イケメン作家先生との偶然で必然なHな関係【第四話②配信】

【第四話②】

著作:葉月ぱん イラスト:南香かをり

 

「久しぶりだね、橘さん。元気だった?」

突然出てきた智花に彼は紳士的に振る舞う。

周囲のざわめきも落ち着き、智花の存在を認め始めた。クラスメイト、顔の知らない同級生その他も、智花を知らずとも佐々木裕一は知っている。彼の交友関係の広さは知っていたけれど、まざまざと見せつけられると少しだけ気後れしてしまう。

「うん……佐々木くんも変わらないみたい、だね。よかった」

「そうかな? 少し老けたよ。もうアラサーだし」

「それは、私もだよ」

しかし、あのころと変わらない笑顔に残る、あどけない彼の素の姿。ギャップというのだろうか。人前で見せる表情と、智花の前では随分と違う――前に聞いたことのある彼の評価が脳裏をよぎる。

ああ、今でも彼は変わらず――その想いの意味を知ってなお、応えられる言葉は見つからない。

親心で見つめるように静かになった周囲に、智花は視線を配った。

「あー、えっと、お邪魔しちゃったよね?」

「いや、そんなことないよ。一人でも増えた方がいいし、ましてや橘さんなら大歓迎」

「そ、そう?」

鷹揚に頷く佐々木は、周囲へと賛同を求める。その視線に頷き合い、ほくそ笑む女子の声に智花は頬を染める。周囲にここまで人がいたことはなかった。彼によく話しかけられるようになっても、美奈子やなーちゃん以外と行動を共にすることはほぼなかった。

取り巻きの一人が、ようやく発言権を得られたとばかりに佐々木の肩に腕を回す。

「ああ、大歓迎だよ! 俺、憶えてるか? 橘の後ろの席だった後藤だけど」

佐々木が席に来るたび、後ろから彼をからかうように笑っていたのを憶えている。

「うん、憶えてるよ。佐々木くんの、友達の」

「いやいや、親友よ? ガチ友っていうかさぁ」

「ごめん、橘さん。こいつさっきから飲み過ぎなんだ。話は聞かなくていいよ」

「なんだよ連れねえな、裕一! 俺とお前の仲じゃん。どうやって橘に好いてもらおうかって話した仲じゃ――」

大体を口走った後で、慌てたように後藤の口を塞ぐ佐々木は、何事もなかったように顔に笑みを張りつける。その笑みの端から羞恥が漏れ、次第に周囲から歓声のような驚きの声と、賞賛の声が叫ばれる。

「いや、違うんだ。橘さん、これはっ」

隣でガハハッと笑う後藤を押しのけ、彼は取り繕う。

その姿は少し滑稽で人気者の彼らしからぬ行動で。

ふっ、と智花は口端を緩めてしまう。

「なんだ、好印象だぜ? 裕一、こりゃあ、今日なら――」

「いいから黙っててくれよ、もう」

苦労人の顔を滲ませながら、佐々木は拘束から逃れた後藤の口を再度塞ぐ。

彼らは本当に仲がいいのだろう。美奈子やなーちゃんが智花にとってそうであるように、彼が佐々木にとっての親友なのは十二分に理解した。

恥じらいを持って、仕方ないとばかりに顔を一度伏せる佐々木。周囲の賑やかしに背中を押されるように、彼は智花へと向き直る。

「少し、二人で話でもしない? この場だとちょっと騒がしいし」

会場の端に置かれた人気の少ないテーブルを佐々木は指差す。

積もる話はあるだろう。よくしてもらった恩も多少あるし、好意的な部分もある。あなたみたいな人になれたら、と憧れたこともある。

ただ今は、別に用があるのだ。彼ではない、別の同級生の男の子に対して。

智花はやんわりと笑みを浮かべた。

「その、ごめんなさい。今は人を探してるの。今もここに放り出されただけで……あ、挨拶はしようと思ってたよ? でも、今はそういう気分じゃなくて……だから、ごめんなさい」

