンパングラスや簡易的なつまみも悪くはない。

しばらくは美奈子が帰ってくるまで適当に満喫しようと思ったその時、背中を叩く声に反射的に智花は振り返った。

「どーしたの、智花?」

「え? あ……っと、なーちゃん?」

正解、と、にっと笑う彼女は、美奈子と共によく本について話していた友達だった。

セミロングに少しだけ強かった目元も、二〇代も後半になれば髪は伸びて、柔らかくなっていた。片手に持つグラスに口をつけると、彼女は目を細める。

「なんか今、ちょっと落ち込まなかった? あ、来てほしい人じゃない、みたいな」

「いやいやいやっ、そんなことないよっ? 嬉しい、なーちゃんが声かけてくれて嬉しいよ!」

「ほんとかなー?」

大げさに手を振って、智花は追及を逃れようとする。

彼女の目は鋭い。抜ける部分が多々あれど、よく当てられてしまう。

少しだけ期待したのは言うまでもない。彼が、壮馬が――同窓会に参加すると聞いた時から若干、楽しみにしていた自分がいた。友達として、もしくは恩人として。彼がいたから美奈子やなーちゃんと友達になれたと言っても過言でない以上、感謝する気持ちは強い。

だから、やましいことはない。やましいことは、絶対にない。

「わかったわかった。そんな顔赤くして否定しなくてもいーよ」

ようやく理解してくれた彼女は、「それにしても」と智花の頬に手を当てる。

頬が火照っているのか、少しだけ冷たい彼女の手は心地よかった。

「智花は変わらないね。見た目も、挙動も。すぐにわかっちゃった」

「どうだろ……みんなが成長してるんじゃないかな? ほら、なーちゃんだって、なんかよく表現できないけど、大人になってるし」

「まあね。そりゃあ、いろいろ経験してますし?」

見た目はさることながら、雰囲気が落ち着いた。大学時代は会うこともあったけれど、社会人になってからそこまで顔を合わせる機会がなくなって久しいと人間は変わるものだ。右手の薬指には指輪が光り、少しだけ照れたように笑う彼女の愛らしさは増している。

すると、「あ」と思い出したように彼女は言った。

「というか、誰か探してたの?」

「えっと、まあ……」

唐突に話を変えてグイっと迫る彼女に、智花は目を逸らす。

「とりあえず、クラスメイトには挨拶したいかなって思ってた、から」

「ほんと? 佐々木を探してたんじゃなくて?」

「あー、うん。それは、違うよ?」

彼女との会話では、必ず佐々木が登場する。決まり文句のようになったそれに過剰に反応することはないが、今日は少しだけ壮馬を意識しすぎていた自分を誤魔化すための嘘が、少しだけ面倒な方向に回ってしまったように思う。

言葉を濁す智花に、彼女は何か思いついたように口の端を引いた。

「そんな恥ずかしがらなくていいのに。佐々木だったらさっきあの辺に……と、ほら! あの人だかりにいるじゃん、行こうよ」

彼女に手を取られ、パーティー会場中心にできている小さな人だかりへと進む。

「え、あ、ちょっと、なーちゃん!?」

「あたしに任せなって」

違うってば、と否定する言葉は聞き流され、少し遠くにあったはずの人垣は目の前になった。

近づく智花達にきづいたように、数人が振り返る。その様に少し恥ずかしくて顔を俯けると、さらにこちらに向く声が、視線が増えていくのをより感じてしまう。

と。

「――え」

「ほらっ」と立ち止まるなーちゃんに手に持つグラスを取られたかと思うと、背中を押された。智花はつんのめるようにして人壁へと突撃する形になり、海を割ったモーゼのように同級生の海を割っていく。

「ちょっと、なーちゃん!」

「えっと……橘、さん?」

囲いの中心に躍り出た智花はそこでようやく止まることができた。

文句に振り返れば、彼女は親指を立てるだけだった。何もグッドになっていない。

次いで名前を呼ぶ声にハッとして向き直ると、そこには長身の青年が驚いた顔で立っていた。

柔らかい目元、長めの黒髪は変わらず、纏うスーツは周りの取り巻きと違い、高級ブランドものらしく質感が違っていた。以前より落ち着きはあっても存在感を発揮する彼は、昔と変わらず中心に立っている。さすがと言わざるを得ない。

「――佐々木くん?」

名前を呼ぶ智花に、彼は少しだけ嬉しそうにはにかんだ。

 

〈つづく〉

 

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