書籍情報

ドクター・コール【新装版イラスト入り】

ドクター・コール【新装版イラスト入り】

著者:春原いずみ

イラスト:竹中せい

発売年月日:2015年10月09日

定価:918円(本体850円+税)

高校時代からずっとおまえだけを見ている 医者として互いの実力を認めつつも素直になれない桐原圭史と橋場尚巳。彼らのそんな微妙な関係に尚巳の留学が波紋を及ぼす。すれ違う二人の前に緊急患者が運び込まれわだかまりを残しつつオペは開始される。人の命を預かる最前線で交錯する想い――。感動のホスピタルラヴ!!

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登場人物

桐原圭史(きりはらけいし)
総合病院の外科医。橋場とは高校時代からの腐れ縁で、同じ大学の医学部を卒業するが卒後後の派遣先が同じ病院となった。普段は明るく、自信家で決断が早いが、傷つきやすい。
橋場尚巳(はしばなおみ)
桐原と同窓の内科医。“魅惑の眼差しと”呼ばれる切れ長の優しい目をしている。桐原とは同じ病院勤務で、桐原が悩んでいると、何かと世話を焼き、そっと見守る。

立ち読み

看護婦が見たっていう女性は、たぶんゆかちゃんのお姉さん……美和さんだと思う。この前、偶然街で会って、ゆかちゃんの誕生日のプレゼントを選ぶのを手伝ったから、それで勘違いされたんじゃないかと思う。第一……」
圭史はクスリと笑った。
「美和さんは人妻だ。ご主人は今、アッペでうちの外科に入院してる」
橋場の肩がすとんと落ちた。圭史は笑いを納め、静かな口調で続けた。
「……俺は和泉先生のやり方を否定したわけじゃない。ただ……アプローチの方法がひとつだとは思わなかっただけだ」
静かな夜。カーテンを開いたら、星の流れる音さえ聞こえそうだ。
「外科医は悪いところを切ってしまえば終わり……もちろん、それだけだとは言わないが、そういう考えが先に立ってしまうことは否めない。事実、末期がんでもう手術する事もできなければ、外科に回ることはない。俺はあの時まで、患者を確かに治したという実感を得られる外科医という仕事にやりがいを感じていたんだが……あの少女に出会ったことで、少し考え方が変わったんだ」
橋場の手がすっと伸びた。圭史の髪を軽くくしゃりと掴み、ぽんぽんと頭を叩く。優しい指先に慰められて、圭史は言葉を続けた。
「特に麻酔に執着したわけじゃなかったけど……やっぱり、痛みをとってやれるっていうのは大きかったし、外科との関わり合いがないわけじゃないから取っつきやすかったし……。あの後すぐに、教授に頼んで、麻酔に転科させてもらった」 「……よくすんなりと転科できたな」
感嘆する橋場に、圭史は軽く首を振った。
「もともと俺は実家に戻ると思われてたから、いろいろな面で戦力外だったし、臨床を専攻していたから、ひももついてなかったんだ」
すでに紅茶は冷め切っていた。感じることができるのは、わずかに触れあったお互いのぬくもりだけだった。
「尚巳……」
「ん?」
「お前……外科医の職業的な限界の年齢って……どれくらいか知ってるか?」
「うーん……」
橋場はふいに問われて、少し考え込んだ。
「脳外科医は早いって言われてるよな。腹部外科医なら……六十……は無理か?」
「人によるけどな」
圭史はゆっくりと深くソファに座り直した。顔を仰向け、大きく息を吐き出す。
「肝臓や膵臓なんかの、出血が多くて、長時間かかる手術だと……五十代半ばくらいがぎりぎりらしい。やっぱり、ピークは三十代から四十代の初め」
ぽんと言葉を投げ出し、両手を頭の後ろに組む。
「俺は医者という仕事が好きだし、誇りに思ってる。できることなら、死ぬまでやっていけたらと……死ぬまでお前の隣を歩いていけたらと……思ってる」
「圭……」
「お前は……俺にとって、なくてはならないものだと思う。だから……いつまでも対等な……同じ医師という立場にいたいと思う」 圭史は決して、橋場の方に視線を向けなかった。
「いろいろな意味で、麻酔医は俺の行きたい方向に沿ったものだった。だから、転科することに大きな迷いはなかった。ただ……」
「ただ?」
橋場は絶妙の間と穏やかな声で、圭史の紡ぐ言葉の糸をサラサラとほどいてくれる。
「ただ……今までの俺を否定するみたいで……今頃になって、ようやく自分の道を見つけた自分がみっともなくて……それで、お前には言えなかった。俺は……お前がとっくの昔に見つけていた自分の進むべき道を……あちこちにぶつかって、ぐるぐる迷った末にようやく見つけることができたんだ。まだまだ先が長すぎて……とても、お前には追いつけないだろうけど」
橋場はふっとため息をもらした。
やはり……彼には一生かなわないかもしれない。真摯で優しくて……真っ直ぐな彼には。
「圭は俺なんかより、ずっと先に行ってしまっているよ。こっちの方が追いつくのが大変だ」
「え?」
ぼそりと漏らした橋場に、圭史は不思議そうな目を向ける。視線が……合った。
「やっとこっちを見たな」
ソファの背に片肘をつき、体を起こした橋場が微笑む。反射的に視線をそらそうとした圭史の肩先に手を伸ばし、顔を背けるのを邪魔する。
「だいたいは納得できたが……肝心なことを聞いていないそ」
「肝心なこと?」
きょとんと目を見開く。こういう無防備な顔をされると、相手が自分と同い年の男だということをつい忘れそうになる。圭史は変わらなすぎるのだ。橋場が初めて、彼という人間を意識した高校時代から。
「ああ」
耳元の髪をすきあげる……愛撫じみた手の動きに、圭史は微かに首をすくめた。
「……言わなきゃならないことは言ったと思う……」
「言ってない」
橋場はくすくすと嬉しそうに笑いながら、手触りのいい圭史の髪を指先に絡める。
「お前、俺に喧嘩売らなくなったよな。逃げるばっかりで……俺の目を見ようとしない。俺が検査やってるとこに来るくらいなんだから、まるきり避けてるわけでもないのに、俺が顔を出すと逃げるみたいに背を向ける……」
「だから、それは……っ」
突然、圭史は橋場の手を払いのけた。
「だから?」
首を傾げ、橋場はわざとらしく聞いてくる。
「だから……っ、どうして……どうしていいかわからなかっただけだっ!」
深くうつむいて、圭史は半ばやけになって叫んだ。
「ずっと……ずっと、会いたかったお前が目の前にいて……っ、どうしていいかわからなくなっただけだっ」
「……」
橋場はあっけにとられて、身体の動きを止めていた。息をするのさえ忘れてしまいそうだった。
「圭……?」
「二年間、尚巳のことだけを考えてた。尚巳が俺をどういう風に見ていたのか……俺自身が尚巳をどう思ってきたのか……ずっと考えてた。考えて……おかしくなりそうなくらい、ずっと考えてた」
橋場が残したキスと告白の意味を、圭史は真っ直ぐに受け止めていた。受け止めて……自分の中に刻みつけた。橋場が思った以上に深く。
「お前がいなかった二年間、何かをしていないと気が変になりそうだった。新しいことを始めて、夜も寝ないくらいに勉強して……そのくらい、何かに集中していないと……っ」
すっと伸びた橋場の指が軽く圭史の唇に触れた。
「それは俺も同じだ」
微笑む優しい吐息がそっと近づく。
「なんだか……迷路を三周くらい回った気分だがな」
ほとんど唇が触れるところで、圭史がぼそりとつぶやいた。
「……ゴールにたどりついたんなら、文句ないだろ……」