ずらずらと理由を並べて、言い訳を探す自分が嫌になる。

あなたには用がないからさようなら、と即刻別れてしまえばいいのに。簡単そうに見えて、結構難しい切り出し口の模索は成功した試しがない。

「フラれたな、裕一」

「直接的な言葉で抉るなよ」

「ごめんね、佐々木くん……本当に、今度また機会があったら……!」

「いいよ、いい。本気にしてしまうと今度は橘さんが困る番になっちゃうからさ」

慰めるように肩を叩く後藤の手を払って、佐々木は苦笑する。

暗に好意的なことを表明されたようなものだろう。智花の周りには、遠回しな告白をする人間が多いのかもしれない。

肩を落として息を吐く佐々木は、吹っ切るようにして智花に提案した。

「それより、協力しようか? 人探し。もしかしたらここの誰かが見てるかもしれない」

八〇人単位の中から一人を探すのは時間がかかる。

できないことはないが、男性のほとんどは同じような見た目のスーツだ――髪型や体型、それこそ見た目が違えば、会場に彼が来ていたとしても気づくことは叶わない。

周囲へと視線を配ると、佐々木の取り巻きも協力的な姿勢を示してくれる。

「……いいの?」

「友達じゃないか、俺達は。まあでも、対価を求めてもいいならちゃんと提示するよ」

「あー……友達でお願いしたい、かな」

「オーケー。恋心っていうのはダメだな。ちょっとでも隙があると、すぐに手を出そうとする」

「……まあ、その、言ってなかったけど、彼氏はいるので」

ダメ押しをするように、智花は一心の存在をアピールする。

最初から彼氏がいることを口にすれば、話がこじれることはなかっただろう。とはいえ、肝心の人探しの相手は男性だ。「浮気か?」とか「元カレか?」とか、いじりが発生するのはやむを得ないだろう。

だが、その前に佐々木の目が変わった。

「それって、追川?」

「え?」

「彼氏のこと」

どうしてそう思ったのだろう。

大きく頭を振って、智花は否定する。

「違うよ、追川くんとは付き合ったこともないしっ……別の人、だからっ」

思えば共通点はあるかもしれない。笑顔がそうなら、物腰の柔らかな点もそうだろう。彼の雰囲気は通じるものがあって、そうかもしれないと不思議な感覚が追随する。

田村一心と追川壮馬は別人だ――しかし、彼の名前が本名かなど、ちゃんと聞いたことはなかった。彼を見る目は恋人になりきれず、まだファンのままなのかもしれない。

「なんだ、そっか。勘違いしたのは謝る。ごめんね」

壮馬が彼氏でないと聞いて安心したのか、佐々木の目が元に戻ったようだった。

彼との間に何かあったのだろうか。ただそれを知るには、少し時間がかかる気がした。

とりあえず頭の片隅に置いておくことにし、智花は首を振った。

「ううん。でも、探しているのは追川くんだよ。今日、来るらしいって聞いたから」

「へえ、そうなんだ」

――そこまで興味ない?

さっきと打って変わって、佐々木の食いつく様子はなかった。適当に聞き流すようにして、周囲へと意識を配る。どういうことだろうか。

佐々木は言った。

「なあ、誰か追川を見た人いる?」

反応は様々だった。

「追川?」「ああ、転校した?」「知らないな」「よく橘さんを見てたよね」「え? 誰かそんなこと言ってたっけ」「そうだよ、ずっと」

池に投げ入れた小石が水面に波紋を広げるように、彼らの主観で追川壮馬が取り交わされる。

それは時に他人で、時に悪人へと仕立てられる。違うと口にしかけようと、大小さまざまな波紋を止めることはできない。水面に広がった波紋に手を入れれば、新たな波紋が生まれてしまう。

だが口を閉ざせば、偏見は大きく傾いていく。

「ねえ、なんで自分のストーカーのことを探してるの?」

よくわからない疑問が飛ぶ。

「ストーカーなの? 知らなかったな。ただのむっつりだと思ってた」「俺も俺も」

共有すべき情報でないものが出回り、賛同する声が現れる。虚飾で盛られた陰口は、人が多ければ多いほど、正確性のない口伝でさらに一回り大きくなる。

「ねえ、違っ……――」

止めようとする智花の声は周囲に届かない。

佐々木が首を傾げる。

「僕も知らなかったな。追川が橘さんのストーカーだったなんて」

「違うよっ、そんなこと……」

「ない、なんて言いきれる?」

たった数カ月の付き合い。その間、交わした会話は数える程度。

友達の比ではない。信じるための情報ソースは、智花の中にはない。彼の好きなものや嫌いなものは知っていても素性を知っているかと言われると曖昧になる。

「本当の追川を、橘さんは知っているのかな?」

見方によって物語が変わるように、人は普段、他人と接する時に仮面を被る。

素の自分を見せることもあるだろう。場合によっては猫を被ることもあるだろう。人付き合いにおいて、分別なく同じ自分で接せられる人間は稀有だ。

彼がどうだったかは知らない。智花の前での佐々木がそうであるように、壮馬の態度が他では違うのは当たり前だ。想像できるかといえばできない。信頼しているのか、そうであってほしいと願っているのか。どちらにせよ、彼の印象は変わらない。悪印象を抱くのは、その噂を口にする輩の方でしかない。

反論できず、恨めしく睨むだけの智花に何かを感じ取ったのか、佐々木は手を叩いた。

しん、と周囲が静まる。

「やめようか。人の悪口より、楽しい話をしよう。ともかく、彼を見た人は?」

陰口は方々で止まらなくとも、目撃情報は一つもなし。最初に美奈子からのアナウンスもなかった。ということは、まだ来ていないのだろう。

閉め切られた会場出入口に目を向ける。誰かが出入りした様子は今のところない。

会場の照明が落とされた。

「お次は、スライドショーです。懐かしい思い出と共に、談話を楽しんでいただきたく思います」

舞台上に当てられた、スポットライトの中で司会進行を務める美奈子が手差しする。

上から降りてくる巨大なスクリーンに、プロジェクターが起動した。桜と一緒に撮影されたクラス写真がそれぞれ流れ、四季それぞれのイベントの記録がスライドしていく。

「力になれなくてごめんね、橘さん。不愉快な思いまでさせて」

耳元に近づく佐々木は、小声で先の謝罪を口にする。

「本当はみんないい奴なんだ。ただ、エスカレートすると止まらない」

「……みんな、本当の追川くんを知らないでしょ」

「そうだね。橘さんと同じように」

スクリーンが反射する光にぼーっと浮かぶ佐々木の横顔が、おかしそうに歪む。グラスを口に運ぶと、彼は柔らかに微笑む。

「その点、僕に汚点はないよ。陰口で叩かれることがなければ、賞賛されることもない。ただ、人より少し上というだけで、害はない」

完璧を、完璧に演じているというだけだろう。

ボロが出るのは次の瞬間か、はたまたもっと先なのか。読みにくい彼の表情は、何十にもマスクを被っているようにも見えて、素のようでわからなくなる。

「そういうの、当人が知らないだけじゃないの?」

「鋭いね」

くくくっ、と佐々木は笑う。

そうして自然なフリで、肩を抱いてきた。肌が粟立つ。

「でも、橘さんの前では変わらず完璧を演じるよ」

「……やめて」

そっと肩に置かれた手をはたき、一歩距離を取る。

不十分だろうか。取り巻きの間を抜けて、他のテーブルへと非難した方がよかったかもしれない。折角の同窓会だ――少し嫌な目に遭っても、大事にして台無しにしたくはない。でも、程度によっては声を上げるのはやぶさかではなかった。

自分を守るか、他人を守るか。一心に捧げたこの身を、他の男に許す気はない。

「訴えるよ」

「お堅いな、ごめんって」

「そういうの、信じられないから」

冷たく突き放す。

彼はこちらを向いていない。ちらと横目に見るぐらいで、シャンパンを煽るだけ。

しんみりと息を吐き、佐々木は呟く、

「追川はよくても、俺はダメってわけか」

「そういうわけじゃない……」

「じゃあ、どういうこと?」

「それは……」

彼を探す理由の一つに若干量、佐々木と同じような気持ちが含まれている。実際には理解していない感情で、それが恋なのか、違うものなのかを知るために、でもある。

感謝が第一だ。彼がいたから今があるのだ。恩を返せる時に返さなければ、墓場まで持っていきかねない。

数秒――およそ十秒考えて、智花はため息をつく。

「ありがとう、って直接言いたかっただけ」

「どうかな? 俺には恋する女にしか見えないよ」

「偏見だよ、それ」

「偏見でも屁理屈でも、他人の見方は決められない」

すっと腕を取られた。

スライドショーに壮馬と、他数名の男子の教室での一場面が映り込む。写真は苦手なのか、苦笑い気味の彼が一生懸命に笑みを作っているのが見て取れた。

佐々木がこちらを向く。

「僕なら、幸せにできると思うよ。あいつより、今の彼氏より」

首を振って智花は抗議する。

「できないよ。嫌なことを平気でするような人に他人を幸せにできるはずがないでしょ」

「嫌なら振りほどいてくれていいから」

そう言って、彼は智花の腕を引く。

「……っ」

当然のように反発する智花だが、しかし腕を引き抜くには至らなかった。ましてやその反動を利用するように、一瞬だけ緩められた拘束にバランスを崩した智花は、容易く佐々木の腕の中に収められてしまう。