触れるだけだったキスはすぐに深くなった。お互いの吐息が融け合ってしまうほどに舌を絡め合い、唇を交わす。サラサラと触れあっていた洗い立ての肌は、すぐにしっとりと汗ばんで、ひとつのもののように柔らかく馴染む。
「……重たい……」
圭史が掠れた声で囁いた。橋場の肩に手をかけ、ほんの少し押しのけるような仕草をする。
「お前、痩せただろ……」
わずかに重ねた身体をずらし、すっぽりと腕の中に抱き込んで、橋場が囁き返す。
「こんなに……細くなかったぞ」
きれいに筋肉がついているので華奢な感じはしないが、肌をさらしてしまうと、橋場よりも一回りほっそりしている。
「痩せてない。もともとこんなもんなんだ」
ふっとため息をもらして、圭史が答えた。
「何でかな……兄弟の中で、俺だけが小さくできてるんだ」
橋場の滑らかな背に腕を回して、肌をすり寄せる。
「ま……いいか……」
人の肌は温かい。伝わる鼓動も温かい。ずっと……こうしていたいくらいに。
抱き合うことだけが愛情を表す手段だとは思わない。橋場も圭史も指先ひとつ触れることのない二年間で、お互いの想いを高め合った。遠い距離と時間があったから、お互いをたったひとつのものとして認め合うことができたのだ。
しかし……こうして、肌を寄せ合うことで伝わる想いも確かにある。どれほどに愛しく思い……どれほどに求めているか。ひとつに融けることで共有できる……熱い想いがある。
「……っ」
圭史が声を飲み込んだ。顔を横に向け、力なく橋場の肩を押しのけようとする。
「……声、出した方が楽だぞ」
手首をとられ、シーツに沈められながら、圭史はきっと視線をあげた。
「何言って……っ、く……っ!」
「本当に」
優しく耳元に口づけながら、橋場が囁く。耳たぶに触れた唇が微笑んでいた。
「産婦人科実習の時、そう言われなかったか?」
「え……?あ……っ!」
突然場違いなことを言われて、圭史の身体からすっと力が抜けた。その瞬間、橋場が堅く抱きしめてくる。
「わ……あ……っ」
そのままひとつになってしまう。
「い……痛い……っ、やめろ……っ!」
「前言撤回」
無意識に逃れようとする身体を強引に引き戻し、汗に濡れた胸に唇を落とす。
「色気のない声は出すんじゃない……」
背中の方にきそうな甘い声で囁かれて、圭史の喉がわずかにのけぞる。息が乱れ始めていた。橋場のしっかりとした肩に爪を立ててこらえようとするが、身体の奥底から湧き上がってくる感じたことのない熱さに震えが止まらない。
「尚巳……尚……巳……っ」
きつく腰を抱き寄せられて、追いつめられていく。熱い風の吹き上げる断崖に。

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