「振りほどいてくれれば、よかったのに」

「今のは、佐々木くんがっ……!」

「さっき、追川が会場に入ったのを見たよ」

嘘? 本当? 信じがたいようで、しかし信じてしまえばこの姿を見られたくない衝動が湧き立つ。彼が好きだからじゃない。不貞行為の現場を、ただ見られたくなかった。

「……なんで、こんなことするの?」

昔の佐々木は、こんな意地悪なことはしなかった。もっと単純で、もっと善人であった。それが仮面だったとしても、薄闇の中でも完全に人の目がないわけじゃない会場で、どうしてこんなことができるのか。

「好きだからに決まってるでしょ」

「違う、嘘だよ。佐々木くんは、ただ」

「追川に嫉妬してる? 今も、昔も? 半分正解だ。でも、半分は間違っている」

肩を掴まれ、佐々木と真向いにさせられる智花は張り付いたような彼の笑みを見た。なぜか頬が緩む。相手の機嫌を損ね、被害を被らないようにと必死な人が浮かべる笑顔に似ていた。

「僕は、あいつが嫌いだったんだよ」

「――なら、他人を巻き込むなよ、佐々木」

でもそれは、佐々木の背後に迫る彼の姿に安堵したからかもしれない。

ここに来るはずのない、田村一心その人に。

 

 

「――なら、他人を巻き込むなよ、佐々木」

智花の肩を掴む佐々木の腕を引き、背中に回し込む声は冷徹だった。

口を塞ぎ、さらに背後へと腕を引き絞られる佐々木は、微かな呻きすら上げられない。スクリーンの逆光に浮かび上がる二人の影は、薄闇の中で動揺を生む。

「僕が嫌いなら、回りくどいことをしないで、真っ向から来るべきじゃないかな」

「――追川……ッ」

羽交い絞めにされる佐々木の呻きは、はっきりと一心を「追川」と呼んだ。

彼は田村一心だ。この場にいるはずのない人間だ。同級生ではない――智花が好きでデビューから追いかけている作家の一人であり、恋人だ。

しかし、そこにいるのは追川壮馬だと彼は言う。

「無理をしない方がいいよ。少しきつく絞めた。動くと脱臼するかもしれない」

脅しをかけるように、小声で一心は佐々木に囁く。いや、壮馬だろうか。

ともかく、彼は一心だろう。そうであると認める一方で佐々木の言葉も気になる。

「……やめて、一心さん」

なだめるようにして、智花は一心へと口を開いた。

悔しげに彼を睨み上げる佐々木が、こちらをじろりと一瞥する。スクリーンに映し出される写真が次々に切り替わった。取り巻きの声が大きくなる前に事態は収束させるべきだろう。彼のためにも、この場のためにも。

智花の言葉に従い、一心は佐々木の拘束を解いた。咳き込む佐々木の背後で、一心は複雑な表情を浮かべて、こちらを見つめていた。

薄闇に浮かぶ見慣れないスーツ姿。かけた眼鏡は変わらずとも、多少は髪を撫でつけている彼は、それこそ正装のようだ。まるでこの同窓会に参加するためにしつらえたような恰好だ。

「どうして、ここにいるの?」

一心は苦笑する。

「昔馴染みに見つかってしまったので……仕方なく」

「じゃあ……追川くん、で合ってるの?」

彼は正直に話す。

隠し事はできないと悟ったからだろう。隠し通せるとわかれば、嘘で塗り固めるのに。

現実がすべて正しいわけじゃない。フィクションに求めるのはいつだって理想形だ。追い求めた結果、一心であることを選んだというのなら、それを否定する気はない。

しかし、不誠実だろう。

気持ちを通じ合わせ、愛し合ったとしても、そこに彼の本当がないのは。

肯定も、否定もすることなく、一心は智花の瞳を見た。

「そうだとしたら、幻滅するか?」

「俺を無視して、何喋ってんだよ」

咳き込んでいた佐々木が、会話を遮って一心の胸倉を掴んだ。

「邪魔するなよ、楽しいところだっただろう? お前も遠巻きに見ていたんだろうが。こんな、いいところで出ていけるように、自分がヒーローになれるように、そうやって人を見下して、それはどれだけ気持ちがいいんだ? なあ、追川」

「口臭が強いよ。昼食にニンニクはダメだ」

「そんなことはどうでもいいんだよ!」

周囲一帯の意識が二人に収束する。

「あ、あの……」

舞台上の美奈子が動揺しながら、マイクに声を通す。

「ねえ、やめて……っ、一心さんも、佐々木くんも!」

「ああ、うるせえな。誰だよッ、一心とかいう坊主みたいな奴はここにはいねえだろうが」

火が点いた佐々木はまったくの別人のようだ。

まくしたてるようにして彼は一心の胸倉を引き、その眼鏡を取った。

「こいつは追川だろうが!」

目をすがめる一心は抵抗しない。

さっきのように拘束を試すことなく、佐々木のなすがままで智花の前に突き出される。

彼は言っていた。「そうだとしたら、幻滅するか?」と。

田村一心が、追川壮馬だとして。

名前を偽って付き合っていたのにどんな理由があるかなど知る由もない。

ただ、彼は田村一心であり、追川壮馬なんだろうなということはまあまあ理解した、今この場では。

理由を問う時間もなく、事態は急転していた。

スライドショーが中断し、会場を照らすライトが再点灯する。

眩しさに目を細めながら、見やすくなったとはいえあのころの面影の欠片も見つからない彼の裸眼を智花は見つめる。

一心は――壮馬は言った。

「ごめん、少し面倒をかけちゃったみたいだ」

胸倉を掴む佐々木の腕を掴み、捻り上げる。

体格差はそこまでない。壮馬の方が少し高くて、痩せて見えるのに筋肉質な身体をしているからこそ、歴然とした差で佐々木を圧倒する。

「あまり迷惑はかけちゃいけないよ、佐々木。特に女の子相手と、僕が相手だとやりすぎる」

「わかったような口を……ッ」

「僕はこれで二度、君に迷惑を被ってる」

そう言って、さらに彼の手首を捻る壮馬は、涼しい顔をしていた。

抵抗して殴りかかる佐々木の拳を、首を傾けて避けては、痛みから逃れようと身体を逸らすほどに拘束を強める。小さな動作だけで大の大人をいなして見せる姿はとても恰好いい。

痛みに耐えるように眉間にしわを寄せる佐々木に、壮馬は囁く。

「痛いだろう? でも、謝れば許してもらえる。子どもでもわかることだ」

要求する謝罪の相手を指すように、彼は智花へと視線をもたげた。

「智花さんに謝ってほしい。僕は、彼女が不快になるようなことをする君が許せない」

「誰が不快だって言った? ……っ、俺が誘われたかもしれないのに?」

「わたし、そんなこと……っ!」

「いい、わかってる」

答え合わせをしているだけだとでもいうように、彼は首を横に振る。

「抵抗する姿を僕が見ていた。薄闇でも、その姿は忘れられない」

「なんだよ、興奮したのか?」

「まさか」

佐々木の捻り上げる手首を持ち上げ、近づける壮馬の顔には表情がなかった。

「今すぐにでも殺してやりたいぐらいだったよ」

「好きな女も口説けず、ただ見てるだけだったお前がよく吼えるようになったもんだ」

額を振り上げた佐々木は、頭突きを繰り出すことなく、次の瞬間には突き飛ばされていた。

同時に構えた壮馬の拳が彼の肩を押したのだ。

さらに薪を燃やすように、佐々木は口端を裂いて威嚇する。

「……殴れよ、殴ってみろよ。あぁ!?」

「躾けのなってない子犬みたいに吼えないでくれないかな」

佐々木の目尻から走る青筋に、肌が粟立つ。

いけない――こちらに向き直り、佐々木へと背を向けた壮馬に忠告をしようとした、その時。

「追川ぁあああ――ッ!」

上段に拳が振り上げられる。助走をつけた一撃は一歩目で躱され、佐々木はつんのめる。しかし止まることなく、右足で踏ん張りを利かせ、次の一手。二歩目で避けられた。二手、三手と振り薙ぐ拳は空を切るだけで壮馬を捉えることはできない。

「勢いがあるだけで、腰が入ってないね」

「……――え」

渾身の右ストレート。

首を横に傾け、耳たぶを掠めて回避する壮馬は、そのまま彼のみぞおちへと拳を振り上げた。

「か、はぁ……ッ!?」

肺の中の空気をすべて吐き出すように、見るのも痛い嗚咽がクリーンヒットを告げる。が、その拳は腹にも、彼の衣服にも触れてはいなかった。

「痛い思いは嫌だろう? 僕もそれは嫌いだ。だから、交渉しよう」

「舐めんなって言ってんだろうがよォ――ッ」

「するまえから破談は痛いね、これは」

そう言って、左から飛んできたフックを腕で受け止め、壮馬は彼の軸足を払った。

簡単に視界を横転させ、佐々木は天井を向き、床にぶつかる寸前、吊るされるようにして壮馬に腕を掴まれる。情けをかけるような壮馬の行動は、精神的に彼を追い込む。

「頭を打ったら危険だよ。でもこんなに簡単にこけるとは思わなかったけど」

顔を赤くして、佐々木は激昂する。その時点で、壮馬の情けは終わっていた。

手が離れる。一秒にも満たない浮遊感。衝撃をまともに受ける頭蓋に、まぶたを見開く佐々木は、どこから見ても踊らされる糸人形だった。憤慨する姿は出来損ないの道化師のようで、見るに堪えないものがある。

壮馬は視線を落とし、告げた。

「ちゃんと謝ってくれないかな、智花に」

初めて呼び捨てにされた冷たい声に、ぞくりと全身が震える。

甘さのない低音が、惨めに映る佐々木をさらに追い詰めていく。ざわついていた周囲が少しずつ静まり、やがて駆け足の音だけがホールに響いた。

事態を重く見た実行委員が駆けつける。壮馬と、倒れる佐々木。距離を置いて立つだけの智花へと視線を繰る男性は、説明を求めるように口を開いた。

「申し訳ない。彼女への痴漢行為を見過ごせず、交渉したのですが手を出されたので」

このようになりました、と尋ねられる前に壮馬は説明した。

佐々木は反論しない。比較的低い位置からの落下だ、脳震盪を起こしてもいないだろう。だが、ここで面倒を起こそうと立ち上がるのは無駄だ。それでも、いわれのない冤罪でもないが、犯罪として数えられることを嫌って抵抗すると思っていたが。

小さな反抗をするように、佐々木が上向きに寝転びながら床を叩く。

「うるさいよ。いいから智花に謝れ」

軽蔑するように見下す壮馬に、佐々木はそれでも答えなかった。

 

 

小さな事件を起こしてもなお、同窓会は続いた。

当事者である壮馬と佐々木が退場することで、何事もなかったように継続する。

ホテルの外は息が真っ白になるほどに寒かった。

陽の代わりに浮かぶ三日月に、周囲の星々が共鳴するように明滅する。

手を擦り合わせ、壮馬に連れ添って退場した智花は言った。

「いっし……追川くんは……」

「名前で呼んでほしいな。せっかく秘密がバレて距離が近くなったのに、なんだか遠くなったみたいだ」

「ご、ごめん……なさい」

「謝らないで」

君は何も悪くない、と彼は智花の頭に手を置く。

一緒に同窓会を抜けたのは、何を理由にしてもまず、田村一心の素性を知る方が第一だった。彼は正直だ。それゆえに、真実のように嘘を扱う。職業柄という見方もできる。

あの日、あの時の感謝を伝える目的も忘れてはない。壮馬と智花は恋人だ。いつでも伝えることはできるにしても、この機会を逃せばきっとまた手ぐすねを引くことになる。

智花は我慢強い性格だから。それゆえに、一思いに動かなければ想いを隠す傾向にある。

彼は足を止めた。数歩先の横断歩道は、青が点滅している。

「嘘をついていたのは謝る。でも、気づいてほしかったっていう期待もあったんだ」

「それはっ……十年も経ってるし……それに眼鏡かけてたら雰囲気違って、わからないし」

「デートの時も、ベッドの中でも眼鏡はかけてなかったよ?」

「外でベッドとか……言わないでよ」

恥ずかしくなって、壮馬の脇を肘で小突いた。

「痛っ」と笑う彼から、寒さで赤くなっただろう頬を逸らす。

「大人っぽくなってたし、制服じゃないし……何より、雰囲気に流されてた気がするから」

「僕は最初から気づいてたけど」

「きっかけが違うってば」

あはは、と壮馬は笑う。なんだか明るくなった。そもそも、追川壮馬はよく笑い、よく感動していた。彼は多感で、そんな自分にない感性に惹かれてしまったのを憶えている。

人は、他人の前では仮面を被る。

智花の前であれ、田村一心として接していた彼は素を出すことを躊躇っていた。理由を尋ねはしない。聞かれたくないことを彼女である自分が問うのは、強制と同じだ。誰だって、一つは胸に秘密を抱えている。最愛の人であれ、口に出すことを憚れるものがある。自分にあるかは不明だが――それでも、彼にはあるかもしれない。

信号が青になって、壮馬は歩みを進めた。

「僕が嘘をついていたことを知って、智花さんは幻滅した?」

こちらを横目に見下ろし、彼は尋ねる。

白線の上だけを飛び、智花は少し考えるフリをしてから首を振る。

「幻滅しない。むしろ安心した」

「安心?」

「ううん、なんでもない」

胸に抱いた感情がなんであれ、あの日、追川壮馬に惹かれた想いは、田村一心へと上書きされた。けれども結局、保存するファイルの名前を変更しただけで、データは一緒だった。

彼は彼のまま、智花は二度、恋をしたことになる。

「あなたが田村一心でよかった、って思っただけ」

「そっか……そうだね」

間を空けて、彼は頷く。

まるで自己暗示をかけるように、壮馬は一瞬だけ笑みを作って、ふっと消す。

「僕も、智花さんに恋をしてよかった」

ハッとして、智花は彼を振り返る。

何事もなかったかのような壮馬の横顔は、ふざけたように冷ややかだ。視線に気づき、振り向く彼の視線はゆったりと笑みに変わる。言葉だけなら感情もなく吐き出せる。でも感情は抑えることができないのだろう。彼は正直だ。寂しそうで、楽しそうで、いろんな感情を混ぜ込んだ笑顔は、胸をほどよく締めつける。

手を取って引かれ、人気のない歩道。

少し遠い駅周辺の街灯に憧れるように見つめる視界は塞がれた。

「愛してるよ、智花さん」

抱きしめられた智花は、まぶたを閉じた。

どくんどくん、と彼の心臓の音が聞こえる。エンジンを吹かし、自動車が後ろを通り過ぎた。運転手に見られただろう。恥ずかしくて、さらに彼の胸に顔を押しつけた。

壮馬はゆっくりと抱きしめる力を強くする。

「もう離さないよ、絶対に」

智花は頷く。

「……離さないで、ずっと」

「いいよ。そのために僕は帰ってきたんだ」

見上げる夜空に雲はかかっていない。

子どものように壮馬の胸に顔を埋めて離れない智花の頭に、手が置かれる。

「ねえ。今日は、帰さないって言ったら怒る?」

――怒らない。

言葉で伝えるのはむしろ億劫だった。

――また言うタイミングを逃してしまった。

それでも、彼の背に回した腕に力を込め、智花はこくりと頷いた。

 

 

駅近くのホテル街へと足は向いていた。

電車はまだ残っている。それでも、終電が近づいたとしても、部屋から出る気はない。今日この日だけは、壮馬の意思一つでこの身は制御されると智花自身が決めた。

「――ぁ、や」

服を脱いで早々、ベッドに横たわる智花に、壮馬は覆いかぶさった。

乳房を捏ね、乳首を撫で、しゃぶり尽くす。片手は濡れそぼつ繁みを叩き、蜜の出所を探りながら感触を確かめてくる。

「もっと……ぃ、して」

「おねだりが上手だね、智花さんは」

吐息を掬うように、唇に舌が這った。隙間から侵入し、交じり合う舌のざらつきを堪能していると、急に乳頭をひねられた。びくんと反応して、身体が熱を持つ。おもむろに片手は裸の彼の腰辺りを探って、下半身の疼きを止めようと必死になっている。求めるのは一つだけ――探り当てた熱塊に指を添わせると、膨れ上がって先に滲む汁を指で弄んだ。

壮馬はくすりと笑う。

「もうすっかりお手のものだ」

「それは……壮馬くんが」

「呼び捨てでいいよ。僕もそうする」

再び奪われる唇に、くぐもった声を吐き出した。

彼のものは太い。熱くて、大きく上下にしごくたびに脈打つ感覚が手のひらに伝わってくる。嬉しかった。感じてくれている実感は、さらに疼きを助長する。蜜を掻き出すように繁みの奥に進める彼の指に、智花は自然と腰を揺すって、甘い声を出す。

「ん……もう」

「いいよ、じゃあ、挿れようか」

上気する頬を撫で、彼は微笑む。

熱でぼーっとする頭は、ただ目の前の快楽しか考えられなくなっていた。

制御の効かない性欲のまま、智花は自らの股を開く。

「お行儀がいいのか、悪いのか。ちょっと悩むところだね」

「言わないで……」

「恥じらいながらも積極的なのは、すごくそそるな」

そう言って、智花の両ももを掴むと、その間に壮馬は身体を進めた。

性急になっているのは彼も一緒。

ぱくぱくと物欲しげに口を開閉して涎を垂らす蜜洞に、壮馬は狙いを定めた。

「挿れるよ」

頷く間もなく、彼はゆっくりと己の熱を埋没させていく。

触れる肉襞一つひとつが焼かれ、痛みではない快感を全身に伝播させる。

「あ、ぁあ……っ、くはぁ……;ぁ!」

吐息のような、嬌声が漏れる。

再び覆いかぶさる壮馬へと抱き着き、智花はキスをせがんだ。声が聞こえるのは恥ずかしい。息苦しさを覚える方が気持ちいいのもある。マゾヒズムだろうか。サディスティックな彼とお似合いで、無意識に笑みが漏れる。

キスに応える彼と舌を交えて、始まる抽送に自らも合わせて腰を振った。

快楽を貪るのは至福だ。誰でもとは限らない。彼とは身体の相性がいいのだろう――交えるたびに具合がよくなっていく。

「ぁ……っ」

乳房を指で弾かれた。その快感で声が詰まると、繁みに隠された秘珠を摘ままれる。軽い痙攣が全身に行きわたる前に、智花は仰け反って身体を強張らせる。

意識が飛びそうだった。ふわふわとした感覚の奥で、電流がバチッと全身を刺激する。そうして意識を保つと、いつの間にか激しくなっている抜き差しに、快楽の大きな波が寄せていた。

「だ、だめ……っ、い、く――」

有無を言わせず、白濁の洪水に智花は呑み込まれる。

膣へと流し込まれる溶岩流に、火傷しそうな感覚と安らかな幸福を味わう。圧迫する洞内に、達したことで力の入る智花は、さらに搾り取ろうとするように腰を浮かせていた。

「はぁ……ぁ、っ」

整わない息のまま、二回戦に突入する。

「愛してるよ、智花――」

言葉に裏はない。

壮馬の声に、幸せだけが満ちる。甘い快楽に溢れる蜜が腿を濡らしては、ベッドシーツのしみを拡げていく。小学生以来だ。ここまでベッドシーツを濡らしてしまうのは。

「わたしも……愛してる、壮馬」

お互いの愛の囁きをキスで交換し、絶頂まで駆け上る。

次の瞬間には、膨れ上がる彼の根からさっきと同量の白濁が吹き出した。今度はお腹の上にかけられたそれに、彼の温もりを感じて、愛おしく思う。指先で掬って、指の腹を合わせて離し、伸ばして遊ぶ。

頬の筋肉が緩み、表情が蕩ける智花に、壮馬は変わらず愛を囁いた。

「……まだ、できる?」

誘いを断れるほど、智花は幸せで満ち足りてはいない。いや、もっとほしくなってしまう。

ゆっくりと頷き、股を拡げる。

流れ出てくる彼の熱の残滓に頬を染めて、智花は壮馬を受け入れる。

「来て……壮馬」

夜は長い。

朝陽が昇るまでは、二人の時間だ。

ベッドヘッドに置いた、壮馬のスマートフォンが着信を告げる。サイレントマナーなのか、画面に名前が表示されるだけ。よくは見なかった。でもきっとそれは、彼の担当編集からの着信だったのだろう。

「智花は僕に集中してくれないの?」

スマホを裏返し、彼は寂しげな顔をする。

わかりやすい嫉妬に、胸は弾む。彼を求める欲望が、内側で弾けた気がした。

智花は首を横に振る。

その瞳はすでに壮馬以外を映していない。

 

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